Hello! あぶない新署長 #1

 いつもの様に私鉄の駅を降りて、『警視庁棚川警察署 河川敷分署』へ向かった鴨居穣かもいみのるは、自分の職場であるプレハブの前で思わず足を止めた。

「え?」

 分署の周囲に、国際運送会社の大型トラックが二台停車し、揃いの制服を着た従業員達が荷台から次々と荷物を署内に運び入れていた。

 トラックの脇をおっかなびっくりすり抜けた鴨居に、目黒万作めぐろまんさく室長の声がかかった。

「おい鴨やん」

 いつの間にか、『鴨やん』というニックネームを付けられているが、鴨居本人は未だに慣れない。

「あ、室長。何スかこれ?」

 苦笑しつつ訊く鴨居に、目黒は困惑顔で答えた。

「いや実は、ウチに新しい署長が来るんだけど、その署長の荷物なんだよ」

「新署長? これ全部その人のですか?」

「らしいよ」

「で、これどっからきたんスか?」

「ロンドン」

「ロンドン!?」

 鴨居の両目が、普段の倍近くまで見開かれた。


 桜田門の一画に聳える、警視庁庁舎。首都東京の治安維持の中枢を担う組織の本拠地である。その中の『刑事部長室』に、ひとりの男性が入った。

 黒髪をオールバックに撫でつけ、目元はメタルフレームの眼鏡で覆われている。一見して高級な生地と判別できる、灰色のダブルスーツに身を包み、右手には硬質な黒いアタッシュケースを提げている。

 この部屋の主である、本田正平ほんだしょうへい刑事部長は、来客に対して椅子から立ち上がる事もせず、鋭い視線を向けながら口を開いた。

「久しぶりだな、島津しまづ

「お久しぶりです、刑事部長」

 慇懃に頭を下げたこの男性こそ、新たに河川敷分署の署長に就任する島津光彦しまづみつひこである。

 本田はわざとらしく鼻を啜ってから、デスクの上の書類を島津に向けて突き出した。

「正式な辞令だ。ありがたく受け取れ」

 デスクに一歩進み出て辞令を受け取った島津が、不思議そうな顔で問いかけた。

「おや、階級が『警視けいし』になっていますが?」

「まがりなりにも署長だ、階級が『警部けいぶ』じゃ部下に示しがつかんだろ、という配慮だ」

 本田が面倒臭そうに答えると、島津は「そうですか」と頷いて辞令を素早くアタッシュケースにしまった。

 本田は椅子から立ち上がると、両手を後ろで組んで言った。

「用が済んだらさっさと出て行け。お前の顔をまた見る羽目になって、俺は気分が悪いんだ」

「失礼します」

 もう一度慇懃に頭を下げて踵を返した島津の背中に、本田が声を浴びせた。

「せいぜい感謝するんだな、官房長かんぼうちょうに」

 島津は一瞬動きを止めたが、また「失礼します」と告げて部屋を出た。


 荷物の搬入作業を横目に、裏口から署内へ入ろうとした鴨居を、中から出て来た仲町享なかまちとおるが呼び止めた。

「あ、来た! 鴨居さん、手伝ってくださいよ!」

「あ、トオル君?」

 着任当初は『仲町君』と呼んでいた鴨居も、今ではすっかり『トオル君』と呼ぶ事に慣れていた。

「もぉ大変なんですから〜、今度の署長、何でこんなに荷物あるんですか室長?」

 仲町から急に水を向けられて、目黒が更に困惑する。

「いやいや、あたしに訊かれても」

「とにかく、署長が来る前に入れちゃいましょうよ」

「あ、判った」

 仲町の言葉に頷くと、鴨居は目黒に会釈して仲町の後を追った。


 警視庁を後にした島津は、タクシーで『警視庁棚川警察署』を訪れた。目的は署長の椎名忠夫しいなただおへの挨拶だったが、生憎椎名は警察庁に行っていて不在だった。島津は後日の再来を告げて署を出て、別のタクシーを拾った。

太那川たながわまで」

 運転手に行き先を告げると、島津は小さく息を吐いた。


《続く》


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