SUMMER FALL #8

 堀池をともなってオフィスに入った甲山と草加は、件の女性のデータを入手した。名前は蓑部祥子しょうこ、年齢は十八歳と記載されていた。住所は都内だが、管轄かんかつ外だった。ふたりが堀池に礼を述べて覆面パトカーに戻ると、時刻は午後九時を過ぎていた。

「取り敢えず署に戻るか。後は明日だ」

「そうッスね」


 翌朝、再び刑事課分室の面々がホワイトボードの前に集った。皆一様に眠そうな顔をしている。

「例の男の身許が割れたって?」

 目黒が口火を切り、頷いた甲山が自分のデスクから言った。

「ええ、ほぼ確実に。名前は蓑部達範、高知県にある虎杖精工って会社の社員ですな。ま、その会社に照会する必要ありますがね」

 言葉尻をついて、隣のデスクから草加が発言した。

「この蓑部君が、あの吉成って社長の所にカチ込んだそうで、社長秘書によれば何でも、こいつの妹が自殺したとか」

「自殺ッスか?」

 ホワイトボードの脇に立つ鴨居が目を丸くした。草加は無言で頷いて続ける。

「名前は蓑部祥子。あの事務所に入った時は十八歳だったと」

 言い終えると、草加は上着のポケットから写真を取り出して、鴨居の反対側に立っている仲町に渡した。堀池に提出させた祥子の顔写真のデータをプリントした物だった。写真を見た仲町が思わず「結構可愛い」と漏らしつつ、蓑部の顔写真の隣に貼り付ける。それを見届けた甲山が、再び喋り出した。

「で、その蓑部君がカチ込んだ、つまり祥子が自殺したってのが、約半年前」

「半年? と言う事は」

 目黒の反応に、甲山が返す。

「そう。蓑部が『Red Rose』に通う様になった時期とほぼ一致します」

「え、じゃあこの蓑部の目的はマル害じゃなくて、その吉成って社長?」

 鴨居の問いに、甲山はしかめ面で「その可能性が高い、んじゃねぇか」とにごし気味に答えてから目黒に向き直った。

「室長、俺達は自殺した妹を洗ってみたいんですがね?」

 甲山の意図を察した目黒が二、三度頷いて返した。

「判った。所轄しょかつには話を通しておく。鴨やんとトオルは蓑部の勤め先に連絡して、裏を取ってくれ」

「了解!」

 鴨居が返事し、全員が動き出した。


 甲山と草加の乗った覆面パトカーが乗り付けたのは、そこそこ年季の入った木造アパートの前だった。生前の蓑部祥子が住んでいた『神庭荘かみにわそう』である。運転席を出た草加が、アパートの外観を見て言った。

「十代の女の子には似合わない感じッスね」

「なけなしの金持って上京したんだろ」

 助手席を降りた甲山が返して、ふたりはアパートに歩み寄った。管理人に話を通して合鍵を借り、スチールの階段を上って二○一号室へ近づいた。解錠しようとして、甲山が動きを止めた。

「どうしたんスか――」

「シッ! 中に誰か居る」

 草加の質問を小声で制した甲山が、鍵を草加に渡して右手を背中に回した。ジーンズの内側にめたインサイドホルスターに納めた、スミスアンドウェッソンM三十六チーフスペシャルのグリップを確かめて、甲山が人差し指をドアノブに向けた。応じた草加が、ゆっくりと鍵を開ける。チーフスペシャルを抜き、甲山が頷いた。草加が大きく扉を開けた直後、じゅうを構えた甲山が声を張り上げた。

「警察だ!」

 その瞬間、部屋の奥が騒がしくなった。甲山は三和土たたきに踏み込んで中を見回す。手前は三畳程の板の間で、左側に台所、右奥に浴室と言うレイアウトになっている。その奥はふすまが閉め切られていて様子がうかがえないが、先の物音はその襖の向こうから聞こえた。甲山がくついたまま飛び込み、草加も後に続く。今度は間を置かずに襖を開け、ふたり同時に中におどり込んだ。だが既に室内には人影が無かった。四畳半の和室に、小さめのテーブルと薄いピンク色の座布団が置かれ、テーブルの上には食べかけのカップラーメンが湯気ゆげを立ち上らせている。右前に簡素かんそ仏壇ぶつだんしつらえられ、中央に立つ額装がくそうされた祥子の顔写真がこちらを向いて微笑んでいた。部屋の奥の窓が開け放たれ、レースのカーテンが風になびいている。

「クソッ」

 悪態を吐いた甲山が窓のふちに取り付いて下をのぞくと、Tシャツにスラックスと言うアンバランスな服装の男が排水管を伝って地上に降りた所だった。

「待て!」

わめいた甲山が銃を構えるが、草加が慌てて止める。

「コーさん! ここじゃダメッスよ!」

 甲山は舌打ちすると、草加に「追うぞ!」と告げて部屋を出た。

 ふたりははた迷惑な音を立ててアパートの階段を駆け降りて裏手に回ったが、逃げた男の姿は見えない。甲山はもどかしげに銃をホルスターに納めると、草加に「手分けするぞ」と指示して走り出した。甲山と反対の方向へ、草加も走り出した。

 ふたりで散々探し回ったが、男を見つける事はできなかった。甲山は電柱の根元を蹴りつけてから言った。

「アイツ、蓑部達範だったな」

「らしいッス」

 荒い息を吐きながら、草加が答えた。


《続く》

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