恥さらしの島流し #8

 鴨居が眠い目をこすりながら検視報告書に目を通していると、甲山が戻って来た。

「あー眠ぃ」

「あ、お帰りッス」

 鴨居の呼びかけに右手を振って応えると、甲山は自分のデスクで煙草をふかす目黒に向かって告げた。

「室長! 源さんの聴取終わりました」

「ああご苦労さん。源さん、今夜のねぐら何処に行くって?」

 目黒の問いに、甲山は笑顔で答えた。

「さすがに今日は橋の下らしいですよ」

「そうか、大変だな」

 捜査中とは思えない緩んだやり取りを終えて、甲山は自分のデスクに陣取って調書を書き始めた。鴨居は正面玄関の方を見てから甲山に尋ねた。

「あの、草加さんは?」

「あ? あいつはトオルと聞き込みだ」

「あ、そうスか」

 甲山のぶっきらぼうな返答に頷き、鴨居は再び検視報告書に視線を戻した。だが仮眠を途中で遮られた所為か、だんだん瞼が落ちて来て、欠伸もこみ上げて来る。何度か頭を振って眠気を振り払い、報告書を睨みつけた。


 肩を強めに叩かれて、鴨居は頭を上げた。いつの間にか眠っていたらしい。寝ぼけて半開きの視界に、ブラックの缶コーヒーが入って来た。

「うぉっ!」

 思わず首を引いた鴨居に声をかけたのは、聞き込みを終えた草加だった。

「よ! お疲れ。良かったらこれ」

「あ、ありがとうございます」

 鴨居はのろい動きで缶コーヒーを受け取り、プルタブを引き開けてひと口啜った。口の中に染み渡る苦味が、鴨居の意識を覚醒させた。

 鴨居の対面に座った草加と、隣の仲町はそれぞれ報告書をまとめていた。もうひと口コーヒーを飲んだ鴨居が腕時計を見ると、午前八時二十分過ぎだった。

「もう八時か」

 独りごちた鴨居の目の前に、仲町の掌が突き出された。

「うぉっ!」

 先程と同じリアクションをした鴨居に、仲町が呆れ気味な顔で言った。

「検視報告書、ください」

「あっ、ああ」

 鴨居が慌てて手に持ったままの報告書を差し出すと、仲町は真顔で受け取って他の書類と一緒にしてまとめ、席を立った。

「じゃ室長、行って来ます」

「よろしくぅ」

 目黒がデスクから手を振る。鴨居が困惑顔で仲町に訊く。

「え、何処へ行くの?」

「え? ああ、本署ですよ、捜査の引き継ぎ」

「引き継ぎ? 何それ」

 問いかける鴨居を無視して、仲町は椅子にかけていた上着を取り出して「行って来まぁ~す」と言って分署を出て行った。

「チッ、シカトかよ」

 吐き捨てた鴨居は、室内を見回してから室長のデスクへ歩み寄った。

「室長! 引き継ぎってどういう事ッスか?」

「おぅ!? 何そんな恐い顔して」

 目黒のひょうきんなリアクションにイラ立ちを覚えた鴨居が、更に眉間の皺を深くして問いかけた。

「今仲町君が言った『引き継ぎ』ってのは何なんスか? 第一、何で今回の事件の報告書や調書を全部持って行くんスか? これはウチのヤマでしょ!?」

「あぁ、いや~それがねぇ」

 目黒が言い淀んでいる所へ、甲山が助け船を出した。

「残念ながら、俺達には初動捜査しか認められてねぇんだ」

「はぁ? それじゃ機動捜査隊きどうそうさたいじゃないスか」

 機動捜査隊とは、刑事事件が発生した際の初動捜査を担当する部隊である。

「そんなにいいモンじゃないけどね」

 横から草加が口を挟むが、鴨居は聞き流して更に甲山に訊く。

「その程度しかできないんだったら、オレ達は何の為にここにいるんスか? 自分の管轄で起きたヤマを解決できなくて、何の意味があるんスか?」

「あ、あのなぁ鴨居君」

 目黒が割り込もうとするのを甲山が手で制して、鴨居の正面に対峙して言い放った。

「いつまでも夢見てんじゃねぇぞ若造!」

 余りの迫力に、署内全員の目が甲山に集中した。一瞬気圧されかけながらも、鴨居は顔面に力を入れて甲山の視線を真っ直ぐ受け止める。甲山は更に顔を近づけて、腹の底から響く声で言った。

「まだ来たばっかりだから黙っててやろうと思ったがな、この際だから教えてやる。いいか、このプレハブはいわば『リストラ小屋』なんだよ!」

「リ……ッ」

 受けたショックの大きさに、鴨居は二の句が継げなくなった。昨日の電話で管理官が口を濁した話が、今最悪な形で繋がった。つまり今回の異動は、鴨居を警察から追い出したい刑事部長達と、警察官を続けさせたいと思った捜査一課長との妥協の産物だったのだ。

 目を泳がせる鴨居に、甲山が続ける。

「ここに居る署員はほぼ全員、何かしらの問題や不祥事を起こして上に睨まれた警察官だ。俺も、草加もトオルも、室長もだ! ここに飛ばされた時点でもう、後は飼い殺しに甘んじるか辞めるかしかないんだよ! 一課に返り咲くなんてなぁ、夢のまた夢なんだよ!」

「コーさん……」

 草加が思わず椅子から立ち上がって声をかけるが、甲山は顔を真っ赤にして鴨居を見据え続けている。

 甲山の言葉に打ちのめされている様に見えた鴨居が、ふと顔を上げて甲山を見返した。

「じゃ何で辞めないんスか?」


《続く》


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