狂った現実

 玲奈ちゃんを失ったあの日から、私は落ち込んだ。心の支えになっているほどの大切な人を失ったのだから当たり前だろう。寧ろ、気にするなというのが無理な話だ。精神的に病んで、何のやる気も起きず、まるで大嵐の海原の中、羅針盤が壊れた船のようにただ揺られる事しか出来ない。風邪は悪化し、完治するまでに三日を要した。


 その間、樟葉ちゃんは看病をしに毎日会いに来てくれたが私は無下に扱ってしまっただろう。正直、玲奈ちゃんの死を受け入れる事が精一杯で、心配してくれた樟葉ちゃんを無視したりと本当に申し訳ない事をした。


 だけど、今の私はもう大丈夫。完全に立ち直ったとは言えないが、やるべき事は定まった。


 それは以前から変わらない、龍を探す事だ。あの謎の人物は私が龍を探すのを止めたと思っているのだろうが、私は止めない。玲奈ちゃんを生き返らせると心に誓ったから、今更引くわけにもいかないのだ。


 だから風邪が治った私は学校を休み、マストの研究所へと向かった。それはデンさんに会うためであり、彼女に会う事によって何か情報を得られると思ったのだ。




 マストの研究所がある、あの鏡結界のビルへと向かう。すると案の定マストソルジャーに止められてしまった。




「お前は神楽刃文音か。この前は世話になったな。それで今日はどうした? 言っとくが此処を通す訳にはいかないぞ」




 どうやらマストソルジャーたちはこの研究所を救った私に対して感謝の念を抱いているようで、以前みたいに冷たくはないがフレンドリーという訳ではない。しかし、話しは聞いてくれるみたいなので、私は率直に『シンパシーイデアを破壊されたのでデンさんに会いたい』と伝えた。




「何ッ! シンパシーイデアが! 兎に角、霧風さんに連絡を取るから、少し待ってくれ」




 その事実にマストソルジャーは驚きを隠せないように、慌てた様子のまま通信機で連絡を取った。




「はい、分かりました。許可が出た。行っていいぞ」




 行っていいと言われても、何処に行けばいいのだろう? 私はデンさんに会いたいだけなのだが、この前の部屋にいるのだろうか?


 そんな他愛もない不安を抱きながら、私は研究所へと入り、一人で前の部屋を目指す。


 道中、色んな研究員、そしてマストソルジャーとすれ違い、感謝をされた。やはり研究所を救った英雄として、この施設で私は有名になっているらしい。


 悪い話が広まるよりはマシだが、状況が状況なので素直に喜べない。もしもこの場に玲奈ちゃんがいたら、私を褒めてくれただろうか?




「あ、デンさん……霧風さんも……」




 複雑な感情に陥りながら、歩いていると目的の部屋へと辿り着き、目に入ったのはコンピューターを弄っているデンさん。そして、その近くで書類かなにかを読んでいるのは霧風さんだったが、此方の存在に気がつくと真剣な表情で近寄ってきた。




「文音さん、イデアが破壊されたとは本当ですか?」




「はい……」




 玲奈ちゃんからイデアはたいへん貴重だと聞いている。生産するのに多大なコストが掛り、支給されるのは隊長格だけ。マストという組織的にもイデアを失うのは痛手なのだろう。




「その時の事を話します」




 私はあの時の出来事を話し始めた。敵であった謎の人物については特に詳細に添えておく。




「そうですか……実はその謎の人物は私たちも追っているのです」




「え? それってもしかして……」




「文音さんの想像通りです。その人物はマストの物を盗み、そしてこの研究所を襲った……」




 奇妙だろう。あの人物は龍の事を知っていて、恐らくはそれ関連で研究所を襲ったのだろうが、何が目的だ。私と同じだろうとは分かるが、一体何を願うのだろう。


 そんな疑問が脳裏に浮かぶが、確かな事が一つだけあった。それは彼よりも早く龍を見つけて願いを叶えないといけないという事だ。だってそうだろう? 先を越されては私の願いは叶わないかもしれない。




