ホームレスの少女

十七歳のホームレス。彼女はマイと名乗った。彼女を形作ってきた今までの境遇について、僕は尋ねなかった。眉間の消えないしわの跡が、彼女の傷だらけの過去を想起させるのに十分なものだったからだ。彼女の身長は女性にしては高めで、短い黒髪が風に揺れる。折れてしまいそうな体の線とは対照的な力強いまなざし。そんな彼女は左足を引きずって歩く。左足が悪いようだ。僕は彼女の案内に導かれ、歩を進めた。


「今朝、そいつを見たんだ。私が住処にしてるとこの近くの公園で。滑り台のてっぺんに立って、ずうっと何かブツブツ言ってたんだよ」と、マイは歩きながら言う。「気味が悪いな」と僕。進む足とは裏腹に、Fとの対面には躊躇が見え隠れしていた。失敗に終わると確信していたことが、いとも容易く実現する。知らずのうちに蟻地獄に足を踏み入れてしまった気がしてくる。「もう夜になるが、まだそこにいる確証はあるのか」

「いるわ。そう言ってたの」


マイは前方を睨む。何かを心の中に閉じ込めている顔。それが何なのか、僕は興味をひかれた。「君の言っていた用ってのは何なんだ?」と僕は聞く。彼女は重々しく言葉を落とし始めた。


「私には親友がいた。ホームレスになってからの話ね。私たちはずっと二人で戦って、一緒に生きてきたわ。でも、彼女は一か月前に急にいなくなっちゃったの。跡形もなく、幽霊みたいに。人って、死んじゃうよりふっといなくなっちゃうほうが、残された人にとっては辛いんだって思った。だって、いつか戻ってくるかもしれないっていう残酷な期待に溺れちゃうから。それで、私ずっと探し回ってたの。集会所にもよく顔を出した。でも手掛かりはない。なんだか、長い夢を見てたんじゃないかって思い始めたわ。私は最初からずっと一人だったのかもって。今朝もそんなこと考えてた。そしたら、あの不気味なヤツに出会った。あいつの口から、いきなりあの子の名前が出てきたの。滑り台で独り言喋ってる横をね、通り過ぎたんだけど、私を呼び止める声が聞こえた。心臓が止まるかと思ったわ。そいつはね、君は人を探してるんだろうって、あの子のことを僕は知ってるよって言うのよ。でも私、あんまり急だったから怖くなって逃げようとして。そしたらそいつは言うの、知りたくなったらまたここに来るといい。私はずっとここにいて、ある男を待っているから。あるホームレスがここに来るのを待っているって。私は何か情報が出てるんじゃないかって思って、集会所に来てたの。そしたらあなたを見つけた」


途中から足を止めていた。話し終えたマイは僕の顔を覗き込むように見ている。Fは誰かを待っている。いや、僕を待っているのか?やつは僕らの行動を把握しているのかもしれない……僕らが歩いているのはずっと、Fの手のひらの上なのではないのか?氷のような汗が、背中をつたって落ちていくのを感じる。目の前には、大きな落とし穴が口を開けている。不条理が用意した二つの分かれ道、その間に広がった穴。どれを選んでも今までの生活に戻ることは難しそうだ。僕はどこに身を投げるべきなのだろう。


「あなたは何者なの。あいつとはどんなつながりがあるの」

「…やつに会えばわかるさ」

何も言うことはない。僕にも説明がつかない。敷かれたレールだとわかっていながら、進んでみないことには何もわからない。Fは僕だけでなく、失踪したマイの友人についても情報を握っている。元人工太陽管理機関の人間から推測すると、ホームレスの友人はFとして選別された可能性がある。姿を消したのは一か月前。仮にFとして政府に身柄を拘束されたのであれば、友人はもう既に―。もちろん彼女にその考えは告げない。だが、それについてもFは知っているというのか?


マイは歩くペースを上げる。「急ごう」と言う彼女の引きずられる左足。彼女はホームレス生活のさなかで、左足にこの重りを背負ったのだろうか。「大丈夫か」と僕は気遣う。「ん。ああ、この足?平気よ。ホームレスになる前からダメだったのよ。ずっと昔。でもこれって乞食やってるときは便利なのよ。ほんとに。可哀そうな女だって、みんな思ってくれるから」と彼女は笑い、自身の左足をぽん、と叩く。「自分の体がどんなでも、嘆いたって変わんないんだし、とことん利用すべきよね」


すっかり辺りは闇に飲まれていた。太陽が昇るのはあと二回。今日も、帰る家のある人々はいつもと同じ夜を過ごすのだろう。太陽が姿を見せてまた始まる一日に備え、家族と過ごしたり、料理を食べたり、熱い風呂に入ったり。そして憂鬱に飲まれぬように眠りに落ちる。彼らにとって、長い夜に浸りすぎることは危険だ。そうして夜から逃げ、やがて目を覚まし、また朝を迎えられたことを人々は喜ぶのだ。


Fは立っていた。マイの言う通り、公園の滑り台の上で。彼はこちらに背中を向けている。「行こう」と僕は彼女と二人でゆっくりと近づいていった。

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