憎みあう人々

二十年以上も前に忽然と姿を消した兄。彼は今や肉体を捨てた意思だけの存在―


「兄さん、スイミング・ピープルの目的は何なんだ。母や僕を見捨ててまで、成し遂げたいものは」と僕は問う。理解力は冷えた溶岩のように粘ついて鈍っている。何を知りたいのかもわからずに、疑問だけが次々と浮かび口から流れる。


(人間の孤独と死。その治療だ。死は取り除かれるべき病魔なのだ。死とは肉体がもたらすもの災厄。遠い昔、父の病死が私の思考を変えた。肉体的な異常、人間の本質はその欠陥によって損なわれるのだと。私は肉体を必要としない完成された人間を創造しようとした。そうして意識を大きな流れに解き放った。電脳空間を意識の新たな入れ物としたのだ。それは肉体とは違い、朽ちることもなく無限の延長性を持っている入れ物だ。私はスイミング・ピープルとして、無限に広がる世界で生まれ変わることに成功したのだ……)

兄とその裏の何重もの声がクスクスとおかしそうに笑う。


(進化した人類を生み出す最中に、私たちはある事実を知った。リュウはよく知っている、人工太陽についてだ。政府の身勝手な決断やその維持のために人の命が使われていること。私たちは強い憤りを覚えたよ。この国は秘密裏に支配され、もう手の施しようがないほどに腐っている。誰かが革命を起こし、新たな統治者とならなければならない、とね。だが現状の私たちではそれを成し遂げるほどの力はない。先ほども述べたが、我らは意識の集合体で、個人は濃淡でしか区別できないのだ。この新人類は今、同じ思想、つまり国家の転覆を望む者たちが融合して存在している。スイミング・ピープルの欠点を挙げるとすれば、人間を無作為に受け入れ拡大を試みると、それだけもともとの思想が薄れていくということだ。大きくなればなるほど、生きる目的は曖昧になり、生きるということそのものが目的の、無為に漂うだけの存在になってしまうのだ)


(人工太陽……それは人間の意思を原動力としたものだ。持ち主から無理やり引きはがした、名無しの幽霊のような意思を太陽は食う。リュウが思う通り、そいつは人造の生物のようだ。人工太陽は、人間の精神が存在の根源となっている点で私たちと似ている。それは強大なエネルギーを持っているのだ。我ら泳ぐ者たちとは比べものにならないほどの。私はその太陽を取り込もうとしている。持ち主のいない精神は私たちを薄めることなく同化する。スイミング・ピープルはこの国を覆うほどに拡大するだろう。そうして私たちはこの国を新たに支配する存在になるのだ)


「そうすると太陽はなくなっちゃうんでしょ?この国の人たちはどうするの」とマイは毅然とした雰囲気で尋ねる。マイはいなくなった親友が憧れていた存在と対峙し、スイミング・ピープルを理解しなければいけないという義務感を帯びているようだ。それは親友のサキをわかってあげることにつながるのだから。


(この国は底無しの暗闇に沈むだろう。私たちは肉体に閉じ込められた人間たちを導かなければならない。彼らは駒として戦の種火を外の世界へと持ち込むのだ。この国の光を吹き消したのは誰か……それは外の世界の者たちだと、彼らに信じ込ませるのさ。そうして世界中で大きな混乱を起こす。それに乗じて、我ら新人類はさらに拡大していく……)


僕らを包んでいた光にある種の冷酷な雰囲気が混じった。何気ないひと時に突然沸き起こる、過去のトラウマのような残酷さが感じられた。兄は人間を憎んでいる。それがわかった。幼少の頃の記憶。学校帰りの兄の暗い顔が思い出される。時折母に怒鳴ることもあった兄。詳しく彼に尋ねることはなかったが、そういう歪んだ日々が彼の憎悪をゆっくりと育てていったのだろうか。


(リュウ。お前が代替のFになるように仕組んだのは私だ。お前にしかできないことがある。人工太陽のもとまで行き、スイミング・ピープルと接続させるのだ。政府は私たちの存在を掴み始めている。奴らが張っている防壁のお陰で、私たちだけでは太陽までたどり着くことができない。だがお前とならば侵入が可能だ。機関の人間だったお前ならば、あの太陽の心臓部分に潜り込むことができるだろう)


(そしてお前もスイミング・ピープルになるのだ。共にこの国を支配しよう。太陽を取り込んだこの生命体に不自由なことなど何もない。孤独も死も恐れる必要がない。お前は、自分と何も関係のない人間を救うことに疑問を覚えているのだろう。悲劇的でただ自分をすり減らすだけの生活、その後のホームレスでの生活において、どれだけ人間が愚かで醜い存在か、お前もわかっているのだろう)


人間への漠然とした憎悪。兄とは形が異なるものだが、僕も奥底にあった。深く埋葬された遺体のように、それは大地の一部になっていた。憎悪は人間の狂気に向けられている。狂気は人間だけが感染する伝染病だ。治療法はきっとない。かかったら一生それに付き合わなければならない。僕はどこかでそれに染まり、そしてそれを誰かに手渡した。どれだけ厚い皮膚で隠しても、風が吹くだけで簡単に露呈する、狂気に感染した人の顔。僕はそんな人間の脆さが憎い


スイミング・ピープル。人間を支配する人間。僕は―


「待って。一つ質問がある。この人をここに呼んだ目的があるのはわかった。話の内容は別にしてね。だけど、私はなぜここに呼ばれたの?私はどうしたらいいわけ。空がずっと真っ暗な生活、私は嫌よ」とマイの声が聞こえた。


(彼女にも、スイミング・ピープルとしての席を用意している。彼女も憎しみに溺れた瞳を持っている。だが彼女が暗闇のなかで死なずに済むのは、リュウ、お前が私たちに協力すればの話だ)


(本当に久しぶりの再会だからな……まさかお前と同じ、帰る場所を持たない人間になっているとは思うまい)


「どういうことだ」と僕は問う。


(カミヤリュウ、そしてシノミヤアカリ。そこにいる少女は、お前が十数年も前に捨てた……たった一人の娘だ)

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