恥さらしの島流し #16

 午後十時過ぎ、駅前の喧噪から離れて帰路に就く会社員風の若い男性が腕時計に目を落として溜息を吐いた。

「はぁ、また寝不足だよ」

 右肩から落ちかけるバッグのストラップを引き上げて、重い足取りで自宅のあるマンションに差し掛かった男性の前に、ふたつの人影が立ちはだかった。

関川隆太せきかわりゅうたさん、ですか?」

「え? あ、はい」

 名前を呼ばれて反射的に返事をした関川は、戸惑い気味に目の前のふたりの男を交互に見た。ふたりの内ひとりが身分証を開いて見せつつ告げた。

「警察です」

 喋ったのが鴨居で、もうひとりは仲町だった。

 関川はふたりが警察だと知るなり瞠目し、数歩後ずさりして踵を返した。だがその行く手に別の人影がふたつ現れた。

「おい、何処行くんだ?」

「逃げると印象悪いよ」

 関川を通せんぼした甲山と草加が口々に言う。前後を挟まれて動揺を深めた関川は、突然「うわぁ!」と喚きながら仲町に突進して突き飛ばした。呆気なく尻餅をつく仲町の横をすり抜けて逃走を図る関川を、慌てて鴨居が追う。その後ろで走り出した甲山が、尻を押さえながら立ち上がる仲町を怒鳴りつけた。

「トオル! 足腰が弱ぇぞ!」

「す、すみません!」

 大声で謝る仲町に、後ろから草加が言った。

「コーさんは毎日走ってっからな」

「あの人タフだもんな~」

 ぼやきながら、仲町も草加に続いて走り出す。

 肩からバッグを落としながら逃走する関川に、追いすがった鴨居が飛びかかる。伸ばした右手が関川の左肩にかかり、バランスを崩して倒れた。すかさず鴨居が抑え込もうとするが、関川が両腕を滅茶苦茶に振り回して抵抗する。

「おい、落ち着けよ!」

 鴨居が声をかける間に立ち上がった関川が尚も逃走しようとするが、追いついた甲山が腰に手を回して何かを引き抜き、関川に突きつけた。

「動くな! 公務執行妨害つけるぞ」

 甲山が出したのは、ステンレスシルバーの回転式拳銃だった。眼前に銃口を突きつけられた関川は勿論、鴨居も目を見開いた。

「え? いつの間に銃なんて?」

 そこへ走り寄った草加が言った。

「ああ、コーさんはいつも持ってるから」

「マジッスか?」

 鴨居は更に驚いて甲山を見た。その甲山は、拳銃を見てすっかり観念した関川を見据えながら銃をヒップホルスターにしまっていた。


 鴨居達は、関川を伴って防犯カメラに映っていた場所へ移動した。改めて付近を確認すると、コンクリート塀の突起部分に僅かながら血痕が見つかり、映像の中で篠崎真由子が倒れ込んだ辺りの縁石の角にも血液が付着していた。甲山が数度頷いてから言った。

「どうやらここが現場で間違いねぇな。トオル、鑑識呼んでくれ」

「了解」

 請け合った仲町がスマートフォンを取り出している間に、鴨居は関川に問いかけた。

「一昨日の夜十一時過ぎ、ここで女性と接触した自転車に乗ってたのは、君だね?」

「とぼけたって無駄だぜ、あんたがメンテに出した自転車から、彼女の服の繊維が検出されちゃってるからね」

 草加の補足に、関川はうな垂れた。

「はい、僕です」

 鴨居は鼻から大きく息を吐いて、腕組みしながら訊いた。

「何ですぐに救助しなかったの? もしかしたら助かったかも知れないだろ彼女?」

「あの、僕、Delicoに登録してるんですけど、会社には内緒なんです。副業禁止なんで」

 俯いたまま答える関川の顔を覗き込んで甲山が訊く。

「禁止なのに副業してんのか? 何でだ?」

「僕は、東京の大学に進学したくて山形から出て来たんですけど、両親に負担かけたくなかったので奨学金を利用したんです」

「へぇ、大卒」

 草加が茶化す様に言うと、甲山が応じた。

「俺達は高卒だ、それで?」

「それで、大学を無事に現役で卒業できて、今の会社に就職できたのはいいんですけど、奨学金の返済がキツくて」

「それで、会社に黙ってDelicoを?」

 鴨居の問いに頷いて、関川は続けた。

「元々自転車は好きだったし、高校生の頃に買った自転車を持って来てたから丁度良いと思って。それにノルマも無いから好きな時にできるし、それほど負担にはならないだろうと思って」

「でも、あんな時間までメシ運んでたのか? 夕食どきって時間じゃねぇだろ」

 草加が横から指摘すると、関川は表情を曇らせた。

「ええ、でも、会社の給料とDelicoの収入合わせてもカツカツで、でも会社で残業もそんなにできないし、だからDelicoの方を無理して増やしてたんです。でもそれで睡眠時間削る事になっちゃって」

「て事は、居眠り運転か?」

 鴨居の言葉に、関川は険しい顔で頷いた。

「あの日は会社から戻ってすぐに始めて、二時間で七、八件こなして帰る途中だったんですけど、気が抜けたのか眠気が襲って来て……気がついたら、目の前にあの女の人が」

 言い終えた関川が、頭を抱えてしゃがみ込んだ。

「あ、あの人とぶつかって、僕、びっくりして、自転車から降りて様子を見たら、い、息してなくて、救急車、呼ぼうかと思ったんですけど、Delicoやってるのが会社にバレたら、ク、クビになるんじゃないかって、思って、それで、この先に使われてない小屋があるの思い出して」

 関川の独白を聞いていた鴨居の眉間の皺が、ひと際深くなった。おもむろに関川の肩口を掴んで無理矢理立たせると、顔を真っ赤にしてまくし立てた。

「オマエのその身勝手さの所為で彼女は死んだんだぞ! オマエみたいな自己中心的な奴の保身の為に、何で彼女が犠牲にならなきゃならないんだ!? え? 甘えんじゃねぇぞ!」

 今にも殴りかかりそうな鴨居を見かねて、甲山と草加が止めに入った。

「落ち着け鴨居!」

「鴨居ちゃん! ドウドウ!」

 関川から引き離された鴨居は、それでも怒気を孕んだ目で関川を睨みつけていた。関川はすっかり怯えた顔で身を縮めて「ごめんなさい、ごめんなさい」と小声で連呼していた。鴨居は鼻から荒く息を吐いてから、関川の腕を掴んだ。

「詳しい話は署で聞くから。行くぞ」


《続く》

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