闇の底には何があるのか?
あの時の衝撃は忘れられない。再び私に襲ったのは絶望であり、それもどん底。
一度は玲奈ちゃんに謝る事が出来て希望に近づいたが、また奈落という絶望へと落とされてしまったのだ。
「ねぇ! どうして言ってくれなかったの!?」
カーテンが閉められていて、薄暗い自分の部屋。そこには沢山のぬいぐるみが置かれていて、机の上は小綺麗だろう。女性らしい部屋だと私は自覚している。
しかし、ぬいぐるみを集めるような可愛らしい女性の欠片がないほどに私は怒っていた。電気を点けることを忘れるほどで、家に帰って直ぐに自室に閉じ籠り、こうして玲奈ちゃんを責めている。
「…………」
黙り込む玲奈ちゃん。
私は滅多に怒らない。それも玲奈ちゃんに怒りを抱いた事など人生で一度も無く、これが最初になる怒りだった。
そもそも、私は何に対して怒っているのか? 事の要因となったのは現実世界に帰ってきてから掛かってきた一本の電話。それは祖父からであり、内容はこうだった。
『さっき結崎さんの死亡が確認された』
意味が分からないだろう。確かに大怪我をしていたが、峠は越えたので死ぬ予兆がなかったのにも関わらず、玲奈ちゃんが死んだ。祖父は嘘を吐かないので、それは確かなのだ。
私は近くに居た魂だけである玲奈ちゃんを問い質した。
『契約すれば身体と魂は完全に切断される。つまり身体は滅んでしまうの……』
何事も無かったかのように言った玲奈ちゃんだったが、私はその言葉が妙に頭に響いて完全に理解するまで一分ほどを掛かってしまった。
そう、私が契約したが故に玲奈ちゃんは死んだのだ。だから、私はこうして玲奈ちゃんを怒鳴りつけている。
どうしてあの時契約したのか?
どうして?
と何度も彼女に強く当たってしまっていた。
それは一時の気の迷いで、本当の私は分かっていた。玲奈ちゃんは私を守るために命を投げ捨ててくれたのだと。だから私はありがとうと素直に伝えるべきだっただろう。
だけど、あの時の取り乱した私は納得できなかった。それを信じたくなかった。だから玲奈ちゃんに強く当たる。俗に言う八つ当たりだったのだ。
「……私と契約しなかったら文音は死んでいたわ」
「だからどうしたの! 私なんて死んだ方が――」
私が怒鳴っている途中、急に冷や汗をかいて身体が硬直した。まるで喉元にナイフを突きつけられているようで、身の危険を感じる。殺気をぶつけられたのだろう。
そして、その殺気は明らかに玲奈ちゃんから漏れており、今まで初めて見るほどに怒っている事が感じられる。俯いているので表情は見えないが、纏っている雰囲気がピリピリとした、まるで先生が生徒を説教するアレだった。
それから玲奈ちゃんは再び私の前からいなくなってしまった。何処に行ったのか? 当時の私はそれを考えもせずに、ただベッドを涙で濡らした。
それと学校には行かなくなった。どうせ皆から蔑みを含んだ視線を向けられ、それに耐えられる自信が無かったからであり、本当に自分を不甲斐なく思う。
「お腹空いた……」
電気も点いていない闇のように暗い部屋の中、私はベッドからのそのそと這いずるように出て、そのままキッチンへと向かった。
いい加減何も食べていないので食欲に限界が来たのだ。私だって落ち込みはしているが、こんな事で死にたくはなかった。
「あれ? 何もない……」
冷蔵庫を開けて、戸棚と開けてみたが、家には何もなかった。そもそもいつもは私が祖父の代わりに料理をして、買い出しをしていたので当たり前だろう。
となると祖父は外食でもしているのだろうか? 私はそんな事を考え、申し訳なく思った。それと同時にいつまでもこうして鬱を患って、不登校になっている訳にもいかないと思った。少なくとも祖父は私を心配してくれている筈だ。
だから、私はその第一歩として、取り敢えずは外に出てみよう。ついでにコンビニにでも寄って腹を満たせばいい。そんな考えを抱いて、私は用意をして外へと出た。
五日ぶりの外はいつも以上に眩しい。まるで絶望のどん底にいる私を煽っているようだったが、我慢をしてパーカーのフードを深く被る。
「玲奈ちゃん……何処に行ったのかな……」
そこで漸く私は玲奈ちゃんの事を気にかけ始め、そう呟いた。
そうする事でひょっこりと出てくるのでは? という淡い希望を抱いていたのだが、やはり現実は思い通りにいかないものだ。
「…………」
いざ、こうして外に出て見て、私は肝心の事を忘れていた。それは街の雰囲気だ。
全員とまでは行かないが、大人たちの私を見る目は冷たい。自意識過剰かもしれないが、既に玲奈ちゃんが死んだ事は広まっているだろうし、少なくとも快く思っていない事は確かだろう。
だから私は道を逸れて、路地裏に入った。折角、前向きになるために闇に紛れては意味がないだろうが、私は弱いのであの圧に耐える事はできない。
「きゃあっ!」
フードを深く被り、背後からの笑い声を気にしていた所為か、前方不注意で何かにぶつかってしまい、その勢いで尻餅を突いてフードが外れてしまう。
「あ? 確かお前は……結崎さんの子を殺した……」
「ひっ! ち、違う……私は殺してなんか……」
私の目の前に立ちはだかったのは身体つきの良い男性。きっと身体つきから工事現場なので力仕事をしているのだろうが、問題なのはその目つき。まるで汚物をみるような、どろどろとした瞳をしていて、発せられた言葉から私へ憎しみを向けているのは確実である。
そんな風に負の感情を露わにしながら、じりじりと近寄ってくる男性に私は強い恐怖心を抱いた。
『玲奈ちゃん! 助けて!』
心の中ではそう強く想い、結局私は玲奈ちゃん頼りなのである。
するとその想いに応えるかのように路地裏に誰かが駆ける足音が聞こえ、それは私の前に止まった。まさか玲奈ちゃんが来てくれた? などといった期待を抱いてしまうが改めて考えるとあり得ない。そもそも玲奈ちゃんは私と契約をして既に死んでいるのである。
「可愛い少女を虐めるなんて感心しないですよ?」
「あ? だってそいつは――ひっ! す、すみませんでした」
目の前に立った高慎重な女性は私を庇ってくれたようで、男性は何かに怯えたように逃げていく。そんな状況に呆気に取られていると女性はくるりと此方に振り返った。
「大丈夫ですか?」
その女性は一言で言うと綺麗。肩まで伸びた小麦色の髪は棚引き、瞳は青い海のように深くて澄んでいて美しい。肌も白くて、きっと外人さんなのだろうと私は何となく察したが、日本語は偉く流暢だ。
「あ、ありがとうございます……」
分析もほどほどにして、私はそんな彼女にお礼を言う。
すると彼女は何か思うところがあるのか、私の顔をジロジロと見る。視線は舐めまわすようで、足の先から頭の天辺まで観察しているように思えた。
その視線に下心は垣間見えないが、少なくとも良い気持ちではない。寧ろ不快に思ってしまう。元々容姿に自信がある訳でもなく、服装も普段着だったのもあり、恥ずかしくなった。
だから、私は自分の顔が赤くなるのを感じつつも尋ねた。
「えっと……どうかしましたか?」
「いえ、貴方の事……何処かで見たような気がします。玲奈という子を知っていますか?」
「れ、玲奈ちゃんと知り合いなんですか?」
玲奈という言葉から、私は思わず聞き返してしまう。まさか、玲奈ちゃんとは無縁そうな外人の女性から、玲奈という名前を聞くとは思いもしなかったのだ。
「私は
「わ、私は神楽刃文音……です」
私が名前を答えると、霧風さんは目を大きく見開いた。
そして、直ぐに冷静を装うかのようにうんうんと腕を組んで頷くとそのまま考えこんでしまう。
「あの……玲奈ちゃんと知り合いなんですか?」
もう一度、同じことを尋ねた。こちらから話題を出さないと、相手はそのまま立ち去ってしまう感じがしたのだ。
霧風さんは私の顔を見つめる。一体、どこを見ているのかは分からないが、恐らく瞳だろう。途中で恥ずかしくなった私は視線を逸らしてしまった。
「彼女とは……元友達でしょうか……」
そう言った霧風さんの目は何処か遠く、仄暗い雰囲気を醸し出している。まるで追想に耽っているようで、私を視界に映していないようだった。
「良かったら、話しを聞かせてくれませんか? 実は彼女が死んだと聞いて、隣町から駆けつけて来たんです」
「え?」
霧風さんの発言から玲奈ちゃんを心配して此処に来たことが分かった。
それは誇らしい事で、少なくとも貶すような事ではない。しかし、私は妙に怖くなった。目の前の霧風さんは玲奈ちゃんを死んだと知っている。そして、玲奈ちゃんを殺したのは紛れもない私。全てを知った時、霧風さんはどう思う? 私を恨む? 殺す? 少なくとも良い気持ちにはならないだろう。
