恥さらしの島流し #18

 宮尾は眉間に皺を寄せて、絞り出す様に答えた。

「つ、妻に、直談判するって」

「離婚しろってか?」

 甲山の問いに頷くと、宮尾は俯き加減で続けた。

「あいつ、ちょっと他の女より金も時間もかけたら何か調子に乗って来て、私に早く離婚しろと急かす様になって……あの日も食事した後に家の近くまで送る途中でその話になって、私が離婚調停とかで言い訳して黙らせようと思ったら、逆にやる気出して来て今から私の家に行って奥さんに直接言うって始まって」

「へぇ、それはまた随分思い切ってるな」

 甲山が感心した様な調子で言うと、宮尾は甲山をチラッと見てから応えた。

「びっくりですよ。まさかあいつがそこまで言うなんて」

「その気にさせたのはアンタだろ」

 鴨居のツッコミに、宮尾があからさまに嫌な顔をする。

「そんな、でも思えばあいつ、私に対してと言うより結婚に憧れてるみたいな所があって、デートの度に結婚後の未来予想図聞かされて、ちょっとうんざりしてたんですよね」

 不倫をしていた自分を棚に上げての物言いに、再び鴨居が苛立ち始めた。

「アンタさぁ、そんな言い方無いだろ? 大体誘ったのアンタからなんだろ? それで本気になられて迷惑がってんじゃないよ!」

「いや、私は――」

 鴨居に反駁しかけた宮尾の胸倉を、甲山が掴んだ。

「いいか! 女はお前のアクセサリーじゃねぇんだ! 気に入らねぇからって簡単に取っ替えひっかえしていいもんじゃねぇぞ! お前のその身勝手さが、ひとりの若い女を見殺しにした事は、たとえ法で裁けなくても俺達は絶対忘れねぇからな!」

 甲山の恫喝にすっかりすくみ上がった宮尾は、痙攣した様に何度も頷きながら手探りで後部座席のドアを開け、逃げる様に車から降りて行った。その情けない後ろ姿を見送った甲山は、スイングトップのポケットから煙草を取り出しつつ鴨居に言った。

「どうだ? ちったぁ溜飲下げたか?」

「ええ」

 鴨居は微笑して頷き、シートに座り直してエンジンをかけた。


『警視庁 棚川警察署』の署長室で、椎名忠夫警視正しいなただおけいしせいは苦虫を噛み潰した様な顔でデスクの天板を睨みつけていた。視線の先には鴨居の身上書がある。

「鴨居穣か……面倒な」

 椎名が吐き捨てた直後、デスクの隅の電話が鳴った。

「はい署長室」

 慇懃な口調で電話に出た椎名の表情が、瞬時に強張った。受話器の向こうから、ざらついた重低音の声が響く。

『久しぶりだな椎名、本田だ』

「刑事部長……」

 声の主は、警視庁刑事部のトップ、本田正平刑事部長ほんだしょうへいけいじぶちょうだった。椎名は本田に悟られぬ様に静かに唾を飲み込み、軽く咳払いをしてから口を開いた。

「お久しぶりです。刑事部長直々のお電話とは、どの様なご用件でしょうか?」

 やや間があって、本田が重い口調で答えた。

『あのプレハブの次の署長が決まったぞ』

「え? しかし、私の所にはまだ正式な通達は来ておりませんが」

 椎名が戸惑いつつ返すと、本田が更に続けた。

『当然だ、これはまだ内々の話だからな。だがこれは是非とも君の耳に入れておこうと思ってね』

 思わせぶりな言い方を訝りながらも、椎名は務めて平静を装って尋ねる。

「お心遣い、感謝します。それで、誰なんです?」

 またも数秒の間を開けてから、本田が絞り出す様な声で答えた。

『……あいつだ』

 一瞬、言葉の真意を測りかねて目を泳がせた椎名が、突如瞠目して訊いた。

「あいつって、まさか」

 今度は間髪入れず、本田の返答が椎名の耳を襲った。

『そうだ、島津光彦しまづみつひこだ』

 受話器を耳に当てたまま、椎名は暫く放心した。


〈「恥さらしの島流し」了〉

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る