新たな力

 廊下を走っていると段々と銃声が近くなってくる。それと同時に叫び声も聞こえ始め、私は緊張してきていた。


 こんなにも人の死に際を聞くのは初めてで、今更ながら怖くなっている。だから手が震えて、持っている刀は定まっていない。




『文音。安心しなさい。何かあったら、私が出るから……』




『うん。いつもありがとう、玲奈ちゃん……』




 玲奈ちゃんがいたら百人力であり、玲奈ちゃんが私を見捨てない限り私は死ぬことはない。


だから、負けない。どんなに強いヌシでも負ける筈が無い。そう自分に言い聞かせていると、ついにあの監視カメラに映っていた広い空間へと出た。


 そこは一言で言えば地獄絵図。辺りに転がっている無数のマストソルジャーの死体に水溜りのようにできた血溜まり。漂う火薬の匂いに鼻を押さえつつも、私は現実を直視する。




「うわああああ! 助けてくれー!」




「撃て! 撃ち続けろ!」




 まだ生きているマストソルジャーは十人にも満たず、空間の中央にいる生物に向けて銃を撃っているのだが、効いているようには見えない。




「何? あの生物……」




 その生物は空間の中央にある水槽のような丸い球体に入っている。ただその水槽は濁っており本体が見えない。見えるのは水槽から無数に出た触手だけで、それが脅威であり、マストソルジャーたちを圧倒している原因だった。




『文音! 来るわよ!』




「へ? うわっ!」




 まるで鞭のようにしなった触手が迫り、私は跳ぶ事によって紙一重で回避する。




「くっ……」




 華麗に地面に着地すると私はその水槽を睨みつける。


 恐らく、この鏡結界のヌシであろう生物はゆらゆらと無数の触手を伸ばして、まるでこちらを威嚇するかのような雰囲気を放っている。




『あの触手……厄介ね……』




 あの玲奈ちゃんが危惧するのも仕方がない。何故なら、その触手は無数にあるどころか威力も凄い。私が先程立っていた位置の地面が抉れてしまっているのだ。直撃すればぺしゃんこになってしまい、軽く言っても即死だろう。




「おい! お前は侵入者の神楽刃文音だな!」




「え? はい、そうですけど……」




 どうやってヌシを倒そうか? 私が悩んでいると一人のマストソルジャーが話しかけてきた。どの兵士も見た目は同じため確実とは言えないが、恐らくは私が後をつけた兵士だろう。




「一回しか言わないからよく聞けよ! あれはこの鏡結界のヌシで、暴走状態にある。しかし、倒してしまうとこの研究所が潰れてしまう。だから、無力化するのを手伝って欲しい。今、この場でイデアを持っている者はお前しかいないんだ。頼んだぞ!」




「あっ……」




 言うだけ言って、戦いへと戻って行くマストソルジャー。イデアを持っていない、つまりはあまり戦力にならないというのに、本当に勇ましいだろう。


 玲奈ちゃんはマストという組織は質が悪いと言っていた。しかし、そこで働く職員の根本には鏡結界から人々を守るという使命がある。だから、化け物が相手でも怯まずに戦う事ができ、霧風さんやデンさんのような優しい人もいる。




『文音! 危ない!』




 玲奈ちゃんの言葉で我に返った私は触手の攻撃を避けると、その触手に飛び乗った。理由は勿論、攻撃を仕掛けるため。兵士に言われた通りに無力化するにしても、ヌシを倒すにしても、先ずは攻撃をしないと始まらない。


 しかし、今回の相手はビルという大きな建物に張り付いた鏡結界。そのヌシの強さは今までと比べ物にならないのは当たり前で、私は甘く見ていた。




「ぐぅっ……」




 ヌシの弱点は触手の根元。つまりは水槽付近だと言う事が分かり、私は触手を伝いに水槽へと向かう。が、背後から重い一撃を喰らってしまった。


 いくら私が変身して、身体能力が上がっていたとしても限界がある。触手の上というバランスの悪い所を走りながら気配を探っていたが、流石に背後までは分からないのだ。


 その重たい、まるで車に轢かれたかと思う程の一撃を打たれた私だったが、幸いにも装甲のある背中だったためダメージは軽減できた。しかし、数十メートルは吹っ飛ばされて、入口へとぶつかってしまった。




「…………」




 無言で口元を拭うと掌には血。衝撃からぼやける視界の中、前を向くとマストソルジャーたちが触手の気を逸らしてくれていたが次々と命を失っていく。このままだと全滅するのも時間の問題だ。




「早く助けないと……」




 私はマストソルジャーたちの代わり戦わないといけない。私にしかヌシは倒せない。そういう使命感に駆られて、再び行こうとすると足が踏み出せない。


 その原因は駆けつけたデンさんが私の右手を握っていたからだった。




「デンさん? 此処にいたら危ないですよ?」




「大丈夫。それより……」




 私から暴走しているヌシに視線を移すデンさん。その横顔は平然としており、特に何も恐怖は抱いていないようだった。




「これを使って……貴方のお陰でさっき完成したばかりなの……」




「これは……」




 デンさんに渡された物は初めて見る物で、私は緊迫した状況だと言うのにじっくりと観察してしまう。




『初めて見るわね。恐らくはイデアの強化アイテムでしょうね』




『そうだよね……』




 私は玲奈ちゃんの発言に同意したが、肝心の使い方が分からない。


その物はまるでリストバンドのような、機械で出来た輪っかのようで、とても私のイデアに取り付けられそうにない。




「むむむ……」




 苦悩をしつつも兎に角手を動かしていると、ある部分で輪っかが反応した。


 それはイデアの柄の部分、それも底辺りで点滅したかと思うと輪っかが縮まって隙間がないほどにがっちりと固定されてしまった。




「それはアクセラレーター……」




「アクセラレーター?」




 何処かで聞いた事あるような単語だが、意味が思い出せない。


 確か――




『アクセラレーター。要は加速装置という事ね……』




「加速……」




 その意味を知った私はイデアに取り付けられたアクセラレーターを見る。


 恐らくは側面に付いた赤いボタンを押せば起動するのだろう。果たして原理などは分からないが、それを使う事で皆が救われるなら、どんなリスクがあろうと私は使う。




「それを使って、あの触手を全て斬って……」




「……分かった。やってみるよ!」




 触手を斬った所で無力化できるのか? そう思ったが、天才であるデンさんの事だ。きっと何か考えがあるのだろう。私はそれに従えばいい。




『本当にやるの? その装置、もしかしたら罠かもしれないのよ?』




『大丈夫。デンさんはそんな人じゃないよ』




『そう……文音がそういうなら、そうなんでしょうね。私は何も言わないわ……』




 玲奈ちゃんなりに心配してくれているのだろう。嬉しい事だが、今はそんな感情に浸っている場合ではない。


 私はイデアに装着されたアクセラレーターの起動スイッチを押した。




fusionフュージョン


 すると起動したようで音が鳴り、私の身体に異変が起きる。


 それは変身した時のように身体の奥底から力が溢れだすのだが、その量は尋常ではない。普通の変身とは比べ物にならないくらいの力だ。だけど強力な力に蝕まれる事はなく、まるで優しく包み込んでくれるかのような安心感を得ていた。




「これは……」




 近くにあったガラスの破片に映った自分の姿はより一層玲奈ちゃんに近づいていた。


 私の柑橘類のようなオレンジ色の髪は腰まで伸び、毛先に掛けて紫色のグラデーションが掛かり、右目の瞳はラベンダーのような紫色。まるで私と玲奈ちゃんが融合したかのようで、夢のようだった。




「玲奈ちゃん……行くよ!」




『ええ! 力を貸すわ!』




 今の私は誰にも負ける気はしない。そう思う程に力が溢れ、いつもよりも玲奈ちゃんが身近に感じられる。


 私が地面を蹴ると辺りには軽く突風が吹き、世界がスローモーションに見えた。これなら楽勝であり、私は触手を蹴ったり、その上を走ったりしてあっという間に水槽へと到着してしまった。




「ここ!」




 そして、急いで触手の根元を全て削ぎ落した。


 さて、後はデンさんの出番だ。私はそのまま地面に着地をし、水槽を見上げると何かが起こっていた。




「終わったの?」




 巨大なアームが出てきたと思ったら、水槽の上に蓋がされた。それにより触手は再生する事無く、水槽の中で暴れまわるが水槽はとても頑丈で出来ている。その強度は銃でも傷つかない程で、ヌシは完全に閉じ込められてしまった。




「やった……」




「終わったけど……」




 戦いが終わったのにも関わらずマストソルジャーたちは腑に落ちない表情をしている。いや、腑に落ちないどころか、その顔には絶望が垣間見えた。




『そりゃ喜べないよね……』




 私は周りの惨状を見る。


 確かにヌシを封印する事には成功し、この研究所も守れたという事だが、それにしては犠牲者を出し過ぎた。マストソルジャーは軽く五十人は死んでいるだろう。辺りには死体が転がり、中には原型を留めていないものまである。


 所々に血だまりができ、銃から出た火薬の匂いと血生臭さが混ざり合って辺りを漂う。それは不愉快であり、手に力が入ってしまう。




『私がもっと早く駆けつけていたら……』




 少なくとも数人は助かっていたかもしれない。そんな事を考えてしまうが、それは危ない思考だろう。マイナスな事ばかり思いついてしまい、どんどん気分が沈んでいってしまう。




『いい加減、自分を責めるのはよしなさい。文音はよくやったわ。それでいいじゃない……』




 玲奈ちゃんをそんな拙くて弱い私を叱り、褒めてくれる。


 大好きな人に褒められるのは嬉しいが、状況が状況だ。そんな表情を出せる筈もなく、私はただ俯くことしか出来ない。


 そうこうしている内にアクセラレーター点滅し、それは活動時間に限界が来たという合図。私はいつもの変身した姿に戻ったが、一つだけ違う所があった。




「い、いた……」




 それは全身が痛むことで、その感覚はまるで筋肉痛に近いが痛みが比にならない。身体のあちこちに釘を打たれているようで、動けない事はないが激痛を伴う。これでは戦う事は出来ないだろう。




「アクセラレーターは契約対象とリンク率を深め、戦闘力を底上げする装置。身体に負担が掛かるから連続での使用は避けた方がいい……」




「そ、そうなんだ……気を付けないと……」




 近くにいたデンさんからの忠告を、私は重く受け止めた。


 アクセラレーターは凄い力を持っていて、あのヌシを瞬殺できるほどだ。しかし、三十秒くらいしか活動できず、身体には物凄いダメージ。何分も使ったとなると身体の負担はどうなるのか? 考えただけで恐ろしく、使いどころを見極めないといけないだろう。




「なんだ……終わっているのか……」




「あれは……」




 入口付近にマストソルジャーではない誰かが呟いているのに気がつき、私は目を凝らしてみる。


 手にはイデアが握られており、変身しているようで格好が普通ではない。西洋の騎士のような姿だが、霧風さんの変身した姿とはまた一風違う。モチーフはきっと海老なのだろう。所々にそれを連想させるような要素があり、何よりも兜からは触角のようなものが生えている。




