SUMMER FALL #4

 覆面パトカーで『Red Rose』近くに路上駐車した草加が、助手席の窓を半分開けて喫煙中の甲山に話しかけた。

「コーさん、まさか真面目に聞き込みかけたりしないッスよね?」

「どう言う意味だ?」

 甲山が主流煙と共に訊き返すと、草加が腕時計を示しながら答えた。時刻は午後八時近かった。

「こんな時間ッスよ〜? 店がこれから盛り上がるって時に俺等が『警察で〜す』って乗り込んでったら、お姉ちゃん達引いちゃって喋ってくれなくなっちゃうかも知れませんよ?」

 甲山は半ば呆れ顔で煙草を消し、ジーンズのポケットをまさぐりながら言った。

「判った判った、ちょっと待ってろ」

 ポケットから出した小銭入れから、甲山は百円硬貨こうかを一枚取り出して草加に示した。

「これで決めるか」

「いいッスよ、当てた方がお客ね」

 草加が答え終えるや否や、甲山が百円硬貨を親指で跳ね上げた。回転しつつ宙を舞う硬貨を左手でキャッチし、右手甲の上に伏せた直後、草加が自信満々に言った。

「裏!」

「じゃ俺は表だ」

 応じた甲山が左手をゆっくり離し、結果を確認して口角を吊り上げた。

「帰りも運転よろしく」

 甲山は負けて項垂うなだれる草加に百円硬貨を放ると、意気揚々いきようようと助手席から出て『Red Rose』に入った。


 玄関ドアの裏側に取り付けられたベルの音が、甲山の耳を襲った。その直後に、ワイシャツの上に黒ベストを着て蝶ネクタイを巻き、やはり黒のスラックスを履いた三十代後半くらいと思しきボーイが歩み寄り、慇懃いんぎんに会釈した。

「いらっしゃいませ」

「ひとりだけど、いいかな?」

 甲山が訊くと、ボーイは無言で頭を下げつつ店の奥を示した。

「こちらへどうぞ」

 案内されるまま、甲山は店内の奧まった場所のボックス席に陣取った。再び会釈してきびすを返すボーイと入れ替わりに、ラメの入ったピンクのワンピースを身にまとい、ロングヘアを頭の高い位置で結い上げた二十代前半くらいの女性が現れた。

「はじめまして〜、アンナです」

「はじめまして」

 甲山は微笑と共に答え、隣を促した。ゆったりした動きで腰を下ろしたアンナは、深くえぐられた胸の谷間を強調する様に上半身をくねらせつつ、甲山に尋ねた。

「お飲み物、何になさいます?」

「そうだね、ウイスキー貰おうかな、ロックで」

「かしこまりました〜」

 しなを作って答えると、アンナは近くに居たボーイにオーダーを通し、甲山に向き直った。

「お客様、ここは初めて?」

「ああ、俺はね。友人が何度か来た事あって、教えてくれたんだよね」

「そうなんですか〜、あの〜、お仕事は何なさってるんですか?」

「ん? あ〜、公務員こうむいん

 刑事が職業を訊かれた際の典型的な返答をして、甲山は口角を吊り上げた。決して嘘は吐いていない。答を聞いたアンナが目を丸くした。

「へぇ〜公務員さん、そんなカタそうに見えないな〜」

「よく言われるよ」

 甲山が笑顔で返した所で、ボーイがウイスキーのボトルと氷の入った容器、グラスふたつを持って来た。アンナはボーイに会釈してからボトルを開け、氷を満たしたグラスにウイスキーを注いだ。甲山が「君も飲むかい?」と訊くと、アンナは笑顔で頷いた。

 ふたりはそれぞれグラスを手にして、異口同音いくどうおんに「乾杯」と言ってグラスを合わせた。ひと口飲んでグラスを置いた甲山が、大仰おおぎょうに店内を見回しながらアンナに尋ねた。

「そうそう、友人がここに来た時に付いてくれたカレンってが良かったって言ってたんだけど、どの娘?」

 すると、アンナは戸惑った様な顔で答えた。

「あ、いや、カレンさんは今日来てないみたいで」

「あ、そう。何かえらいめてたからさ、どんな娘か気になって」

「あ、あの人は、そんなんじゃ」

 アンナの反応に、甲山は内心ほくそ笑みつつも、慎重に話を進めた。

「どうしたの? まさかいじめられてた?」

 甲山はわざと声を小さくして訊いた。アンナは一度周囲を見渡してから、身体を屈めて言った。

「確かに、カレンさんはこの店ではトップクラスの人気で、それなりに評判も良かったんですけど、それを鼻にかけてる所があって、私達の事をどっか見下してるみたいな感じだったんで」

 大きく二、三度頷いてから、甲山が続けた。

「へぇ〜、て事は結構な上客じょうきゃくが付いてた?」

「え、ええ、それに、吉成よしなりさんとははぼ付き合ってる様な状態で」

「吉成さん? どちらさん?」

 甲山がわざとおどけた調子で更に訊くと、アンナはしかめ面で答えた。

「モデル事務所の社長さん。最近凄い勢いらしくて、ここへ来ても気前良くお金を落としてくれるんで、お店としては大事なお客様なんだと思うけど、その」

「何? 言い辛いんなら無理に言わなくてもいいけど?」

 話を終わらせる素振りを見せた甲山に対して、アンナが少し逡巡しゅんじゅんしてから言った。

「多少、酒癖さけぐせが悪い、と言うか、うと歯止めが効かなくなる人で、あたし、前にトイレで無理矢理、されそうになって」

 甲山は眉間に皺を寄せて頷きつつ、草加が店に入って来たのを上目遣うわめづかいに確認した。

「で、大丈夫だったの?」

 甲山は、アンナの耳元に顔を寄せてささやきかけた。アンナは二度頷いてから、顔を上げて答えた。

「その時は、たまたまマネージャーさんが見つけてくれて助かったんですけど、それからあたし、吉成さんが怖くて」

「そりゃ可哀想かわいそうに、ま、飲みなよ」

 甲山が酒をすすめ、アンナも応じてグラスを口に運んだ。その時、甲山のスマートフォンが振動した。アンナに断ってからスマートフォンを見ると、鴨居からメールが送られていた。題名は『マル被の顔』となっていて、本文が無くてファイルが添付されていた。ファイルを開くと、二十代後半から三十代前半に見える男性の顔をほぼ正面から撮影した画像が表示された。確認した甲山は、アンナを横目に見つつスマートフォンをしまった。

「それでさ、そんな怖い吉成さんと、何でカレンさんはお付き合いできちゃう訳? そんな酒癖じゃ女の子は引いちゃうんじゃないの?」

 酒をめつつ、甲山は明るい口調で訊いた。

「さぁ、何か、カレンさんだけは吉成さんの事を上手うまおさえられると言うか、なだめるのが超上手くて」

「へぇ〜、男のあつかいが上手いのね」

 甲山が相槌あいづちを打ちながら酒をあおった直後、ふたりの背後から草加が首を突っ込み、例の画像を示しながらアンナに尋ねた。

「あのさぁ、この人に見覚え無い?」

 急に割り込まれて困惑したアンナだったが、画像を見るなり言った。

「あ、この人、やたらカレンさん指名してた人」

「何だって?」

 甲山と草加の声が、綺麗きれいにハモった。


《続く》


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