恥さらしの島流し #2
「室長は釣り好きでな。ここが暇なのをいい事に釣りばっかりしてんのさ」
甲山が事も無げに言い、新たな煙草を抜き出す。草加が頭を掻きながら補足した。
「あ~、多分ちょっと下流の方に行けば居ると思うよ。スーツに麦わら帽子なんてカッコした釣り人、うちの室長しか居ないからさ」
「あ、そうスか、じゃあちょっと探して来ます」
口を尖らせて告げると、鴨居は踵を返して刑事課分室のスペースを出た。地域課分室のスペースを抜けて、先ほど案内してくれた受付の巡査に片手を挙げて外に出た。その直後、背後で巡査が素っ頓狂な声を上げた。
「あー思い出した! 人質!」
丘を下った鴨居は、スーツ姿の釣り人を探して川縁を進んだ。すると、彼方に灰色のスーツに黄色い麦わら帽子という、草加が言った通りの出で立ちで折り畳み式の椅子に腰掛けて川面に釣り糸を垂れる人影が見えた。すぐ隣に、黒い革ジャンを着た男が椅子を並べて釣りに興じているのが見える。鴨居は少し考えたものの、取り敢えず歩み寄って声をかけた。
「あの、すみません」
「んっ?」
麦わら帽子を上げて反応した男は五十代前半くらいで、色の薄いサングラスをかけていた。鴨居は怪訝そうな顔で尋ねた。
「河川敷分署の、刑事課分室の室長、ですか?」
すると男は、竿を脇に置いて応じた。
「あぁ、あたしがそうだけど、あ、君もしかして鴨居君?」
確認が取れたので、鴨居は居住まいを正して身分証を示し、表情を引き締めて挨拶した。
「はい。今日から河川敷分署に転属になりました、鴨居穣です。よろしくお願いします」
「どうも。改めて、あたしは
目黒は椅子から腰を上げて挨拶を返し、右手を差し出した。鴨居はまたも反射的に握手する。
「よ、よろしくお願いします」
そこへ、目黒の隣で釣り竿を操っていた男が口を開いた。
「よぉ兄ちゃん、そんな硬くならんで、気楽にやんな」
鴨居が顰め面で男を見てから、目黒に訊いた。
「こちらは?」
目黒は男を一瞥して答えた。
「あ、彼はね、うち付きの
「検屍官?」
鴨居は驚いて石倉に視線を移した。石倉は今まで見つめていた水面から鴨居に目を転じて口角を上げた。その顔には、うっすら無精髭が生えている。
「見えねぇだろ?」
「あ、いえ、そんな事は――」
「いいよ。俺もそう思ってっから」
石倉はそう言って豪快に笑うと、竿を上げて立ち上がった。
「んじゃ室長、俺ぁ先に戻ってっから」
「あぁ、あたしもすぐ戻る」
石倉は椅子を畳んで抱え、分署へ向かって歩き出した。その背中を見送った目黒が、麦わら帽子を取りつつ鴨居に向き直って言った。
「ご覧の通り、暇な所でね。滅多に事件も起こらんから、皆暇潰しに困ってるよ」
「はぁ」
困惑して相槌を打つ鴨居に、目黒は分署を指差して訊いた。
「うちの連中にはもう会ったんだろ?」
「ええ、つい先ほど」
「まぁ、クセ者しか居ないけど、上手くやってな。じゃ一旦戻ろうか」
目黒の提案に頷くと、鴨居は先に立って歩き出した。
丘を上がってみると、分署脇の駐車スペースに、先ほどまでは無かった真っ赤なスポーツカーが停まっていた。訝りつつも、鴨居は出入口の扉を開けた。受付の巡査が顔を上げたが、鴨居と目が合うと曖昧な微笑を浮かべて目を逸らした。首を傾げて中に入った鴨居が、署内の妙な空気に気づいた。
地域課分室に居る警察官達が、鴨居に好奇の視線を向けていた。嫌な予感がした鴨居が足早に地域課分室を通り過ぎようとすると、突然女性の大声が飛んで来た。
「あら署長代理! 今日も釣果ゼロですか~?」
驚いて肩をすくめる鴨居の脇を、やたらスタイルの良い妙齢の女性がすり抜けて目黒に接近した。目黒が苦笑して答える。
「ああ~
「いやいや、事件が無いと働かない刑事課と違って、私達は日頃のパトロールも大切な仕事なんですの~」
ふたりの嫌味合戦を引き気味で見ながら、鴨居が思わず漏らした。
「し、室長?」
すると、鴨居の呟きを聞きつけた女性が機敏な動きで振り向いて尋ねた。
「ん? 貴方は?」
大きめな瞳で見据えられて少し動揺しつつ自己紹介しようとする鴨居を制して、目黒が割って入った。
「あ、彼は今日からうちに来た新人」
「新人? ああ」
女性は何かを察した様に軽く頷くと、相変わらず鴨居に注目する署員達を睥睨してから言った。
「初めまして。私は地域課分室室長の
「あ、よろしくお願いします」
動揺を抑えつつ森本に挨拶した鴨居は、目黒と共に刑事課分室のスペースに入った。
「室長、またボウズッスか」
目黒に気づいた甲山がからかう様に言うと、目黒も負けじと言い返した。
「あたしだけじゃなくて、石さんもだよ」
「何だよ、また検屍官も一緒だったのか」
甲山が呆れ顔で言うと、ソファに寝転がっていた草加が上半身を起こして応じた。
「コーさん、仕方ないッスよ、死体なんか滅多に上がんねぇんだからこの辺」
「違いねぇな」
三人の談笑に入れず所在なげにしている鴨居に、目黒が告げた。
「あ、デスクはそこ使って。本当はもうひとり居るけど今日非番だから」
目黒が指差した、甲山の対角線にあるデスクに取りついた鴨居は、引き出しを開けて中をチェックした。そこへ、草加が歩み寄って小声で訊いた。
「あんたさ、テレビ出たんだって?」
鴨居の顔が、瞬時に強張った。
《続く》
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます