膠着という脅威

 さて、玲奈ちゃんを生き返らせると張り切ったのはいいが、やる事が多いだろう。大雑把に言えば龍についての情報を集めないといけない。その際に鏡結界があれば潰して、少しでも玲奈ちゃんに近づくために勉強もする。多忙を極めそうだ。




 そう思いながら、三日が過ぎた。私は頑張っていたが収穫はほぼゼロ。そもそも街の人達が抱く、私への信頼度は絶望的で情報はまともに集まらず、マストがしっかりと活動をしているようで鏡結界も見かけなかった。進んだ事と言えば落ち込んでいた所為か勉強が捗ったのと、祖父からもう一度伝説について聞く事が出来た事だろう。尤も、その伝説も大分と曖昧で龍が願いを叶えると言った事しか分からない。




「どうしようかな……」




 私は自室の勉強机に突っ伏して、ただ考え込む。


 どうすれば情報が集まるのか? どうすれば強くなれるのか? そんな事を考えるが頑張るという単純な答えしか思いつかない。




「私を生き返そうとしてくれるのは嬉しいけれど、あまり期待しない方がいいわ。そもそも願いが叶うなんて胡散臭いもの……」




「そうだけどさぁ……」




 玲奈ちゃんの言い分は私もよく分かっている。だけど、漸く見えてきた一筋の希望なのだ。無視する訳にもいかないだろう。




「うーん……お風呂でも入ろうかな……」




 朝から頭を酷使した所為か、疲れを感じた私は朝風呂でもしてみようと思い立った。その時、電流のような衝撃が走った。




「そ、そういえば……玲奈ちゃんって私がお風呂入っている時、いつもどうしているの?」




 気がついてしまったのだ。いつもお風呂に入る時、玲奈ちゃんは何をしているのか? いや、その答えを私は知っているが、信じたくなかった。




「え? いつも貴方と一緒にいるから、勿論見ているわよ」




「あ……ああ……」




 平然とした様子で言う玲奈ちゃんだったが、私は違う。今までの事を追想し、羞恥心で顔から火が出そうになっていた。


 そうだ。玲奈ちゃんはいつも私の心にいるのだ。当然、入浴シーンだけにならず、普通に着替えなども視られており、もっと言えばお手洗いも――




「あああー!」




 これ以上考えると恥ずかしくて死んでしまう。


 私は叫びながらベッドにダイブすると足をバタバタとさせて、何とか気を紛らわせようとする。その行為は数分に及び、漸く落ち着いた私は玲奈ちゃんを見た。




「えっと、生前でもちゃんと見ていたわ」




「え……」




 初耳だった。つまり玲奈ちゃんは覗きをして、私の生まれたての姿を観察していた? 玲奈ちゃんは私に気があるのか? そんな希望的観測が私の脳裏に過るが、冷静になってもう一度考え直す。




「いや、ないない……」




 玲奈ちゃんは私の事を大切にしてくれるが、それはあくまで家族愛のようなものだ。そこに恋愛要素も無く、例え覗きをしていたとしても下心はない。


 悲しいがそう結論づけて納得していると、私の携帯が鳴った。




「はい、もしもし……」




「あ、文音さんですか? 樟葉です」




 電話の相手は樟葉ちゃんだった。この間、屋上で仲良くなった時にアドレスを交換していたので、何も可笑しい事はない。けれど一体何の用なのだろうか? 特に思いつかない私は尋ねてみる。




「急にどうしたの? 何かあった?」




「いや、特にないんですけど……今から遊びませんか?」




「へ?」




 まさかの遊びの誘いに私は唖然としてしまう。


 遊びなんて玲奈ちゃんが死んでから、私の脳内に消え去っていた言葉だ。玲奈ちゃん以外、碌に友達もいなかったのでもう耳にしないと思っていたが、そういえばそうだった。私には樟葉ちゃんという友達が出来たのだった。




「行ってきたら? 息抜きも大事よ? このままじゃ壊れちゃうかもしれないし……」




 軽い理屈を交えて玲奈ちゃんは出かける事を勧めてくる。


 確かにそうだろう。このまま家に居ても、勉強しか出来ないだろうし、偶には遊びに没頭して気分も良い。そうする事で何かアイデアでも浮かべば僥倖で、何よりも樟葉ちゃんの期待を裏切る訳にはいかない。




「うん。いいよ! 私も丁度暇だったんだ!」




「本当ですか? なら、今から駅前に集合でいいですか?」




「分かったよ! じゃあ、また後で!」




 私は電話を切ると、胸に手を当てて動悸を鎮める。


 玲奈ちゃん以外の友達と電話で約束なんて、初めてだったので緊張してしまっていた。ちゃんと違和感なく接する事が出来ただろうか? 不安で心が曇ったが、そんな事を気にしている場合ではない。




「取り敢えず、駅前に向かわないと……」




 久しぶりの遊びで楽しみという点と、樟葉ちゃんを待たせるわけにはいかないという責任感。それらの感情で私は慌てて出かける用意をし、その光景に玲奈ちゃんは微笑ましいものを見る表情を浮かべていた。


 やがて家を飛び出した私は歩いて駅前へと向かう。その足取りはいつもより早く、楽しみにしているのだろうと実感できる。




「朝ご飯は? 食べないで良かったの?」




「うん。もしかしたら樟葉ちゃんも食べてないかもしれないし……」




 現在の時刻は朝の九時だ。仮に私だけ食べてないとしてもお昼まで後三時間といったところだし、余裕で我慢できるだろう。


 そうこうしているうちに駅前へと辿り着いた私は樟葉ちゃんの姿を探す。


 この地域で待ち合わせと言えば、駅前にある大きな像の前という定番があるため、私はそこに向かった。が、樟葉ちゃんの姿はなく、私が張り切ったが故に早く着き過ぎたのだろう。




『取り敢えず、待ちましょう?』




 脳内に聞こえる玲奈ちゃんの声に従って、私は大人しくベンチに座って待つ事にする。時間指定もしていないので、いつ来るかは分からないが、樟葉ちゃんなら案外早く来てくれるだろう。


 その予想に応えるように、十分くらいで樟葉ちゃんは姿を現した。私が手を振ると、駆け寄ってくる。




「ご、ごめんさない。待ちました?」




 樟葉ちゃんは息を整えながら、不安そうな表情を浮かべて聞いてくるので、私は「ううん。私もさっき来た所だよ」と笑みを添えて返しておく。


 そこで私は樟葉ちゃんの服装に注目した。学校で見た時は子供っぽいイメージだったが、今の樟葉ちゃんの服装は大人らしく、黒のアウターを着て、どこかギャップがある。




「あの、服……変ですか?」




「いや、よく似合っているよ!」




 別に不自然な訳ではない。傍から見れば樟葉ちゃんが大人らしく見えるだけなのだ。


 しかし、それに比べて私の服は幼過ぎただろうか? 過去に玲奈ちゃんに選んでもらった服なので、とても気に入っているのだが子供らしく思える。




『文音の格好はいつ見ても素敵よ』




「ふぇ?」




 私が不安に思っていると、それを察したように玲奈ちゃんが恥ずかしい事を言ってくる。


 それはとても嬉しい事だったが、急に言われたため変な声を出してしまい、樟葉ちゃんに聞かれてしまった。




「どうしましたか?」




「う、ううん! な、なんでもないの! それよりも早く行こう!」




 誤魔化すために私は樟葉ちゃんの手を引いて、駆け出した。目的地などはなく、本当にただ走り始めただけなので、取り敢えず近所のショッピングモールに向かう事にする。




「樟葉ちゃんは朝ご飯食べた?」




「いや、まだですけど……」




「なら、先ずは何か口にしよう。私、お腹が空いちゃって……」




 一応、朝ご飯を食べるという目的は決まり、私は気合を入れていた。それほどまでに友達と遊ぶという行為が楽しみで、心が躍って自然と笑顔になっていただろう。


 やがてショッピングモールに辿り着いた私と樟葉ちゃんはフードコートで適当に朝ご飯を食べると、次に適当に買い物でも始めた。私は特に欲しい物はなかったが、樟葉ちゃんは文房具などを新調していて、真面目だなと思ってしまった。


 それからはゲームセンターでプリクラを撮ったり、ガチャガチャを回したり、楽しい時間はあっという間に過ぎ、時刻は十八時になってしまっていた。




「ふぅ……次はどうする?」




「あ、えっと……一度、お手洗いに行ってきてもいいですか?」




 そういえば樟葉ちゃんは一度もお手洗いに行っていない。それなりに水分補給をしていたのに、私に気遣いでもしていたのだろうか? だとしたら悪いような気がして、兎に角私は頷いて了承した。


 すると樟葉ちゃんははにかんだ笑みを見せつつ、走り去っていく。帰って行くまでに私は適当にゲームセンターの中を見ていればいいだろう。




「色んなゲームがあるなぁ……」




 改めて店内を見回すと壮観で、感心を抱いてしまう。正直、私はゲームに疎いため、プリクラやUFOキャッチャー、コインゲームと言った定番の物しか分からず、それらの物だったとしても詳しくはない。




『聞いてもいいかしら?』




『何? どうかしたの?』




 私が見回しながら、次はどうしようかと考えていると玲奈ちゃんが聞いてくる。それは数時間ぶりの声で、不安を感じているのか少し怯えているようにも聞こえる。




『文音は樟葉の事が……好きなの?』




「ごほごほっ!」




 突拍子もない事を聞かれ、私は思わず噎せてしまう。まさか、このタイミングで玲奈ちゃんから好きという言葉が出るとは誰も予想が出来ないだろう。




『ど、どうしてそう思ったの?』




『いえ、今日の文音を見ているとずっと楽しそうで……早い話、多分私は樟葉に嫉妬してしまっているわね……』




 落ち込んでいるのか、表情が見えないというのに玲奈ちゃんの不安が手に取るように分かる。きっと私も嫉妬という気持ちを理解しているから、こんなにも胸が痛いのだ。


 玲奈ちゃんが生きていて、様々な場所で活躍していた時、私は絶賛されている彼女を陰から見守ることしか出来なかった。その時、玲奈ちゃんが他の人に笑顔を向けた時は何度嫉妬した事だろう。


 玲奈ちゃんが欲しい。恋しい。そう想うほどに胸は切なくて締めつけられ、泣きたくなるほどに悲しくなる。何故なら、この私の気持ちは一方通行であり、玲奈ちゃんは私の事を親友と見ているだけで、それでは満足できない。


 だから、玲奈ちゃんに初めて樟葉ちゃんに嫉妬をしていると聞かされて、私は嬉しく思ってしまった。だって、それは少なくとも玲奈ちゃんは私の事を大切だと、独り占めしたいと思っている事だろう。




『大丈夫だよ。樟葉ちゃんは普通に友達。だって私が好きなのは……何でもないや』




 兎に角、誤解を解くために私は返答をし、ついでに思わず玲奈ちゃんが好きと言ってしまいそうになった。この溢れんばかりの気持ちは案外頻繁に見え隠れしているので、別に今に越した事はない。




『そういえば、文音には好きな人がいるのよね。頑張りなさい。でも……もしも相手が屑だった場合は私がこの手で殺すから……』




 平然とした様子で物騒な事を言う玲奈ちゃんだが、私の好意には気がつかない。それどころか、私には玲奈ちゃんの他に好きな人がいると勘違いを起こしているのだ。


 昔からこうなので呆れてしまう。私は玲奈ちゃんに直接的に好きだとは言った事はないが、傍から見れば行動から察せる事が出来るだろう。だけど玲奈ちゃんはまるで盲目状態のように気がつかない。基本的に何でも出来る玲奈ちゃんだが、鈍感なのが欠点だろう。


 まあ、でもそのお陰で、私のこの気持ちは玲奈ちゃんにバレていない。もしもバレてしまうとこの関係が潰れると思うと、その方が良いのだろう。




「お待たせしました!」




 それなのに何故か痛む心を抑え、玲奈ちゃんの鈍感を仕方がないと思って結論づけていると樟葉ちゃんが帰って来た。


 それにより、遊びが続行され、取り敢えずゲームセンターから出ようという話になった。




「久しぶりにゲームセンターに来て楽しかったよ」




「はい。私も同じです」




 他愛もない会話を交わしながら、私と樟葉ちゃんが出ようとした。


 その時、私の身体が動かなくなった。この感じは初めてではなく、経験から玲奈ちゃんに憑依されているという事が直ぐに分かった。




「文音さん? どうかしましたか?」




「え? あ、ちょっと……」




 困惑している樟葉ちゃんだが、それは私も同じ。身体は玲奈ちゃんの意思によって動き出して、出口を逸れて何処かへと向かい始めた。




『玲奈ちゃん? どうしたの?』




『ごめんなさい。少しやりたいゲームがあって……』




 やりたいゲーム? 玲奈ちゃんがゲームセンターでやっていたゲームといえば……


 そう思い浮かべると、私には玲奈ちゃんが何処か向かっているのか? 予想する事が出来た。確か、店内の端っこの方にある台型のゲームが置かれているコーナー。そこに何十台も設置されている、俗に言う格ゲーと言われるゲームだろう。




「え? 文音さん、このゲーム出来るんですか?」




「え? あはは……まあ、少しは……」




 樟葉ちゃんが意外そうといった、珍しいものを見る目つきを私に向けてくる。


 それもそうだろう。何故なら、私が、いや玲奈ちゃんがプレイしようとしているのは有名な格ゲーであり、私に相応しいゲームではない。というか私は人生の中で、ゲームらしいゲームをした事がないのだ。




「手慣れていますね……」




「そ、そうでしょ?」




 私としてはこのゲームをするのは初めてだが、玲奈ちゃんがプレイする以上、熟練者のように振舞わないといけない。だって、玲奈ちゃんは何においてもトップに君臨する天才だ。当然、格ゲーの腕も天才的であり、負け知らず。




「す、凄いですね……」




「あ、あはは……」




 私は苦笑い浮かべているが、視線はしっかりと画面に釘付けになり、手は激しく動いている。しかも、それは精密であり、相手を圧倒して、なんと見る見るうちに相手の体力を削り、最終的にはノーダメージで倒してしまった。


 因みにこの格ゲーは店内で自動的にマッチングされて試合が開始されるのだが、その際相手の名前と全国ランキングの順位を知る事が出来る。今回の相手のランキングは低めだったが、それなりにプレイ時間を持っている熟練者だったのだろう。店内から断末魔のような魂の叫びが聞こえてくる。




「うう……ごめんなさい……」




 相手にとっては余程の屈辱だろう。だってデータを持っていないので、名前すらない初心者に蹂躙されているのだ。




『あと一戦出来るわね』




『え、ええぇ……が、頑張ってね……』




 相手の事を考えたり、演技をしないといけないと思うと玲奈ちゃんに負けて欲しいという気持ちが芽生える。しかし、それ以上に玲奈ちゃんにはトップに君臨して欲しい。勝って欲しいという気持ちの方が強く、私は何も出来なかった。




「あ、相手の人、ランキング一位ですよ!」




「う、うわぁ……勝てるかなぁ……」




 なんと奇跡的なのか、それともただの不運なのか、相手はランキング一位の人であり、名前はクロノという人らしい。どうやらこの店内の中、現在進行形でプレイをしているのだろう。




『倒し甲斐があるわ……』




 玲奈ちゃんは随分と気合が入っているようで、手首を軽く捻るとコントローラーを持つ。


 すると試合が開始され、玲奈ちゃんの手は俊敏に動いた。見た限り玲奈ちゃんは一方的にやられており、私ははらはらとしてしまう。




 流石の玲奈ちゃんもランキング一位には勝てないのだろうか?




『見切ったわ……』




 不安を覚えていると玲奈ちゃんがそう言い、その直後に戦況が一変した。


 玲奈ちゃんの体力が僅かという時、相手が油断したのだろう。玲奈ちゃんの攻撃が初めてヒットしたかと思えば、そこから続くような怒涛のコンボ。それは敵の体力をじりじりと削り、やがて勝敗が着いた。




「文音さん! 凄いです!」




 結果は私、いや玲奈ちゃんの大勝利。大ピンチからの逆転勝利は清々しいもので、見ていた私はすっきりとした気分になった。




「さ、さて、帰ろ……」




 玲奈ちゃんの用も終わった。そこで私が帰ろうと立ち上がり、振り返って固まってしまった。何故なら、そこには数十人の人だかりが出来ていて、皆が私に期待の視線を向けているのだ。




『ああ、そういえば、此処の試合画面はそこで見られるから……』




『えぇ! ばれちゃった……』




 そこというのは近くに設置された大きな画面の事だろう。そして、今気がついたが、その画面にはあの格ゲーの試合が表示されており、きっと店内の戦いをそこで観戦できるようになっているのだろう。


 つまり、この私を囲むように期待の眼差しを向けてくる人たちは先程の試合を見ていた。私がランキング一位の人を倒したと知れ渡ってしまっているのだ。




「樟葉ちゃん……逃げるよ!」




「え、ええぇ!」




 私は樟葉ちゃんの手を掴んで走りだす。


 そもそもランキング一位を打倒したのは私ではなく、玲奈ちゃんなのだ。大事にもしたくない私に残された選択種は逃げるという手段だけだった。




「ご、ごめんなさい!」




 囲いを振り切って、私は出口に向かおうとする。が、一人の男性が私の前に立ちはだかった。




「お前が名前なしの初心者か?」




 いや、女性だった。男性のような格好をしているが、女性のように高い声帯と体型からそう察した。




「違います」




 まるで男性のような女性に戸惑う事無く、私は即答した。


 だって、この目の前の女性。きっと玲奈ちゃんに負けたランキング一位のクロノさんという人なのだろう。物凄く怒っているように見え、関わらない方がいいと本能が訴えてきている。




「そ、それじゃ……」




 私は樟葉ちゃんの腕を引っ張って、クロノさんを避けて逃げよう。


そうしようとしたが不幸にもクロノさんは再び前に立ちはだかり、何が何でも私を帰らしたくないようだった。




「ふ、文音さん、この人の格好……」




「え?」




 そこで私はよくクロノさんの容姿を見てみる。睡眠不足なのか物凄い隈があり、女性らしい伸びた髪を上げるかのように青いバンダナを付けて、インドア派という事を察せられる。が、問題はそんな事ではなく、樟葉ちゃんは服装の事を言っているのだろう。


 問題となる服とは至って平凡な制服。それは日曜日なのに制服? という事ではなく、着目すべき点は制服が何処の制服か、だろう。




『この制服は私達と同じ高校ね。恐らくは一つ上よ』




『先輩なんだ……』




 正直、先輩だという事が疑しい程に背が低く、だらしない感じがするが、玲奈ちゃんが言うからにはその通りなのだろう。


 取り敢えず、このまま振り切って逃げたとしても同じ学校である以上、完全に逃げるのは不可能なため、私は大人しく説得する事に徹しようと決めた。




「ランキング一位の人を倒した名無しなら、確かに私ですけど何か用ですか?」




「いや、確認をしたかっただけだ……」




 それだけを言い残すとクロノさんは踵を返し、再びゲームをしに戻って行く。


 私と樟葉ちゃんはそれを確認すると、逃げるようにその場を後にした。




「あの人……確か同じ高校の二年生です。名前は知りませんが、見かけた事があるので覚えています」




「まあ、それもそうだよね……」




 クロノさんの格好はどう見ても異常だ。劣等感のような、負の感情を纏っているように重たく、目つきも悪い。少なくとも一度町中で見かけると暫くは記憶に残るような容姿をしていた。