私はそう考え、臆病になってしまったがために、首を横に振ってその誘いを断った。
「そうですか……。なら、一応私の連絡先を教えておきます。何かあれば連絡をください。玲奈さんが死んだ今、貴方が一番辛いでしょうし、相談にのりますよ」
「あ、はい……」
連絡先が記された名刺を私が受け取ると、颯爽と去っていく霧風さん。玲奈ちゃんとはまた違った格好良さを含んでおり、少しだけ惚れ惚れとした余韻に浸ってしまった。
「って、どうして私が一番辛いって分かるんだろう……私と玲奈ちゃんが親しい事を知っているのかな……」
それについて否定はしないが、霧風さんが分かるのは慮ってみると可笑しい。そこに気がついた私だが、真相を確かめようとしても霧風さんは既に路地裏から出て行ってしまっている。
今から追えば間に合うかもしれないが、そこまで重要な事でもないため、気に留めない。そう判断し、私は受け取った名刺に目を通した。
「え……」
そこに書かれていたのはミストコーポレーションという文字に、添えられた代表取締役という文字。つまりは社長という事になるのだが、私が驚いたのはそこではなかった。
「ミストコーポレーションってあの、ミストコーポレーションだよね?」
思わず自問自答してしまうほどの驚き。何故なら、ミストコーポレーションと言えば大手の会社で、主に家電製品を中心に展開している会社なのだ。そんな社長が私の目の前に? ましてや玲奈ちゃんの知り合いだった? その事実が驚きで、呆気にとられてしまうのだ。
「そうよ。あのミストコーポレーションよ」
「やっぱり……って! 玲奈ちゃん!」
いつの間にか私の隣に立っていた玲奈ちゃん。きっとあのやり取りを見ていたのだろうが、何処か不機嫌そうにも見え、私は戸惑ってしまう。
「少しの間、貴方と距離を置いてしまってごめんなさい。少し調べたい事があったの。それで文音は冷静になれた?」
「あ……」
玲奈ちゃんに質問されて、私は喧嘩していた事を思い出す。が、もはや冷静になれていたので少しも怒りは沸いてこなかった。やはり時間が空いたからだろうか? 今ではこの状況を受け入れてしまっている。
「ごめんなさい。折角、玲奈ちゃんが助けてくれたのに、酷い事を言って……無下にする事を言って……」
「分かってくれればいいのよ」
玲奈ちゃんは満足したかのように長い髪を片手で梳くと私の頭に手を置いた。いや、玲奈ちゃんは死んでいるので実際には触れてはいない。形だけ手だけを差し伸べて、撫でてくれた感じだった。
触感的には何も感じない。だけど玲奈ちゃんの温かさは伝わってくる。それは心地よいもので、目を瞑れば眠ってしまいそうなほど。しかし、此処は路地裏なためそうする事は出来ない。だから顔を上げて、玲奈ちゃんを見つめた。
玲奈ちゃんの表情は凛々しくて、それでいて優しさを感じられる。とても良い表情で、私は見惚れてしまった。そして、ふと思った。
「私、玲奈ちゃんのように強くなるから、これからも一緒にいて応援して欲しいな……」
「一緒にいるのは当たり前じゃない。強くなるなら鍛えてもあげるわ」
言葉にした私の想いに、玲奈ちゃんは笑顔でそう答えてくれた。
本当に玲奈ちゃんは優しくて、私の憧れであり愛している人でもある。それは例え彼女が死んだとしても変わるものではなく、決定的なものだと私は確信を抱いた。
それから私は表へと出て、堂々と商店街を歩いた。向けられた視線に憎しみが含まれているのはヒシヒシと伝わったが、いつまでも逃げている訳にはいかない。玲奈ちゃんが近くにいてくれるだけで、心の中に存在してくれるだけで、私は無限に強くなれる。
「そうだわ。この前の異世界の事とかを説明をする。といっても私は簡単にしか知らないから、そこまで期待しないでBGMと思ってちょうだい」
玲奈ちゃんは徐に説明を始めた。それは簡単と言いながら難しいもので、歩いている時とコンビニで買い物をしている時。ずっと私は難しい表情をしていただろう。
「ふぅ……」
取り敢えず、家に戻る意味もないため、私は公園のブランコに座り込む。そして、ビニール袋から買ってきたあんパンと牛乳を取り出した。決して探偵とか刑事を意識したわけではない。昔からこのセットが好きなだけなのだ。
