リバーサイドコップ

松田悠士郎

恥さらしの島流し #1

 東京南部を流れる一級河川「太那川たながわ」の河川敷、四メートル程の高さの丘の上に二階建てのプレハブが一棟建てられた。その出入口に掛けられた看板には、こう記されていた。

警視庁棚川警察署けいしちょうたながわけいさつしょ 河川敷分署かせんじきぶんしょ

 表向きは、凶悪事件が多発して治安が乱れている太那川河川敷周辺の取り締まりを強化する為に設置された事になっているが、実はこのプレハブ分署にはもうひとつの、本当の目的があった。


 鴨居穣かもいみのるは、私鉄の駅を降りると左右を見回し、フライトジャケットのポケットからメモ用紙を取り出して広げた。そこには、今立っている駅改札口から河川敷分署への簡単な地図が記されていた。

「え~っと、こっちか」

 地図を頼りに方向の見当をつけた鴨居は、忙しない足取りで改札口を離れた。

 側を通る幹線道路を過ぎて横断歩道を渡り、太那川のすぐ側を流れる支流に架かる橋を超えて河川敷に入り、二十メートルくらい先に見える小高い丘に向かった。まだ五月だというのに容赦ない陽射しが照りつけ、鴨居の額に汗が滲む。平日の午前中だからか、河川敷に人の姿は少ない。

 喉の渇きを覚えながら、鴨居は丘の上り口に作られた丸太の階段を上り、植え込みと樹木に囲まれて日陰ができている区域に入ってひと息吐いた。

「いや~暑い。しっかし何でこんな所に」

 ぼやきつつ見上げた視線の先に、目指す分署のプレハブが見えた。傍らに白と黒のツートンカラーの車両、通称『黒パト』が数台停まっているが、出入口に立哨は居ない。

「おしっ」

 鴨居は額の汗を拳で拭って再び歩き出した。

 分署に到着した鴨居は、出入口脇に掛けられた看板を見てから扉を開けて中に入った。正面にカウンターが設置され、『受付』と書かれた立て札が見える。その奥に座って何やら書きつけていた制服姿の若い巡査が、鴨居に気づいて立ち上がった。

「はい、何か用?」

 些か横柄な応対に、鴨居は顔をしかめた。

「何かって、あの、署長はいらっしゃいますか?」

「署長? あんた何なの?」

 巡査は怪訝そうな顔で訊き返した。鴨居は虫の居所が悪くなりつつ、カーゴパンツのポケットから身分証を取り出して巡査の眼前につきつけた。

「今日からここの刑事課分室に世話になる鴨居穣だ」

 巡査は驚いて顔を引き、身分証をまじまじと見た。鴨居の階級が『巡査部長』だと知ると、急に姿勢を正した。その急変ぶりに、周囲に居た他の警察官が一斉に注目する。

「し、失礼しました! ご案内します」

 巡査はカウンターを出て、鴨居の前に立って歩き出した。やや遅れて鴨居もついて行く。巡査の居た受付の後ろに『地域課分室』のスペースがあり、通路の右手には通信指令室が作られていた。

 巡査が通路の中央を仕切るウエスタンドアを押し開けて先へ進むと、そこが鴨居の目指す『刑事課分室』のスペースだった。巡査は一旦足を止めて室内を見回し、近くのデスクで煙草を吸いながら週刊誌を読んでいる、黄色いスイングトップを羽織った口髭の男に声をかけた。

「コーさん、室長は?」

 コーさんと呼ばれた男は、週刊誌をデスクに放って巡査を見上げた。

「何だ? ん、誰だそいつ」

 そいつ呼ばわりされて、鴨居が更に表情を険しくした。巡査が説明しようとするのを遮って、鴨居が前に出て自己紹介した。

「オレは、今日からこちらでお世話になる鴨居穣です。署長に着任のご挨拶をさせて頂きたいのですが」

「署長は居ねぇ」

「は?」

 意外な返答に鴨居が戸惑っていると、奥に置かれたソファから別の男の声が飛んで来た。

「新入りさん、うち今署長居ないんだよね、身体壊して辞めちゃって」

「はぁ?」

 更に戸惑う鴨居に、ソファから起き上がった三十代後半と思しきスタジアムジャンパー姿の男が歩み寄って言った。

「だからさ、今はうちの室長が署長代理。あ、俺は草加くさか。こちらは甲山こうやま主任、コーさんって呼んで」

 草加と名乗った男は笑顔で右手を差し出した。鴨居は反射的に握手して頭を下げた。

「あ、よろしくお願いします」

「じゃあ、自分はこれで失礼します」

 案内した巡査が鴨居達に敬礼してその場を離れた。その口が「どっかで見た事あんだよなぁ」と呟くのを、鴨居は聞き逃さなかったが、務めて表情は変えない様にした。

「あ、それで、室長は?」

 改めて鴨居が尋ねると、甲山が煙草を揉み消して立ち上がり、右手の人差し指を立てて上下に振って答えた。

「コレだよ」

「は?」

 草加が苦笑しながら代わりに言った。

「釣り」


《続く》


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