「それでどうしようか? もう遅いし、解散にする?」




「うーん……そうしましょう……」




 樟葉ちゃんは考える素振りを見せると言い、その後に悲しそうな表情を浮かべた。


なんだかんだで樟葉ちゃんも楽しんでいたのだろう。だから、名残惜しく感じて切なくなる。私と同じ気持ちなのだ。




「あ、じゃあ家まで送るね」




 別れる時間を先延ばしにしたい。そう思った私は思いついた事を口に出す。




「えぇ! そ、そんなの悪いですよ!」




「遠慮しないで。もしも樟葉ちゃんに何かあったら、私は泣いちゃうだろうし……」




 それに私にはイデアがあるのだ。イデアは別に鏡結界でなくても使用する事が出来るので、仮に不審者が出たとしても樟葉ちゃんを守る事が出来るだろう。


 だから、私は樟葉ちゃんと帰る。その距離は以前より縮まり、歩幅もいつの間にか合っている。絆が深まった証拠であり、私は嬉しくなって笑みを浮かべてしまっていた。




『仲が良いわね……』




『楽しかったから……あ、でも私にとって一番は玲奈ちゃんだよ!』




 また玲奈ちゃんが嫉妬していると感じた私は本心を言う。


 幾ら樟葉ちゃんと仲良くなろうが、私にとっての一番は玲奈ちゃんであり、それはこれからも揺ぎ無い事。それを伝えたかったのだが、やはり言葉だけでは伝わらないようで玲奈ちゃんは不満なのか黙り込んでしまう。




「あ……」




「どうしたの?」




 急に立ち止まった樟葉ちゃん。その視線はとあるビルにいっていて、私は何事かと思って目を凝らしてみる。




『鏡結界ね……』




 そのビルのガラスはマジックミラーになっているのだが、なんとそこに鏡結界が出来ている。しかも大きさが尋常ではなく、きっと全てのマジックミラーが鏡結界になっているのだろう。




『とんでもなく強いんじゃ……』




 私は二回、鏡結界に行って化け物を倒したが、それは鏡自体が小さいので弱い部類に入る。それに比べて目の前の鏡結界はどうだ? 比べ物にならないくらいに大きいので、きっとヌシも途轍もないほどに強いのだろう。




「あれ……文音さんも見えるんですか?」




「え? うん、そうだけど……」




 私は樟葉ちゃんの疑問に答えつつも、ビルの周辺を確認する。


 他にイデアを持っている人がいないのか? そう思ったのだが、生憎見当たらない。やはり私が行くしかないのだろう。




「樟葉ちゃん……やっぱり一人で帰れる?」




「あ、はい。もしかして……」




「うん。私、行かないといけない……」




 樟葉ちゃんは私が今から何をするのかを察したようで、心配そうな視線を送ってくる。それは有難い事だったが、事態は深刻だ。感情に浸っている暇はなく、私は樟葉ちゃんを帰そうとする。




「……分かりました。無事に終わったら、連絡をくださいね」




 不服そうだが何とか聞き入れてくれた樟葉ちゃんは駆け足で私から離れていく。


 彼女の後ろ姿は角を曲がった事により、直ぐに見えなくなった。




「よし……」




 後は私が鏡結界を潰すだけなのだが、正直怖くて身体が震えている。しかし、今この場でイデアを持っている人物が私だけだとすれば、やらないといけないのだ。




『文音、待ちなさい』




『うぇ? ちょ、玲奈ちゃん?』




 玲奈ちゃんによって身体が動き、私は電柱の陰に隠れる。




『よく聞きなさい。あれは放置して帰るのよ』




『え? でも、そんな事したら……』




 色んな人に被害が出るだろう。私はまだ犠牲になる瞬間を見た事はないが、どうなるかは予想できる。




『あの鏡結界は大き過ぎる。恐らく、百人以上は犠牲になっているわ……』




『ちょ、ちょっと待って!』




 玲奈ちゃんの予想を聞いた私は声を荒げてしまう。何故なら、百人以上なんて規模が違い過ぎて、疑問を抱いてしまった。本当に百人以上の犠牲がいたら、ニュースなどに載る筈だろう。


 しかし、私はそんな話を聞いた事はなく、学校の皆も至って普通だった。それが何を意味し、目の前の鏡結界の正体は何なのか? 玲奈ちゃんは分かっているのだろう。




『気がついたようね。私の推測では、この鏡結界はマストの実験か、何かの施設でしょうね。関わらない方がいいわ』




『で、でも、放っておいたら!』




 マストの狙いは分からない。だけど、放っておいたら犠牲者が出るかもしれない。マストがこの鏡結界を管理していたとしても、何かしら犠牲者が出ている可能性はゼロではないのだ。


 食い止めるためにも、確かめるためにも、私は行こうとするが玲奈ちゃんによって防がれる。




『マストは民間人を平気で殺すような奴らよ。目の前の鏡結界を見たら分かるでしょう? 行くのはやめなさい!』




 珍しく強く言ってくる玲奈ちゃん。焦りを感じ、本当に私を心配している事が分かる。


 だけど、その発言で私は余計に行かなきゃならないと感じた。玲奈ちゃんが危険視するマストという組織。その危険でやり方が間違っていたら、私はその間違いを正さないといけない。


 例え、正す事が出来ないとしても、せめて上の立場の人に一言責めてやりたいのだ。




『どうしても行くのね?』




『…………』




『分かったわ。それなら、出来る限りのサポートはする』




 玲奈ちゃんには悪いが、私の意思の強さは伝わったようで了承してくれた。それだけで私は強くなれ、勇気をも貰える。




「それじゃあ行くね……」




 私は誰に言う訳でもなく、そう言い残すとビルへと近づいたのだが、鏡結界との距離が短くなるほどに違和感を抱く。




『人気があまりないわね……』




『あ、確かに……』




 違和感の正体はそれだ。このビルは大きくて、この街には似合わない。それは街の中心に建っているのだが、不思議な事に人気がない。いや、いる事はいるのだが、それでも違和感を抱くほどに静かなのだ。




『きっとマストが何か……来たわね……』




 玲奈ちゃんの言葉に被せるように、マストソルジャーたちが姿を現す。


 それらは前に見た霧風さんの部下のように思えたが、所属が違うのかスーツに入った線の色が違った。




「貴様はイデアの所有者の神楽刃文音だな。此処を通す訳にはいかない」




 マストソルジャーの中の人たち言葉遣いがきついだけでなく、まるで私を見下すような態度でそう言ってくる。


 やはり玲奈ちゃんの言う通り、マストはどうしようもない組織なのだろうか? しかし、その権力はやはり凄いのだろう。私を警戒しており、いつでも戦闘になってもいいように周囲に他の兵士が潜み。隠蔽のためか人気は完全になくなっていた。




「どうしても駄目ですか?」




 駄目もとで私が尋ねてみると無言でマストソルジャーは銃を向けてくる。


 それに苛立ってしまった私は声を荒げて聞いた。




「此処で何をしているんですか! なんで鏡結界を放置しているんですか!」




「マストに所属していない貴様には関係ない」




 私の疑問に答える事無く、冷たく言い放ったマストソルジャー。その凍てついた視線はマスク越しでも伝わってくる。




『文音、此処は私に任せてくれないかしら?』




『うん。そうしてくれると嬉しいかな……』




 強行突破を考えたが、生憎私はマストソルジャーに囲まれており、きっとイデアを手にしようとすると無慈悲にも撃たれてしまう。玲奈ちゃんから聞いたマストという組織が最悪ならば、そういう展開になるだろう。


 しかし、だからといって大人しく帰る訳にもいかない。だから玲奈ちゃんの提案は嬉しいものだった。




『丁度良かったわ。こいつらには恨みがあるし、何よりも私もこの鏡結界の正体が知りたい』




 玲奈ちゃんは余程マストソルジャーを恨んでいたのか、少し覇気のある声を出すと私から身体の主導権を受け取る。




「あ、霧風さん……」




「何ッ!」




 私、いや玲奈ちゃんは目の前から視線を逸らして、そう呟くとマストソルジャーは見るからに慌てて振り向いた。その隙を見逃さない玲奈ちゃんは急いで鞄からイデアを取り出して変身をする




『contract』




 変身完了の音声が流れても、玲奈ちゃんは動きを止める事はない。




「な! おまえ! うぐっ!」




 俊敏な動きで目の前のマストソルジャーを峰打ち。そして、流れるようにダメージを受けて倒れこむマストソルジャーの背後に回って首に刃を添える。


 それは人質のようなものだったのだろう。峰打ちだったので死んではいないし、これなら敵の増援が来ても優位に立つことが出来る。


 まるで脳裏に浮かんだ展開を迅速に行動したようで、一言で表すならプログラム。私は感心のあまり、流石は玲奈ちゃんだと心の中で思うしかなかった。




「撃て! 殺してかまわない!」




『え? 撃つの?』




 隠れていたマストソルジャーたちは玲奈ちゃんの強行突破に触発されて、蜂のように続々と出てきた。それまでは良かったのだが、まさかの発砲をしてくる。その攻撃は人質の事など気にしていないようで、鉛の弾幕が玲奈ちゃんを襲った。