『きっと海老系のヌシと契約したんでしょうね』




『うん……玲奈ちゃん、分かって言っているよね?』




 私が言いたいのはそこではなく、注目すべき点は他にあるのだ。




「あ、おまえは……」




 此方に気づいたようで、その人物は近づいてくる。その度に私は顔色を悪くして、居心地の悪さを感じていた。




「く、クロノさん?」




「俺のユーザーネーム……という事はやはりお前は名無し……」




 そう、目の前のイデアを持った人物はゲームセンターでひと悶着あったクロノさん。


物凄く睡眠不足であろう隈が相変わらず気になるが、それよりもどうして此処にいるのかが疑問だ。




『彼もマストの一員……それもイデアを持っているようね。隊長クラスの人物よ……』




 デンさんを含めたマストソルジャーたちが、クロノさんの登場に何の疑問を抱いていないという事は玲奈ちゃんの言う通りなのだろう。


 タイミング的にも、クロノさん自身の発言からも、彼が此処に駆けつけていたのは援護のためだった予想出来た。




「丁度いい……」




「え?」




 私が状況の整理、クロノさんがマストの一員だという事を受け入れていると突然、彼から剣を向けられた。




「ゲームでは負けたが、実戦では負けない」




 そう言って、急に斬りかかってくるクロノさん。そこに殺気のようなものは感じられず、恐らくは模擬戦のような感じなのだろう。


 しかし、私はアクセラレーターを使った後なので筋肉痛で動けない。クロノさんは私を試しているのか随分と単純な動きだったため、普段の私だったら避けられただろう。




「え? あ……痛い……」




 身体が動かなかった私はクロノさんに頬を斬られた。一瞬、何が起きたか分からなかったが、頬が熱くなったので分かった。




「血が……」




 頬から血が滴る触感があり、拭ってみると服に少量の血が付着する。どうやら傷は大分と浅かったが、痛い事には変わりない。


 そんな私の様子にクロノさんは不服だったようで、不機嫌そうにしている。私が反撃してこないからだろうか? 理由は分からないが、それよりも私は周りの事が気になって視線を回す。


周りの人は私達の事を気にしつつも、戦闘の後処理を遂行していた。唯一、私の事を見守ってくれているのはデンさんだけだったが、止めには入らない。


 恐らく、クロノさんのこういう行動は日常茶飯事なのだろう。兵士たちは呆れているようにも見え、先程の戦闘で疲れているのか、それとも隊長格に歯向かえないのか、誰も止める素振りを見せなかった。




『文音……私と変わりなさい』




『……どうしたの? 様子が可笑しいよ?』




 同意を求めずに、強制するような発言。それは玲奈ちゃんにしては珍しく、怒りのようなものが心にヒシヒシと伝わってくる。変身しているからか、いつもより玲奈ちゃんの事が深く分かる特性が作用したのだ。


 だからこそ、私は戸惑う。以前に玲奈ちゃんの逆鱗に触れてしまい、とても叱られたがその時とは少し違う。純粋というのだろうか? その怒りは何の混じり気も無く、ただただ怒っているように思えた。




「貴方……クロノだったわね?」




「ほう、雰囲気が変わった。それがお前の正体で、俺を倒した張本人か……」




 私の身体の主導権を無理やり奪い、玲奈ちゃんはクロノさんと睨み合う。


 それが癪に障ったのだろうか? クロノさんは殺気を解放し、明らかに私を殺す気でいる。それは玲奈ちゃんも同じであり、このままでは死闘を繰り広げてしまうだろう。




「この傷……中々治らないのよ……」




 頬から滴る血をもう一度拭うと、玲奈ちゃんはクロノさんに掌を見せる。それには血がべっとりとついていて、普通ならば動揺するだろう。


 しかし、それをした張本人であるクロノさんは至って平然としており、逆になめた態度を見せていた。




「文音に傷をつけていいのも……跡を残していいのも……全部、私だけ……」




『あ……』




 そこで私は漸く察する事が出来た。


 玲奈ちゃんが激昂しているのは、クロノさんが私に跡が残るような、それも顔に切傷を作ったからが理由なのだ。




「私だけ……なの! お前だけは許さない!」




 玲奈ちゃんの魂から叫びの声は私に響き、ドキドキとして普段の数倍は玲奈ちゃんが住敵に見える。それと同時に玲奈ちゃん欲のようなものが出て、私は今にも玲奈ちゃんを抱き締めたくなったが、それは叶わない夢のようなものだろう。




