SUMMER FALL #6

「大丈夫ですか?」

 堀池が慌てて駆け寄り、吉成の足の間でくだったコーヒーカップを処理し始めるのを、甲山と草加は驚きと共にながめた。吉成に目を転じると、その双眸そうぼうは大きく見開かれ、視線は宙を彷徨さまよっていた。

「吉成さん?」

 甲山が問いかけるが、全く反応が無い。片付けを終えて戻って来た堀池が、社長の異変に気付いて再び側に寄り、「社長? どうしました?」と訊き、やっと吉成は我に返った。甲山が口を開くより早く、吉成が身を乗り出して尋ねた。

「どうして、どうして美和は死んだんですか!?」

 異常なまでの食いつきに戸惑いながらも、甲山は答えた。

「今の所、事故か他殺かはハッキリしてませんな」

「そ、そうですか」

 うなだれる吉成に、草加が質問した。

「彼女、誰かと揉めてたとか、誰かに恨まれるとか、心当たりありませんかね?」

「え、あ、いや、そう言う事は、判りません。話さなかったので」

 下を向いたまま、吉成は力無く答えた。甲山は一度草加と顔を見合わせてから吉成に訊いた。

「これは形式的な質問なんですがね、一昨日の夜の午前零時から零時半の間、何なさってましたか?」

 吉成は顔を上げると、数秒考えてから口を開いた。

「一昨日の夜、ああ、一昨日はファッションショーの打ち合わせで大阪に行ってて、こちらに戻ったのは昨日の昼間です」

 頷いた甲山は、堀池に視線を移した。目が合った堀池が即答する。

「確かです、私も同行したので。市内の『コスモポリタンホテル』に宿泊しました」

「ウラ取るよ?」

 草加が念を押すと、堀池は素っ気無く「どうぞ」と返した。

「ああそれと、これは直接関係あるか判らんのですがね」

 前置きしてから、甲山が田辺美和の部屋に侵入した男の顔写真を吉成に見せて尋ねた。

「この男性、ご存知ありませんか?」

 眉間に皺を寄せて写真を見た吉成だったが、溜息混じりにかぶりを振った。反応を見て頷いた甲山は、矛先を堀池に変えた。

「貴方は?」

 写真を覗き込んだ堀池の両目が、ほんの少しだけ見開かれた。だが一瞬だけ吉成に視線を向けた後に、平静をよそおって答えた。

「いいえ、知りません」

「あ、そう」

 写真を引っ込めた甲山は、自分の前のコーヒーカップを取り上げて中身を飲み干すと、草加を促してソファから腰を上げた。

「では、我々はこれで失礼します。また、お話をうかがうかも知れませんが、その時はよろしく」

 座ったまま無言で会釈する吉成に頭を下げて、ふたりは社長室を出た。


 ビルを後にして覆面パトカーに戻る間、甲山はずっと難しい顔で考え込んでいた。運転席側に回った草加が、ルーフ越しに訊く。

「どうしたんスかコーさん? さっきから口をへの字にしちゃって」

 甲山はすぐには答えず、助手席にすべり込んで煙草に火を点けた。後から運転席にもぐり込んだ草加が煙草をくわえると、ライターを差し出しながら言った。

「美和、って呼んだよなぁ?」

「え? ああ、そう言えばそうッスね。まぁでも、付き合ってたんなら当然じゃないスかね?」

 草加が返すと、甲山は主流煙しゅりゅうえんを吐き出しつつ反論した。

「付き合ってたっつっても、キャバクラで知り合ったオンナだぞ? どこまで関係が深かろうが源氏名で呼ぶんじゃねぇか? それに、こっちがマル害を源氏名で呼んだら嫌そうな顔したぜ」

「そうでしたっけ?」

 草加が間抜け面で返すと、甲山は渋い表情で言った。

「あのアンナって娘から聞いた話とギャップがあるよな、こりゃもっと調べた方が良いかもなあの社長」

「取りえず、アリバイのウラ取りますか」

「ああ。それとあの秘書、あの男に会ってるな」

 甲山の指摘を受けて、草加が言った。

「んじゃ、そっちも突っつきますか」

 言い終えると同時に、草加が覆面パトカーのエンジンをスタートさせた。


 分署の二階では、島津光彦分署長が紅茶を飲みながら書類に目を通していた。そこへ、デスクの電話が鳴り響いた。島津はティーカップを隅に置くと、受話器を取った。

「はい、河川敷分署」

『椎名だ』

 相手は、この分署の便宜べんぎ的母体である『警視庁棚川警察署』署長の椎名忠夫しいなただおだった。

「どうも」

 島津が挨拶すると、椎名が硬い口調で訊いた。

『死体が出たそうだな』

「ええ、現在捜査中です。それが何か」

 訊き返した島津に、椎名はやや語気を強めて言った。

『判ってるだろうな? お前等に与えられた猶予ゆうよは十日間だと』

勿論もちろん承知しょうちしています」

 至って冷静に返す島津に、椎名は鼻を鳴らしてから更に尋ねた。

『それで、進捗状況しんちょくじょうきょうは?』

「被害者の得意客への聞き込みと、被害者宅に侵入した人物の捜索を行っている最中です」

『犯人の手掛かりは?』

「それは、まだ何とも」

 島津の返答に、椎名が溜息ためいきを吐いた。

『まぁいい。どうせあと七日もすれば、こちらの刑事課が引き継いで捜査する。何なら今の内にこちらに捜査権を渡しても構わんぞ?』

 島津は間を取る様に紅茶をひと口啜ってから答えた。

「いえ、結構です」

 舌打ちを残して、電話が切れた。島津は何事も無かったかの様に受話器を置くと、ゆったりした動きでティーカップを口に運んだ。


《続く》


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