幸せなのだろうか?

 目を覚ますとそこは何もない空間。鏡結界の最初の殺風景な場所。それに似ていたが何だか雰囲気が違う。本当に静かであり、空気の概念が存在しないと疑うほどに風や匂いも無いのだ。




「皆は何処に行ったの?」




 そこで私は気がついた。自分の変身が解けて、心の中に玲奈ちゃんを感じられない。それにヌシや使い魔、そして骸の姿が無い事に不安を感じてしまう。


 この何もない空間に私しかいないのだろうか? そう思うと何だか変な汗が噴き出してくる。




「文音……」




「あ、玲奈ちゃん……」




 そんな不安感に駆られていた時、私の目の前に玲奈ちゃんが現れた。


 溢れるような不安の中で現れた希望を、私は強く抱き締め、心を落ち着かせる。




「もう……しょうがないわね……」




 玲奈ちゃんを抱き締め、体温を感じ、匂いを嗅ぐ。そうする事で目の前に玲奈ちゃんが存在する事を実感できて、とても幸せな気持ちになれ、玲奈ちゃんは私の事を優しく包み込んでくれた。




「それで此処は何処なの?」




「私には分からない。けれど無という事は分かるわ」




 それもそうだ、と私は心の中で同意した。


 この空間は本当に何もなく、何も感じない。玲奈ちゃんが例えた無という表現にぴったり当て嵌まっていると思ったのだ。




「文音はどうするの? 力は手に入れたでしょう?」




「えっ? あ……」




 玲奈ちゃんに言われて自覚する。


 私の両眼には確かに力が宿っていて、何だか視界が澄んでいるように見えて違和感がある。と、言う事は無事にヌシを倒したという事なのだろう。


 嬉しい気持ちがあるが、それよりも私は不安に駆られる。元々、力を手に入れて鏡結界の被害者を救う。そう言ってきたが、いざ力を手に入れるとどうしたらいいのか分からなかった。




「大丈夫。不安にならないで。貴方が願えば、そうなる筈よ」




「願う……」




 私の願い。それは既に決まっている。


 最初は玲奈ちゃんだけを助けようと頑張って来たが、途中から私の目的は変わった。それは樟葉ちゃんや私の家族。色んな鏡結界の被害者を助ける事で、それに関する願い事。




 何を願えばそれが達成されるだろうか――




「全ての鏡結界を無くす……そうすれば皆幸せになれるよ」




 考えた挙句、出た答えはそれだった。


 もしも全ての鏡結界が無くなれば、私の親や玲奈ちゃんは生きている事になり、樟葉ちゃんの両親も然りだ。だからそれが私の願いだと思った。




「あれ?」




 視界が点滅するので目に手を近づけて見ると光が見える。どうやら私の目が輝いているようだ。


何となく私の願いに反応したのだと分かり、私は玲奈ちゃんを見つめた。




「文音らしい願いね。応援するわ」




「何言っているの? 玲奈ちゃんも一緒に……なんで消えそうなの?」




 突然、身体が光の泡のようになり、段々と薄れていく玲奈ちゃん。このままだと完全に消滅してしまいそうで、私は玲奈ちゃんを抱き締めた。


 幸いにもまだ身体はある。先程と同じように体温と匂いも感じられるが、明らかに段々と薄れていった。




「文音の願いで世界は改変される。つまり、今の私は居なくなるの……」




「どうして!」




 意味が分からない。


 私は玲奈ちゃんを助けるために、頑張ってきたと言っても過言ではない。今までの私の記憶を辿れば、それは証明される。


 それなのに玲奈ちゃんが消える? 私の今までの努力は? 折角、想いが通じたのにまた離れ離れになるの? 負の感情が私の中に続々と湧き出して、私は泣きそうになった。




「大丈夫よ。貴方の努力は報われる。だから泣かないで……」




 玲奈ちゃんは身体から私を離し、私の顔をじっと見てくる。


 その表情は真剣で、自分が自分で無くなるのを信じていないようで、とても格好が良い。私はこんな状況だというのに見惚れてしまっていた。




「それに私は私よ。例え、記憶が無くなっても、貴方を好きになる。それは絶対で、揺るがない事よ……」




「玲奈ちゃん……」




「だから、ね? 最後は貴方からして欲しい……」




 一体何をして欲しいのか? 玲奈ちゃんの考えは巧まずして分かるが、私は戸惑ってしまう。何故なら、それをしてしまうと玲奈ちゃんが消えてしまいそうで、終わってしまいそうで、だけどしないと玲奈ちゃんは寂しい想いのまま消えてしまう。


 だったら、せめて私が最後に幸せにしてあげたい。そう思うと身体が動きだし、私は玲奈ちゃんの頬に両手を優しく添えて――




「んっ……」




 私の方からキスをした。


 これで二回目だが、恥ずかしいという事もあり一回目よりは比較的に穏やかなキス。何だか物足りなくも感じたが、その分優しさを感じられて、何よりも甘かった。














 さて、ここで私の一ヶ月間の戦いが終わった。これ以上、何も記す事が無いだろう。いや、エピローグ的な物を書くのも一興だとは思うが、敢えてこういう終わり方もいいと私は思う。