『玲奈ちゃん、気を付けてね』




 ちょっとだけ切なくなったが、今はその感情に浸っている場合ではない。表に出ている玲奈ちゃんが私のために戦ってくれるので、それを見守らないといけないのだ。




「こっちから行くぞ!」




 玲奈ちゃんが刀を構えると、それが合図となり戦闘が開始する。


 先手を打ったのはクロノさんであり、先程よりも鋭い攻撃を仕掛け、そこに手加減は感じられない。




『このままじゃ……』




 私は玲奈ちゃんを心配する。


 相手は万全の状態なのに対し、私の身体は疲労してアクセラレーターの所為で筋肉痛でもある。激しい動きは出来ないだろう。


 仮に私がクロノさんを相手にしていたら負けていたのは確実。でも、あの玲奈ちゃんならきっと勝ってくれる。そういう気持ちも、私の心の中にはあった。




「なっ!」




 クロノさんは吃驚した声を上げた。きっと玲奈ちゃんは大きく回避してくると踏んでいたのだろう。




「甘いわね……」




 しかし、筋肉痛である玲奈ちゃんの判断は違った。なるべく身体に負担をないような動きを前提とし、なるべく紙一重で避ける。


 常人ならば攻撃を避ける時、本能がなるべく危険から遠ざかろうと反応するため、玲奈ちゃんのその必要最低限の動きはプロと称しても良いだろう。




「なめやがって!」




 クロノさんはわなわなと身体を震わすと、剣ではなくて拳を振るった。が、玲奈ちゃんはそれを軽々しく避けるため、何度も拳を振るい、時には蹴りまで入れる。


 その光景はまるであのゲームセンターにあった格ゲーのようだったが、玲奈ちゃんは疲労から防御に徹しているため一方的だ。




『あ、この状況は……』




 私は今の状況が、クロノさんと玲奈ちゃんの格ゲーの決闘と同じ展開だと言う事に気がついてしまった。怒涛の攻撃をするクロノさんに、体力が残り少ない玲奈ちゃんは慎重に相手の隙を突く。




「ここね!」




 刹那、玲奈ちゃんが動き出した。先程から一人で戦っていたようなものであるクロノさんは疲労からほんの少しの隙を出したのだろう。私には分からなかったが、玲奈ちゃんには見えたらしい。


 それは筋肉痛とは思えない程の軽快な動きだったが、顔が歪んでいる。恐らく、無理に身体を動かして、その一撃で終わらせるつもりなのだろう。




「ごほっ! ぐはっ!」




 刀を使う事無くクロノさんの顔面にストレートを入れ、怯んでいる間に鳩尾を突く。そこからのアッパー繰り出して、相手の身体を空中に上げる。




「終わりよ!」




 追撃をするため、同時に空中へとジャンプした玲奈ちゃんはそう言うとクロノさんの腹に踵落としをした。


 そのコンボはあの格ゲーであったコンボで、実際にゲーム内でもクロノさんにとどめを刺した攻撃だった。




『よ、よく格ゲーのコンボの真似ができるね』




『当然よ。そもそも格ゲーなんて、攻撃方法を覚えるようなものでしょう?』




『それは玲奈ちゃんだけだよ』




 普通の人は格ゲーを普通に楽しむだろうし、参考にするならせめて柔道との競技を見たり、本から学んだりするだろう。


 それは兎も角、玲奈ちゃんはクロノさんに一矢報いたからか、ご機嫌な感じがして私はほっと胸を撫で下ろした。信じていなかった訳ではないが、もしも玲奈ちゃんが負けていたらと不安だったのだ。




『じゃあ、身体を返すわね』




「い、いたたたた!」




 満足した玲奈ちゃんは身体を返してくれたが、物凄く身体が痛む。まるでギプスか何かを付けられているように行動が制限されて、私はその場で尻餅を突いた。


 クロノさんは余程のダメージを受けたのだろう。立つことが出来ないのか、大の字に寝そべって大きく息を吐いたり擦ったりを繰り返している。




「大丈夫ですか!」




 そんな時、入り口から大声を上げて入って来たのは霧風さん。


 どうして彼女が此処にいるのか? 一瞬、そう考えてしまったが、霧風さんはマストの一員なのだ。マストの研究所である此処に訪れても何の問題もない。




「文音さん、立てますか?」




 霧風さんは私とクロノさんを二度見すると、先ずは私の方へと駆けつけてくれた。些細なことだが、少し嬉しく思ってしまう。




「何とか……それよりもどうして霧風さんが?」




「彼女から連絡を受けて駆けつけてきたんです。さっきまで別の部屋でヌシの暴走の原因を探っていました」




 彼女とはデンさんの事のようで、デンさんは部下たちに指示を出しつつも、此方を一瞥して手を振ってくる。彼女なりに気を使って、もしもの時のために霧風さんを呼んでくれていたのだろう。




