恥さらしの島流し #5

 すぐに分署に戻る気にもなれなかった鴨居は、昼食を摂ろうと駅の方へ出た。周辺を歩き回って見つけたラーメン屋に入り、醤油ラーメンと半チャーハンのセットを注文した。奥に置かれたテレビは昼のワイドショーを流していて、主な話題は芸能人のスキャンダルだった。つい数日前には自分があの手の番組のネタになっていた事を思い出し、鴨居の心中は再び波立った。

 ラーメンと半チャーハンを平らげた鴨居は、腹ごなしに駅周辺を散策して地理を頭に叩き込んだ。刑事になり立ての頃に先輩から教わった心得だった。


 分署に戻った鴨居が、改めて自分にあてがわれたデスクを片付けていると、草加がばつの悪そうな顔で近寄って来た。

「何スか?」

 鴨居が目を合わせずに訊くと、草加がぎこちない微笑を浮かべながら言った。

「あ、あのさ、さっきは、悪かったね」

「いいスよ別に。気にしてませんから」

 強がる鴨居に、草加は妙に下手に出て来た。

「あ、そう、それならいいんだけど……でさぁ」

「だから何スか?」

 苛立ち混じりに再び訊いた鴨居に、草加が質問で返した。

「今夜、、何か用事ある?」

「は? いや、特に」

 鴨居の答を聞いた途端、草加の顔に喜色が満ちた。

「あぁそう! んじゃあさ、悪いんだけど――」

 草加は一旦言葉を切り、鴨居のご機嫌を窺う様に顔を覗き込んだ。その眼差しを鬱陶しく感じた鴨居が「だから何スか!? 早く言ってくださいよ」と言うと、草加が顔の前で音を立てて合掌した。

「頼む! 当直代わってくれ!」

「はぁ?」

 予想外の依頼にリアクションに困る鴨居に縋りつかんばかりの勢いで、草加が畳みかけた。

「来たばっかりのあんたに頼むのは申し訳ないんだけどさぁ~、今夜俺どぉ~しても行くトコあってさぁ、絶対外せないんだよぉ~判る?」

「判りませんよ!」

「そんな事言わないでさぁ、さっきコーさんに頼んだら笑顔で拒否られて、まさか課長には頼めないし、なぁ頼むよぉ~」

 対角線のデスクで煙草を吸いながら漫画雑誌を読んでいた甲山が口を挟む。

「どうせ女だろ? それに一昨日当直だった俺が代わる訳ねぇだろうが」

 図星を突かれたらしく、草加が言葉を詰まらせた。鴨居は深い溜息を吐いてから、草加を見て言った。

「いいスよ。どうせ暇ですから」

「マジ? よっしゃありがとう! 恩に着るぜ~」

 破顔一笑した草加が、鴨居の肩を掌で三度強打して離れた。鴨居は叩かれた肩をさすり、甲山は鼻で笑った。

「何なんだ全く」

 独りごちた鴨居がふと室長のデスクに目を移すと、目黒は居眠りを決め込んでいた。


「じゃあ、お先に」

 午後五時を過ぎた所で、目黒が鞄を手にデスクから離れた。鴨居達が口々に挨拶する中、目黒はゆったりとした足取りで分署を出て行った。ふと気づくと、森本は既に居なかった。

 目黒の後ろ姿が見えなくなるまで見送った草加が、ソファから跳ね起きて居住まいを正し、甲山と鴨居を交互に見て告げた。

「じゃ、申し訳ないッスけど、お先に!」

「今度はフラれるなよ」

 甲山の激励とも嫌味とも思われる言葉にサムズアップで応え、草加は裏口から分署を後にした。

「へっ、いい気なもんだ」

 吐き捨てる様に言った甲山が、椅子から腰を上げて鴨居に言った。

「悪いな、無理させちゃって」

「いや、大丈夫ッス」

 鴨居が事も無げに返すと、甲山は椅子の背もたれに掛けていたスイングトップを取り上げて袖を通し、ポケットから煙草を一本抜き出して言った。

「まぁ、あんまり気負わないでやってくれや。どうせ大した事件も起きないだろうし」

「はぁ、どうも」

 曖昧に返事する鴨居に微笑み返すと、甲山は煙草を咥えて火を点け、「じゃあな」とだけ言って分署を出た。

 ひとりになった鴨居は、分署内を見回して溜息を吐いた。


「おぉ~い、おぉ~い!」

 ソファに寝そべって仮眠を取っていた鴨居を、切羽詰まった様子の男の声が起こした。

「ん~? 何だようるっさいな」

 顔をしかめて上半身を起こした鴨居が、窓からこぼれる僅かな灯りを頼りに腕時計を見ると、午前一時を過ぎていた。男の声は正面出入口から聞こえて来て、扉をノックしながら呼びかけているらしい。

 のろい動きでソファから立ち上がった鴨居が、頭を掻きながら出入口へ歩み寄って内側からかけた鍵を外すと、かなり汚れた服を身に着けて無精髭を生やした中年男性が扉を開けて中へ飛び込んで来た。鴨居は男性の全身から発せられるすえた臭いに顔を歪めながら尋ねた。

「何? どうしたのオジサン?」

 すると男性は顔を上げて鴨居を見るなり訊き返した。

「あれ? 見ねぇ顔だな、あんた誰?」

「はぁ? 誰って、ここの刑事だよ」

「刑事? 新入りか? へぇ~」

 何故か感心する男性に苛立った鴨居が声を荒らげた。

「オレの事はどうでもいいよ、何の用なのオジサン!?」

 至近距離で大声を出されて驚いたのか、男性は数秒絶句した。鴨居の責める様な視線を受けてやっと我に返り、後ろを指差して答える。

「お、そうだそうだ、ひ、人が死んでるんだよ!」

「え、死んでる?」

 今度は鴨居が驚く番だった。


《続く》

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