浮上する、そして蟠り

 私が霧風さんと出会って、一日が経った朝。すっかりと吹っ切れた私は玲奈ちゃんに近づくという目標から、張り切って学校へと登校していた。


 勿論、私の心構えが変わったとしても世間の目は冷たいままだ。通学路だけでなく、教室に入った時でさえ、蔑みを含んだ視線を向けられた。だけど心に玲奈ちゃんがいてくれる。それだけで安心できて、いつもよりも自分が強くなっているように思えた。




「さて、昼休み……」




 そして、今の時間は昼休みでそれまで耐える事が出来た。いや、耐えるというよりは私はいつもの私でいられただけで、何も我慢をしていた訳ではないだろう。




『貴方、本当に文音よね?』




 教室で昼食にしようかと思ったが、偶には屋上で食べるのもいいだろう。そう思って私がお弁当を手に教室を出ると急に玲奈ちゃんの声が脳内に響く。




『どうしたの?』




『いや、朝からの文音を観察しているとどうしても別人のように思えて……』




『ひ、酷い……』




『ち、違うの! 本当にそう思っている訳ではないわ!』




 慌てる玲奈ちゃん。その言い分をよく聞いているとどうして玲奈ちゃんが私を別人だと疑うのか、真相が見えてきた。


 それは心構えだ。今日の私は普段の私よりも積極的で、その理由は先程も言った通り玲奈ちゃんが身近にいてくれるから。だからいつものようにもじもじとしていないし、周りの視線なんて気にしない。それどころか先生に当てられたとしても問題をすらすらと解いて、体育でもそれなりにいい成績を残す事が出来た。




『私がいつもより立派に見えるのは玲奈ちゃんが見守ってくれているからだよ!』




『そう……照れるわね……』




 私がその秘訣を言うと、玲奈ちゃんは本当に照れているようで黙り込んでしまった。




「あ……」




 やがて屋上へと辿り着いた私は重たい扉を開けると、目に飛び込んできたのはベンチに座る一人の女子生徒。その生徒は昼食を摂っている訳でもなく、ただ金網に触れて儚そうにしている。




『珍しいわね』




 玲奈ちゃんがそう言い、私は心の中で同意をした。


 何故なら、この学校の屋上は滅多に人がいない所であり、尚且つお昼休みに何もせずにただ黄昏ている。その光景は普通ではなく、異様とも言っていいものだ。




「あのー……何をしているんですか?」




 私は思い切ってその生徒に話しかけてみた。純粋に興味を持ったのが原因で、別に下心などは宿していない。私は玲奈ちゃんが好きなだけで、女性なら誰でもいいとか、そんな女たらしの屑ではないのだ。




「あ、その……」




 目の前の彼女は漸く私の存在に気がついたようで、オドオドとしている様子を見せる。頬を赤らめている事から、羞恥を覚えているのだろうと予想が出来た。




『この子……何処かで見覚えが……』




『え? そりゃ同じ学校だし、何処かですれ違ったんじゃない?』




 玲奈ちゃんの気になる発言から、私はさっと彼女の顔と容姿を確認してみる。


 腰まで伸びた青色の髪に、それと同じ色の瞳。青色と言っても、ただの青ではなく深い深海のような落ち着いた青。背丈は私よりも低く、一目で人見知りだろうと察せられる風貌で、肌も雪のように白かった。




『思い出した。過去に私が鏡結界からその子を助けたのよ。その子はイデアに触れずとも鏡結界が見える、珍しい人間だから見覚えがあったのね』




『そうなんだ……』




 納得している玲奈ちゃんだが、私は腑に落ちなかった。


 目の前の彼女が特殊な人間だという事は分かったが、結局は何も分かっていない。性格や名前さえも分からないので、私が尋ねようとした時だった。




「え、えっと文音さんですよね?」




 視線をあちこちに行かせていた彼女が急に口を開いた。それにより私の勇気は空振りに終わったが、それでいいだろう。これで会話が出来る。




「私の事を知っているの?」




「は、はい。私は三原みはら樟葉くずはと言います」




「そっか……じゃあ樟葉ちゃん、そこのベンチで私とお喋りでもしよう!」




 そう言って私は樟葉ちゃんを誘導し、隣通しで会話を楽しんだ。


 今、思い返してみると私がまともに玲奈ちゃんと以外と会話を楽しんだのは、この高校に入学してから初めての事だろう。それなりに楽しく、新たな楽しみを開拓した気分だった。




「へぇー、私の事を知っているのは玲奈ちゃんと一緒によくいたからかぁ……玲奈ちゃんとは友達なの?」




 当然、玲奈ちゃんから友達という事は聞いていないので、それは違うのだろう。しかし、樟葉ちゃんが玲奈ちゃんをどう思っているのかを無性に知りたかった私はつい衝動的に聞いてしまった。




「……実は過去に玲奈さんに助けられた事があって、それ以来お礼を言おうとずっと思っていて……」




 助けられた事とは玲奈ちゃんが言っていた鏡結界の出来事だろう。


 私はそこに居合わせた訳ではないので、玲奈ちゃんが樟葉ちゃんを助けたという結果しか知らない。けれど樟葉ちゃんはそれで大変な目に遭って、尋常ではない恐怖心を抱いた筈。事実、鏡結界に初めて巻き込まれた私がそうだった。