「あーもう! ヌシが暴走したのはこいつの所為だろ?」




 霧風さんが私の方を心配したのが不服だったのか、クロノさんは飛び起きると因縁をつけてきた。




「わ、私じゃないよ!」




 だから、私は咄嗟に否定をする。


 勝手に侵入したのは悪いと思っているが、ヌシを暴走させたのは私ではない。


というか、そもそも何かの不具合が起きただけかもしれないので、誰かが仕向けたなんて断言はできないだろう。




「じゃあなんで侵入したんだよ」




「それは……ここがマストの研究所だって知らなかったから……興味本位で……」




 言えない。マストの施設だと分かってはいたが、何か不都合があったら潰そうと思っていたなんて、口が裂けても言えない。




「まあ落ち着いてください」




 私とクロノさんが睨み合い、将又決闘が勃発しそうな雰囲気を醸し出していると霧風さんが止めに入る。そして、クロノさんに何か耳打ちをした。


 それはかなり短い時間だったが、大切な事が伝わったのだろう。クロノさんが血相を変えて、吃驚しているようだった。




「なにっ! こいつが文音という奴なのか!」




「あ、そっか……」




 そういえば私とクロノさんは正式に自己紹介をしていなかった。


 クロノさんは私の事を名無しと呼び、クロノというのは名前ではなくゲームのユーザーネーム。まあ、今更自己紹介をしてもクロノさん呼びは変わらないだろうし、自己紹介はしなくてもいいだろう。




「という事はゲームの時、そして先程の戦いの時は玲奈という奴の仕業か……」




 きっと私と玲奈ちゃんの名はマストに知れ渡っているのだろう。だからクロノさんは玲奈ちゃんの存在を知っていて、実力を高く見ている。




「ごほんっ! ……話が逸れました。……ヌシを暴走させたのは他にいます」




 話を戻した霧風さんは真剣で、必然的にクロノさんは真面目に考え始める。それは私も同じだったが、どうしても信じられなかった。




「何かシステムに障害があったとかではないんですか?」




 てっきりヌシが暴走をしたのはシステムのエラーか何かと思ったけど、霧風さんが言うからにはそうなのだろう。慮ってみるとデンさんみたいな天才が集まったマストの研究所が単なるエラーを起こすのは考えにくい。


 しかしだ。仮に私以外の侵入者がいたとして、一体何の目的でヌシを暴走させたのだろうか? 頭の回転が悪い私には犯人がマストに恨みを持っていたとしか思いつかないが、そうではないのだろう。


 例えそうだとしても、規模が大きい秘密組織に喧嘩を売るなんて自殺行為なのだ。




「今回の事件、恐らく犯人は情報収集が目的ね。ヌシを暴走させ、その間に何かを探ったのでしょう?」




 私の身体を使い、意見を出す玲奈ちゃん。それは確かに現実味があり、この場にいる全員が納得してしまった。


 そんな時、いつの間にかノートパソコンを持っていたデンさんは私達に見えるように画面を見せてきた。


 そこに映っていたのは監視カメラの映像で、とある部屋が映っている。その部屋は資料室なのだろう。敷き詰められた棚には資料が並んでいたが、まるで泥棒が漁ったかのように殆どが荒れ果てていた。




「何の関係もない部屋が荒らされている。玲奈さんの言う通りのようですね。犯人の姿は?」




「…………」




 黙って首を横に振るデンさん。それは映っていないという事だが、どう考えても可笑しいだろう。防犯カメラがこうして無事に残っているという事は姿が映っている筈なのだ。


 誰もそう思い、全員が疑問に思っているとデンさんは監視カメラの映像を巻き戻す。そこには独りでに部屋が荒れていく光景が映っていた。まるで透明人間が部屋を物色しているようで気味が悪い。