「それで分かったかしら?」
「まあ、大体は……」
本当にBGMとして聞いていたため、分からない所、疑問に思った所があっても聞き返さなかったからか、全てを理解した訳ではない。しかし、それでも大筋は理解できただろう。
先ず、あの化け物がいた世界は鏡結界と言い、鏡に表れる未知の結界の事。それらは放置すると人類に危害が来るため、早急に対処しないといけない。その対処とは、結界に入って鏡結界のヌシ、所謂ボスを倒すことを対処といい、それを達成するために作られたのがイデアと呼ばれる剣の柄のような武器。
イデアは何の攻撃性も持たないただの剣の柄。しかし、生物と契約する事によって力を発揮し、その生物の特徴にあった形と力を発揮するらしい。
玲奈ちゃんから聞いた情報はそれだけで、今思えば大分と簡潔だった。本当に子供に説明するかのようなあっさりとしていたので、きっと一気に説明しても頭に入らないため重要な部分だけ伝える。玲奈ちゃんの気遣いだったのだろう。
「それなら私はどうすればいいの? 人を助けるために鏡結界を潰した方がいいよね?」
「やめておきなさい。過去に私はイデアを持って戦っていた。けれど碌な事はないし、何よりも命を危機に晒すだけ……貴方が死んだら、大怪我でもしたら、私は……また……」
絞ったかのように小さくなっていく言葉。それに比例するかのように玲奈ちゃんの表情は暗くなり、手に力が入っているようだった。
そんな彼女を慰めるために、私は今すぐにでも触れたかった。いや抱き締めて、愛の言葉を囁きたい。けれど玲奈ちゃんは既に死んでいる人間であり、肉体はない。触れられる筈が無く、ただ黙々とあんパンを食べることしか私にはできない。
暫くして、食事を終えた私は立ち上がって、帰ろうとした。これ以上、公園にいる意味もなかったのだが、出ようとした時に気がついてしまった。
「イデアが光っている?」
鞄の中に入れたイデアが点滅しているのだ。きっと何か意味があるのだろうが、それを知らない私は無言で玲奈ちゃんに視線を注ぐ。
「それは近くに鏡結界が現れたという意味よ。イデアには鏡結界を探知する役割もあるのよ。あまり役に立たないけど……」
その言葉を聞いた私は居ても立ってもいられなくなった。玲奈ちゃんに関わらない方がいいと忠告されたのにも関わらず、自分から足を突っ込む勢いで鏡結界を探す。
「あった!」
それは直ぐに見つかった。公園の公衆便所のお手洗いの部分に設置された大人の上半身並みの大きさの鏡。
その鏡の中央には渦潮のような何かが渦巻いている。それはブラックホールのようで、本能的に危ないものだと察せられ、私の身体が近づく事を拒んでいた。だから、鏡の前で立ち往生をしているとふと個室の扉が開かれた。
出てきたのは小学生くらいの女の子であり、私は危ないと思い、少女を避難させようと思った。しかし、驚くことに少女は普通に手を洗うと私を不思議そうに見つめながら出て行ってしまったのだ。
「鏡結界は普通の人には見えないわ。見えるのは素質がある人か、イデアを一度でも手にした事があるかの二つよ」
「そうなんだ……」
玲奈ちゃんの説明だと私は後者の方になるが、そんな事はどうでもいい。今は目の前の鏡結界をどうにかしないといけないのだ。
「私が止めても行くのよね?」
「ごめんね。やっぱり私には放っておくことができない」
もしも私がこれを放置したとして、誰が対処する? 対処が遅れたとして、誰かに被害があったらどうするのだ。そう考えると放っておくことは出来ない。それが私の性分であり、長所にも短所にもなる性格だ。
「文音は……いいわ、行きましょう。私も可能な限りサポートをするわ」
何かを言いかけた玲奈ちゃん。それは謎のままだが、ずっと一緒にいた私なら何となく予想は出来る。きっと『優しい』と言いたかったのだろう。あくまで玲奈ちゃんの意識の予想のため、信憑性はないが私はそう考えている。
「行くよ……」
大きく深呼吸をして勇気を持った私は鏡結界に触れてみた。するとあの時のように視界がぐるぐると回り始め、少なくとも良い気分ではなかった。
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