 それに結末を知っているのは私だけ。そう考えると何だか誇らしく思えて、私は書いていたノートをそっと閉じた。




「疲れた……」




 長時間ぶっ通しで書いていたため、今になってどっと疲れが来た。


 正直このまま眠ってしまいたいところだが、生憎そういう訳にもいかないだろう。




「文音! 玲奈ちゃんが来ているよ!」




「あ、はーい! 入ってもらって!」




 一階からお母さんの声がして私は声を張り上げて返事をする。


 今日は玲奈ちゃんを家に招待しており、それが眠る訳にはいかない理由。以前から約束していたのにも関わらず、私が偶々夜更かしをした。そんな自分勝手な理由で破る訳にはいかない。




「お、お邪魔します……」




 私がノートを机の中に仕舞うと部屋に入ってきたのは玲奈ちゃん。


 世界が改変されて玲奈ちゃんは変わってしまった。あの凛々しくて、才色兼備という名が似合った玲奈ちゃんはすっかりと丸くなり、授業中で先生に当てられるとしどろもどろになってしまうような、少し内気な少女になってしまっている。




「玲奈ちゃん! えへへ……」




 私は玲奈ちゃんに飛びつくと抱き締め、匂いをいっぱいに堪能する。


 これはもはや私の癖なのだ。玲奈ちゃんに会うと人目を気にせずに、こういう事をしてしまう。玲奈ちゃんも満更でもないようで、ただ恥ずかしいのか頬を赤く染めるだけ。だから、私は余計にヒートアップして玲奈ちゃんを抱えたまま自分のベッドへとダイブした。




「今日は何をする?」




「えっと……文音ちゃん……隈が出ていますけど、また勉強で夜更かしですか?」




 笑顔で尋ねる私に対して、玲奈ちゃんはジト目で聞いてきた。


 今の私は前とは違い、所謂優等生をしている。前の世界の習慣でしてきた勉強や運動がこの世界でも持ち越され、その結果学年で一位の成績になったが、前の玲奈ちゃんみたいな天才ではない。




「ば、ばれた?」




 ジト目の玲奈ちゃんに私は狼狽えてしまう。何故なら、つい此間、私は勉強で夜更かしをしないと玲奈ちゃんに誓ったばかりなのだ。




「はぁ……もういいです……」




 諦めたかのように玲奈ちゃんは私からぷいっと顔を背けてしまった。


 もしかして、嫌われてしまっただろうか? 不安になった私は未だに近い彼女を身体とさらに密着して、耳元で囁いた。




「ごめんね。でも勉強をしないと玲奈ちゃんが先に行ってしまいそうで……」




 玲奈ちゃんは前程に周りから注目されていないが、一応天才だとは言われている。飽くまで才色兼備が控えめになった程度で、だからこそ私は勉強を頑張らないといけない。そうしないと玲奈ちゃんと差がついてしまい、同じ道を歩くことが出来ない。


 以前のように玲奈ちゃんをただ追っかけるだけでも良いのだが、出来れば二人で並んで歩んでいきたいのだ。




「別に無理して私に追いつかなくても……それに勉強なら私が教えますよ?」




「うーん……それをすると勉強どころじゃなくなるからなぁ……」




 私は玲奈ちゃんの提案を受け入れて、勉強を教えてもらった事が何十回もある。だけどあまり効率的とは言えず、どうしても近くに玲奈ちゃんがいるとはっちゃけてしまう。逆もまた然りで、玲奈ちゃんはその時の事を思い出しているのか顔を真っ赤にしていた。




「それともまたあんなことをしたいの?」




「なっ! ち、違います!」




 揶揄ってみると更に顔を赤くして、私の身体をぽこぽこと叩いてくる玲奈ちゃん。


 その可愛らしい姿に私がにやけていると突如、何を思ったのか玲奈ちゃんは私にぎゅっと抱き締めてきた。




「と、取り敢えず昼寝をしましょう! その様子じゃお出かけは無理そうですから……」




「うん……ごめん……」




 玲奈ちゃんのお洒落な格好を見る限り、きっと今日は私と出かけようと思っていたのだろう。


 そう思うと私は申し訳なく思い、同時に彼女を幸せにしてあげたいとも思った。だから、想いを言葉にしていく。




「玲奈ちゃん……好き……」




「うん。私も好きだよ」




 私の想いに玲奈ちゃんも笑顔で答える。


 前のようにクールな玲奈ちゃんはいないけれど、目の前にいる人物は玲奈ちゃんで違いない。だって、こんなにも私が愛しているのだから、例え性格が違おうとも玲奈ちゃんは玲奈ちゃんだ。




「じゃあ、眠るけどエッチな事、しないでね?」




「…………」




 私は念のために釘を刺し、玲奈ちゃんの腕の中で目を瞑った。


 このひと時は私にとって至高の時間だ。玲奈ちゃんの温もりを感じられながら眠れるのは天国に違いない。


 そう思っていると横からごそごそと布が擦れる音が聞こえ、玲奈ちゃんが何やら動いているようだ。




「んっ……おやすみなさい、文音……」




 唇に何か柔らかいものが触れ、その後に玲奈ちゃんは私の頭を優しく撫でてくれる。


 本当に、玲奈ちゃんはいつまでも玲奈ちゃんで愛おしく、私は愛情の中で眠りへと落ちていった。

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contract the alive 劣白 @Lrete777

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