「犯人はイデアを持っているわね。透明になっているのは何らかのカードを使ったから。ここ最近、鏡結界の対処数が減っているらしいし、マストの大切な物が盗まれたんでしょう? それが関係あるんじゃないかしら?」




 煽るように言う玲奈ちゃんに、霧風さんは眉をピクピク動かす。今回、玲奈ちゃんの言い方は明らかに嫌味があり、それを感じ取ったのだろう。




「私の推測だけど犯人は何かの組織か、強い力を持つ何者か。そう、例えば以前にマストの物を盗んだ犯人と同一人物かも……」




 さらに追い打ちを掛けるかのようにニヤリと笑みを浮かべて言う玲奈ちゃんだが、それは私の身体なので私がやったようになっている。




『玲奈ちゃんは凄いなぁ……』




 一方で私はそんな事を気にせずに、ただ玲奈ちゃんに尊敬の念を抱いていた。


 玲奈ちゃんの発言は飽くまで憶測でしかない。だけど立ち振る舞いや雰囲気から説得力があるように聞こえ、その憶測自体も筋は通っている。




「…………」




 玲奈ちゃんの発言に、霧風さんは何も反論しない。


 確か霧風さんは前に盗まれた何かを追って、玲奈ちゃんに会いに来ていた。表情から察するに未だに犯人を特定できていないのだろう。だからこうして考え込んでいる。




 そこで会話が途切れ、辺りには微妙な雰囲気が流れて、そのまま解散となってしまった。デンさんは研究所の復興の支援を続行。クロノさんは何故かゲームセンターへと戻って行き、霧風さんは危ないからと私を送ってくれる事になった。


 以前にマストソルジャーに指示を出す立場にいた霧風さんはきっと上の立場にいるのだろう。そんな霧風さんと二人きりの帰り道。




「あの……治療してもらってありがとうございました……」




「いえ、私たちも助けてもらったのでお互い様ですよ」




 霧風さんはそう言うが、私は本当に感謝している。


 あの後、玲奈ちゃんは未だに私の頬に傷をつけたクロノさんを許せないようで、軽い暴走状態に入ったのだ。私は止めようとしたがクロノさんからの煽りもあり、玲奈ちゃんはヒートアップして聞き耳を持たない。


 そんな状況で霧風さんがマストで治療するという提案してきてくれたお陰で、漸く玲奈ちゃんの怒りは収まったのだ。




『ごめんなさいね。クロノに煽られて、ついカッとなってしまって……』




『全くだよ……』




 まあでも玲奈ちゃんの暴走のお陰で、私の頬の傷は綺麗さっぱり無くなっている。特殊な塗り薬を塗られるとあっという間に治って、本当にマストの技術力は凄いだろう。




「身体は大丈夫ですか?」




「あ……大丈夫ではないかな? 身体中が痛くて、こうして歩くだけでも結構きついです」




 頬の傷は治ったが、アクセラレーターによる負担は消えていない。未だに身体中が痛み、正直歩く事で精一杯だ。




「あはは……でも大した怪我ではないですよ。寝たら治ります」




 さっきは弱音を吐いてしまったが、霧風さんに心配をかけないために私は無理やり口頭を上げて微笑む。


 だけど、それはかえって霧風さんを心配させてしまったようで、彼女はマストの隊長格とは思えない、人間染みた提案をしてきた。




「おぶりましょうか?」




「え! そんな悪いですよ!」




 それはおんぶという行為であり、よく親が子にするような微笑ましいものだ。別に霧風さんにしてもらうのは嫌ではないが、申し訳なく思って躊躇ってしまうのだ。


 しかし、霧風さんは屈んで、いつでも私を背負える態勢に入っている。


 そういえば、昔はよく玲奈ちゃんにおんぶをしてもらった。私はドジっ子なため、道端で転んで怪我をした時に、今の霧風さんのように玲奈ちゃんは屈んできた。その後、玲奈ちゃんは落ち込む私をおんぶして励ましてくれた。あの時の記憶は私にとって幸せな思い出だ。