「やはりね! こいつらは仲間なんてどうでもいいと思っている!」




 予想通りだったが、嫌な展開でもあったのだろう。玲奈ちゃんは声を荒げて、そう言い放つと人質を気絶させて地面に放置。そのまま大きく空中へ跳んだ。変身状態ならば身体能力が強化されているので、ビルの五階に指摘する高さにまで及ぶ。


 するとマストソルジャーたちの銃口は一斉に上へと向く。が、標準を合わせるのが難しいようで殆どが外れてしまっていた。




「こんなもの!」




 しかし、相手は連射の効く銃なので数を増やして命中させるタイプだ。だから数発は命中するのだが、玲奈ちゃんはそれを見切って刀で叩き斬る。そして、その間に鞄からとあるものを取り出していた。




『文音! カードを使わせてもらうわよ!』




『え、うん!』




 咄嗟に返事をした私だったが、正直状況が状況なので何の事なのか理解出来ていない。


 玲奈ちゃんが鞄から取り出したのは、私がこの前の鏡結界で苦戦を強いられたヌシの絵が書いたカード。喫茶店で霧風さんがくれた、あのカードだった。


 カードの使い方は分からない。ただ玲奈ちゃんに持っていた方がいいと、強く勧められたので持ち歩いていたのだが、その用途が今明らかになるのだろう。




scanスキャン




 カードを刃の側面の細長い溝。そこに通したかとカードは光の泡になり、いつものような音声が短く鳴る。これだけでは何が起こったのか? または変わったのか? 私は命の駆け引きをしているというのにドキドキとしてしまっていた。




『え? 玲奈ちゃん? まさか!』




 そんな私の期待に応えるかのように玲奈ちゃんは可笑しな姿勢を取る。それは地面に着地する態勢でなく、まるでプールに飛び込むかのように背筋をピンと伸ばして、槍のようになっていた。




『あれ?』




 私が戸惑っているうちに地面と身体が接触した。そう思ったが衝撃は来ず、視界はぼやけている。例えるなら水中にいるようで、私は意味が分からずに頭の中は疑問で敷き詰められた。




「なに! 地面に潜っただと!」




 地上から聞こえてくるマストソルジャーたちの驚愕の声を聴いて、私は理解した。


 玲奈ちゃんはあのカードを使う事によって地面に潜ったのだ。慮ってみるとカードのヌシは蚯蚓のような化け物。つまりはカードに描かれたヌシの特性を使用できるようになるのだろう。


 成程。確かにカードは持っておいた方がいいが、一度使うと消滅してしまうあたり、あまり無駄遣いは出来ない。




「一気にキリをつけるわよ!」




『頑張って!』




 これは後に気がついた事だが、カードによっては効果時間なるものがあり、恐らく玲奈ちゃんが使った蚯蚓のカードは短かったのだろう。


 意気込みを入れた玲奈ちゃんは地上に飛び出ると、そこからの行動は俊敏で、本当に凄かった。




「うぐっ!」




「うぅ……つ、強い……」




 ゲリラ兵の如く奇襲を仕掛け、次々とマストソルジャーたちは一閃のような峰打ちをもらい、最終的に地面に立っているのは私と玲奈ちゃんだけ。まるで稲妻が走ったかのような、物凄く速くて鋭い攻撃は玲奈ちゃんだからこそ出来るのだろう。




『身体を返すわ』




『あ、うん! やっぱり玲奈ちゃんは凄いね!』




 身体の主導権を返してもらい、そのついでに私は玲奈ちゃんの事を褒める。お世辞などではなく、本当に尊敬していて、今回の戦いも良い経験になったと思った。


 さて、兵士たちを倒したからといって終わりではない。今から鏡結界に入る事になり、言わばこれからが本番なのだ。




「入ろう……」




 覚悟を決めた私は鏡結界に触れる。するとあのぐるぐるとした、酔いそうな感触に吐きそうになるが我慢をする。もう三回目だったが、全く慣れる気配が無かった。

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