「一応、一部マストソルジャーが彼に接触はしていますが未だに身元、目的共に不明。私の情報網にも映らないし、恐らく何処かの鏡結界に拠点を作っているんでしょうね」




「彼が……」




「あ、私たちはその人物の事をむくろと呼んでいます」




「そうなんですか? なら私もそう呼びますね」




 どうしてあの人物が骸なのか? それは直ぐに分かり、要因となったのは格好だろう。あのロボットのような体格がよくて、如何にも硬そうな身体。大きな右肩には白字で六九六、つまりは骸と書かれているのだ。




「……文音さん、単刀直入に言います。これ以上、私たちマストに関わらないでください」




「なんですかそれ……イデアを破壊されたから用済みってことですか!」




 はっきりと言われた私は声を荒げてしまう。


 今まで仲間だと思っていた人に、関わるなと言われたのだ。その言葉は落ち込んでいる私に深く突き刺さってしまった。




「違います。ただ貴方に渡せるイデアはありませんし、あったとしても渡しません。私としては文音さんには普通の人生を送ってもらいたいのです……」




「霧風さん……」




 諄々と諭してくる霧風さんの表情は暗く、先程の発言も心が冷たいからではない。私を思ってくれているからこそ言ってくれている言葉だ。




「文音さんにもしもの事があったら、私は玲奈さんに顔向けできません……玲奈さんのためにも、貴方は普通で幸せな人生を歩むべきです!」




「それは……」




 確かに玲奈ちゃんはそう言うだろう。実際に、私が鏡結界を破壊する事にも反対をしており、きっとそれは私に普通の人生を歩んで欲しかったから。危険を侵して欲しくなかったから。


 だけど引く事は出来ない。一度、踏み込んでしまったからには見て見ぬフリをしろというのは無理であり、玲奈ちゃんが死んだので尚更だ。


何度でも言うが私は玲奈ちゃんを愛している。玲奈ちゃんは私の全てだと言っても過言ではなく、そんな人を無くした世界などに用はない。真っ先に私は後を追って死ぬだろう。


 私が今こうして生きているのは玲奈ちゃんが生き返るかもしれないという、僅かな希望があるから足掻いているのだ。




「分かりました……」




 取り敢えず、私は同意をしておく。


 どちらにせよイデアが無い以上、鏡結界の対処はできず、マストとの関係は薄れるだろう。それに私にとって今は龍の行方の方が大事だった。




「それで、私はデンさんと霧風さんに聞きたい事があったんです」




「聞きたい事ですか? 何でしょうか?」




「龍の存在を信じますか?」




 私の質問に、デンさんは表情を変えないが霧風さんは目を丸くしているようだった。その反応は意外という事だろう。とても龍についての情報を知っているようには見えなかった。




「もう大丈夫です。私は帰りますね」




 それが分かれば、もうここには用はない。期待が外れてしまったが、それもまた良いだろう。骸のようなライバルが減ったと考えれば、前向きでいられた。




「待って……」




「何ですか?」




 部屋を出ようとすると、ずっと黙っていたデンさんが声を出した。


 もしかして龍について何か知っているのだろうか? そう思ったが、予想は裏切られた。




「シンパシーイデアは破壊された……アクセラレーターは?」




「家に置いてありますけど……返しましょうか?」




「……大事にして」




 彼女の言いたい事はよく分からなかったが、それはいつもの事だろう。デンさんはそれだけ言い残すと再びコンピューターを弄っているので、特に重要な事でもないと判断を下した私は研究所を後にした。




 そして、次に向かったのは以前に樟葉ちゃんと一緒に遊んだゲームセンター。別にただの暇つぶしとか、気を紛らわせるために来た訳じゃない。会いたい人物がいたのだ。




「あ、いた……」




 それは格ゲーに没頭する先輩、クロノさんだった。


 玲奈ちゃんには負けてしまったが、ランキング一位に君臨する実力。それを鍛えるためにも日中からゲームセンターに入り浸っていると予想したのだが、どうやら正解だったようだ。




「あの……」




 私はコントローラーをカチャカチャと動かしているクロノさんに話しかける。が、物凄い集中力で私という存在に気がつかない。


 そこで私が彼に触れようと手をそっと近づけた。そんな時、クロノさんは突然頭を抱えて立ち上がった。不思議に思って画面を見るとそこにはLOSEという英単語が格好良くアレンジされている。