「霧風、そんな事をしなくても大丈夫。文音の身体は私が動かすわ」




「そうですか……」




 私が思い出に耽っている間に、玲奈ちゃんは勝手に断り、宣言通りに私の身体の主導権を取る。少々強引な気がしたが、もしかして嫉妬でもしてくれていたのだろうか? 兎に角、玲奈ちゃんのお陰で私は身体を動かすという倦怠感から解放された。


 しかし、その玲奈ちゃんが痛みを受けているとなると素直に喜べない。だから私は身体を取り返そうとしたが抵抗されてしまった。




『私に任せなさい。文音は霧風に聞きたい事があるんでしょう?』




『で、でも……うん。ありがとう』




 図星だったため、私は身体を取り返すのを諦める。本当ならもうちょっと粘るところだが、この玲奈ちゃんは随分と頑固と感じた。


 勝手に動く身体。視界も、歩くスピードも、全て玲奈ちゃんが操っている。そんな中、ふと見えた隣を歩く霧風さんの表情は悲しそうで、とても聞き出せる雰囲気ではない。


 だけどこのまま行くと私の家に辿り着いてしまう。タイムリミットまで余裕はないので、私は思い切ってあの事について尋ねた。




「あの……マストという組織について教えてもらってもいいですか?」




「ええ、まあ全部とまではいきませんが……」




「じゃあ先ず――」




 研究所の鏡結界だけでなくマストという組織についての疑問を私は霧風さんにぶつけた。


 玲奈ちゃんの言う、研究所の鏡結界は百人以上の犠牲を出しているのか? それ以外だけでなく非人道的なことをしているのか? 色んな疑問をぶつけたが、それを全て黙って聞いていた霧風さんが口を開く。




「確かに玲奈さん言う通りかもしれません。あの研究所はマストが人を犠牲にして作りました」




「だったら――」




「だけど、この世界には鏡結界を破壊するマストという組織が必要なんです」




 その通りだと思い、私はぐうの音もでない。


 心の中ではそんな非人道的な組織は駄目だと思っているが、そんな非人道的な組織がないと世間では鏡結界がはびこっているのだろう。


 以前、玲奈ちゃんから聞いた話ならマストの主な仕事は鏡結界への対処。世界中に現れた鏡結界を対処するので規模は計り知れないだろう。


 それにマストはただ鏡結界を破壊するだけでない。鏡結界の研究、そして対処した後のケア。仕事量は膨大であり、まずマスト以外の組織では成す事が出来ないのは確実だった。




「それに最近のマストは段々と落ち着いてきています。期待の新人が入ってきたり、色々と環境も変わっている。近い未来、マストは変わります」




 そう断言する霧風さんの瞳は揺らがずに真っ直ぐ前を見据えている。本当に思っているようで、まるで自分がそうすると言っているようにも思えた。




「それにしても文音さん。マストに侵入するのはいけませんよ?」




「あ、ごめんなさい……」




 注意された私は罪悪感から俯いてしまう。


 そういえば他に侵入者がいてヌシが暴走した所為でうやむやになっていたが、私はマストに忍び込んで実態を探ろうとしていた。所謂、不法侵入というもので、自分が悪いと分かっているので何も言えない。


 ただ霧風さんの厳しい視線を受け、落ち込んだ雰囲気を漂わせる事しかできなかった。




「でも、文音さんの気持ちは分かります。文音さんは優しいですから……玲奈さんが命を賭けてでも、貴方を守ろうとしたのも理解できます」




「え? それはどういう?」




 霧風さんの発言に違和感を抱いた私は顔を上げる。だってそうだろう? その発言は何だか重々しくて、そもそもどうしてそんな事を知っているのか? 何か深い意味がありそうだったが、不幸なのか、幸運なのか、丁度自宅へと辿り着いてしまい、結局答えは聞けずじまいになってしまった。

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