「でも玲奈さんがあまりに人気者だったから、恥ずかしくて近づけなくて……で、どうしようかとずっと悩んでいたらこの間に亡くなって……」




 樟葉ちゃんの気持ちを考えると悲しくなり、私は掛ける言葉が見当たらない。口が接着剤でも付けられたかのように固くなり、身体は自然と強張った。




「樟葉だったわね……」




 私が樟葉ちゃんの気持ちを察して泣きそうになっていると、口が勝手に動いた。


それは玲奈ちゃんが動かしている証拠で、私は特に抵抗もしない。その方が樟葉ちゃんのためになると思ったのだ。




「えっと……文音さん?」




 きっと樟葉ちゃんは私の雰囲気が変わった事に気がついたのだろう。表情からは困惑が見て取れたが、玲奈ちゃんは続ける。




「貴方がそうやって想ってくれていたのは嬉しいわ。でも、いつまでもそうしている訳にはいかないでしょう? 自分のやるべきことを見つけて、それに向かって突っ走りなさい」




 その玲奈ちゃんの言葉を聞いた私はずきりと胸が痛んだ。その感じ方から樟葉ちゃんに同情した訳ではない。もしも同情ならば、こんなにも心がむかむかとする訳がないのだ。




「……なんて、玲奈ちゃんだったら言うと思うよ!」




 身体が自由になった私は痛む胸を無視しながら、作り笑いして樟葉ちゃんに言った。


 幾ら何でも憑依した玲奈ちゃん自身の言葉だ、なんて事は言える筈がないのだ。




「あ、あはは……そうですよね? でも玲奈さんらしくて、心が楽になりました……」




 樟葉ちゃんは先程の曇った表情からは想像のつかないほどの、綺麗な笑みを浮かべており、私の隣にいた玲奈ちゃんは満足そうに頷いていた。が、私は良い気持ちにはならず、寧ろむしゃくしゃとしてしまっている。


 この時、自分の気持ちを再確認してみた私はこの溢れんばかりの感情が何なのか? 直ぐに分かった。私は嫉妬しているのだ。助言を貰って元気を出した樟葉ちゃんに、満足そうな笑みを浮かべている玲奈ちゃん。その光景が私をイライラとさせ、心の中は玲奈ちゃんを独り占めしたいという気持ちでいっぱいだった。




「……文音さんは龍の存在を信じますか?」




「え? 龍?」




 急に質問された私は呆気に取られる。それも内容が龍という非科学的であり、私にとって忌々しい単語だったので尚更だ。




「……そうだね。いると思うよ」




 私は以前、龍と出会った山の方角を見る。


 確かにあの時、私と玲奈ちゃんは龍に襲われて、絶望へと落とされた。それは深海のように深く、地獄のようだったが今では這い上がろうとしている最中だ。




「あの龍はなんだったのかしらね……」




 思い返していると、不意に玲奈ちゃんが呟いた。その視線はばっちりとあの山の方へ言っており、私は同意するように頷いた。尤も樟葉ちゃんには私と玲奈ちゃんのやり取りが分からないようで、ただ物思いに耽っているようだ。


 あの龍は未だに謎に包まれている。龍のような形をしているのは確かだが、ロボットのような風貌をしていて、正体の見当もつかない。それは玲奈ちゃんも同じらしいが、何か予想をしているらしく、難しい表情を浮かべていた。尤も、確かになるまで教えてはくれない。




「私は……以前に龍を見ました……」




「そうなんだ……」




 樟葉ちゃんは私と同じ方向の山を見つめて、そう言った。


 きっと樟葉ちゃんが見た龍というのは、私たちを襲った龍の事なのだろう。という事は他にも目撃者がいるのだろうか? いたとしたら、何か手掛かりを得られるかもしれない。




「この辺りの地域では龍は願いを叶えてくれる存在。そう言い伝えられています」




 そういえば私も祖父にそんな事を言い聞かされた気がした。しかし、もう遠い昔の事なので会話の内容などは覚えていないが、もしもそれが本当なら……




「だから、私はこうして此処に来て、毎日のように龍の姿を探していたんですが、それも今日までにします。玲奈さん、いえ文音さんに言われたので……」




「そっか……」




 どうしてそうまでして龍を探していたのか? きっと樟葉ちゃんは龍に会って玲奈ちゃんを生き返らせてもらうつもりだったのだろう。


 龍は確実に存在し、それに纏わる伝説もある。そして、その伝説で玲奈ちゃんが生き返る可能性が少しでもあるのなら、私のやる事は決まっており、それは樟葉ちゃんの意思を継ぐ事。




「……そういえばお昼ご飯食べないんですか?」




「え? ああ! 忘れた!」




 玲奈ちゃんは私を庇って死んでしまい、それで良いと言っている。私はそれについてはもう何も言わないが、やはり周りの人はそうはいかないのだ。


 街の人は玲奈ちゃんの死を悲しみ、樟葉ちゃんだってそうだ。勿論、その中には私も入っており、誰もが生き返る事を望んでいる。ならばやるべきことは一つだろう。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る