「くそっ! あいつに負けてから、連敗続きだ!」




 あいつとは玲奈ちゃんの事だろう。連敗した理由を彼女の所為にしているのはどうかと思ったが、今はそんな毒を吐いている場合ではない。何とかして不機嫌そうなクロノさんから龍について聞き出したかった。




「あの……クロノさん?」




「あ? お、お前は! この時間帯がまだ学校だろう? こんな所でサボってちゃいけないなぁ!」




「それ、クロノさんもですよね……」




 私は呆れた様子で言い返す。


 私の記憶が正しければ、今日は特に行事もない普通の日なのだ。二年生だって、普通だったら少なくとも十六時まで学校に拘束される筈。




「…………」




 何故か、黙り込むクロノさん。図星を突かれてぐうの音もでないのだろうか? 私がそう思っていると急に腕を掴まれて、どこかへ連れて行かれる。


 それは店内の奥にある扉で、路地裏へと続く扉。そこに出た私はクロノさんが人気のない所に私を連れて行きたかった。つまりは人に聞かれたくないような話をしたいのだと何となく察する事ができた。




「最初に言っておく。お前の事はさっき霧風先輩から聞いた……」




「そうですか……」




 気まずい雰囲気が漂い始め、私はそれに押しつぶされそうになる。


 クロノさんもなんだかんだ言って優しいのだろう。私に掛ける言葉を探しているのか、視線がいったりきたりしていて挙動不審だ。




「一つ……聞いていいですか?」




「あ? な、なんだ?」




「龍について知っていますか?」




 私の質問に、クロノさんは明らかに拍子抜けた表情をして考えこむ。どうやら知らないようなので、私の用は此処で終わってしまったのも同然だろう。


 さて、こうなってくると手掛かりはゼロも同然。龍の情報を唯一知っているのは骸だが、彼が敵である以上イデアを持たない私にはどうする事もできない。


 やはり大人しく霧風さんたちに事情を説明して、龍を探すのを手伝ってもらおうか? いや、きっと信じてはくれないだろうし、止められてしまうだろう。それが当たり前なのだ。本当かも分からない情報に縋っている私の方が危ない。




「あ、おい! 待て!」




 兎に角、一刻も早く、何としてでも龍を見つけないといけない。そんな熱い思いから、私は家で作戦でも考えようと踵を返した。が、クロノさんが立ちはだかる。




「俺も一つ、お前に聞きたい事がある。玲奈という奴についてどこまで知っているんだ?」




「……どういう事ですか? 玲奈ちゃんの事なら、私はなんでも知っています」




 私は幼い頃から玲奈ちゃんと一緒にいる。そして、彼女を愛しているが故に、強気な発言をした。実際、誰よりも彼女を傍で見ていたのは私の筈なのだ。




「なら、玲奈という奴がマストにいた時の事は知っているか?」




「それは……」




 言われてみれば、私はつい最近まで玲奈ちゃんがかつてマストに所属していたとは知らなかった。ずっと傍で見ていたのに関わらず、その予兆ですら思いつかず、彼女がいつマストとして活動をしていたのか、見当すらつかない。




「俺は玲奈という奴に負けて、奴に勝つために色々と調べた。だが、情報が無かった。どうも隠蔽されているらしく、分かるのは玲奈という奴が一か月くらいマストに所属していて、何か特別な成果を上げたくらいだ」




「特別な成果?」




 玲奈ちゃんからそのような事は何も聞いていない。だからこそ気になった私は少し考えてみるが見当もつかない。


 本人に確かめようにも玲奈ちゃんはもうこの世にはいないのだ。




「やはり知らないようだな……霧風先輩なら何か知ってそうなんだけど……」




 クロノさんの微妙そうな表情を見る限り試した後なのだろう。


 霧風さんが教えてくれないとなると他に心当たりはない。マストに忍び込めば何か分かるかもしれないがイデアがない今、私はどうする事もできない。


 それから私はクロノさんと別れると家へと帰った。目的を全て果たしたからなのだが、良い結果ではなかった。寧ろ悪い部類に入り、行き詰った状況に陥ってしまっただろう。

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