SUMMER FALL #1

 東京と隣県りんけんを分かつ一級河川いっきゅうかせん太那川たながわ』を横断おうだんする『五木橋いつきばし』を見上げる河川敷かせんじき砂利じゃりの上に、薄手のワンピースを着た若い女性が横たわっていた。その両目は大きく見開かれ、二度と閉じる事は無い。

 その女性のかたわらを、大柄な男性がクリップボードを片手に何やらしゃべりながら動き回り、更にその周囲を『鑑識かんしき』と書かれた腕章を着けた、青い制服姿の男性が数人うごめいている。そこから少し離れた所で、白Tシャツにジーンズ姿で口ひげを生やした男性と、濃紺のうこんのネルシャツに革パンツの男性が顔を突き合わせていた。

「飛び降りって事は、無いッスかね〜コーさん?」

 草加正則くさかまさのりは、ネルシャツのえりつまんではためかせながら、橋を見上げて言った。

「自殺なら、もっとたけぇとこからすんだろ」

 『コーさん』と呼ばれた甲山宏こうやまひろしが応じて、口髭に溜まった汗をてのひらぬぐった。ふたりの頭上から、容赦無く陽光が照りつける。草加が女性の遺体いたいを振り返って、誰に言うとも無くつぶやいた。

「こんな暑いさかりに死ぬ事もねぇだろうに」

 そこへ、橋の上から男性の声が降って来た。

「甲山さ〜ん! 靴が片方だけありました〜!」

 甲山と草加が再び橋をあおぎ見ると、黒いTシャツを着て髪を短く刈り込んだ男性が、白手袋を着けた右手にピンク色のパンプスを握って欄干らんかんから身を乗り出していた。ふたりの同僚どうりょう鴨居穣かもいみのるである。ふたりが改めて遺体を見ると、左足にしかパンプスをいていなかった。

「自殺は無くなったな」

 甲山が言い、草加が無言でうなずく。

 ふたりが遺体に向かって歩を進めた所に、水色ワイシャツにネクタイ、濃紺のスラックスという出で立ちの若い男性がけ寄った。こちらもふたりの同僚、仲町享なかまちとおるである。仲町は欠伸あくびみ殺しながら告げた。

「目撃者出ません。やっぱ夜中なんじゃないですか死んだの?」

「だったら女の悲鳴ひめいくらい聞いとけよなトオル、何の為の当直とうちょくだよ?」

 草加に返されて、仲町はなか不貞腐ふてくされた表情で「すみません」と謝った。仲町は昨晩から当直勤務で、彼等の本拠地である『警視庁棚川警察署けいしちょうたながわけいさつしょ 河川敷分署かせんじきぶんしょ』にめていたのだが、どうやら途中で眠り込んでいたらしい。

 三人が遺体のそばまで来ると、先程まで遺体の周りを動き回って計測等を行っていた大柄な男性が、クリップボードをわきに抱えてひと息吐いた。検屍官けんしかん石倉哲也いしくらてつやである。

「どうスか見立ては?」

 甲山がくと、石倉は太い首に巻かれたタオルで顔と首の汗をきつつ答えた。

えずだ、死亡推定時刻しぼうすいていじこく昨夜ゆうべの十二時から二時の間、死因しいん脳挫傷のうざしょう、まぁ落っこって頭打ったってとこだな。事故か他殺たさつかは判らん。後は署に運んで検屍だ」

「OK」

 甲山が返事した所へ、鴨居が走り寄った。

「橋の上には、他に手掛かりになりそうな物は見当たりませんでした」

「おう、御苦労」

 労った甲山の所へ、鑑識係の西村泰生巡査にしむらやすおじゅんさが近寄り、女性物のショルダーバッグをかかげて報告した。

「マル害の所持品と思われるこのバッグですが、口は開いていましたが財布さいふの中身に手は付けられていない様です。しかし、携帯電話のたぐいが見当たりません。誰かが持ち去った可能性があります」

「マル害の身元は?」

 草加が訊くと、西村は白手袋を嵌めた手で財布から運転免許証うんてんめんきょしょうを抜き出した。

「ええと、名前は田辺美和たなべみわ、住所は船木ふなき三丁目、ああ結構けっこう近いですね。あ、でも鍵とか見当たりませんね、まさか鍵も持ち去られた?」

「マジッスか? で、つとめ先は?」

 今度は鴨居がたずねた。西村はバッグの中から名刺めいし入れを取り出して差し出す。受け取った鴨居が中を見ると、『CLUB Red Rose カレン』と印刷された名刺が数枚入っていた。

「カレンちゃん、ね」

 草加がのぞき込みつつ言うと、甲山が鼻を鳴らした。

「へっ、あんまりセンスの良い源氏名げんじなじゃねぇな」

 すると、後ろから石倉が声をかけた。

「お〜い、御遺体運ぶから誰か手ぇ貸してくれ」

 甲山が石倉に手を振って合図してから向き直ると、他の三人の顔を見回してから、右手を握り拳にして告げた。

「よし、やるか」

「OK」

 草加は不敵な笑みを浮かべて応じたが、鴨居と仲町はあからさまに嫌そうな顔をした。だが、草加はふたりに構わずに号令をかけた。

「出っさなっきゃ負っけよ〜ジャンケン」

 慌ててふたりが右手を振りかぶった。

「ポン!」

 甲山と草加がパーを、鴨居と仲町はグーを出した。甲山は口角こうかくげて指示した。

「鴨居とトオルは検屍結果待ち。俺達はマル害のヤサを当たる」

「ウッス」

「はぁ〜い」

 返事して遺体を運びにかかるふたりを見送ってから、甲山と草加は現場を離れた。


《続く》


 

 

 

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