第34話 寝所に差し込む月明かり
扉が開けられて、柔らかい衣擦れの音がさらさらと聞こえた。誰かが入ってきた気配がする。
「失礼するぞ…どこだ?」と少し緊張をはらんだ声がしたので、レイチェルは「寝室におります」と声の主に返答した。
(王も緊張すんのかよ…おいおい、いきなり連れてこられたこっちの身にもなってくれっつーの!)
「そちらに行く」
王は鈴の音のような声の方にずかずか歩いて行く。
入口からゆったりしたリビング、そして寝所とつながった庭が望める開放感のあるテラスには月明かりが差し込んでおり、床に美しく平伏する彼女を照らしていた。
彼はそこで違和感を感じて立ち止まった。
王の気配の前で彼女は頭を下げたまま一言一句はっきりと奏上した。言うなればやけっぱちである。
「
王は違和感の原因を理解し、平伏する彼女のそばに駆け寄り
「おまえっ、髪をどうしたっ?!」
彼女の髪は肩上のあたりで醜く切られている。見ると彼女の隣には長い金色の美しい髪がきっちりと束ねられていた。
「はい、切りました。
「バカっ、レイ!こっちを見ろ」
(あれ、聞きなれた声…?やっぱり従弟かなんかだから骨格が似て声も似るのかな…でもポールとロイは似てなかったな…)
レイチェルは頭を上げた。
「なんで次の王だって教えてくれなかったの?」
(こっちの気も知らずに…死罪を覚悟してまでやったっつーのに!)
しんとした王宮の離れの月明かりの中、二人は言い合いをしていた。
「教えたら、危なくてゆっくり勉強できねーじゃねーか!それより反対になんで気がつかないかな?アランやユリアンなんてすぐに気がついたぞ」
「ぐっ…だって思い込んでたから…」
「バーカ。でも急で悪かったよ」
ロイはそう言いながら彼女を引き寄せ、うっとりとしてレイチェルの肩上で乱暴に切られたザンバランな髪を撫でた。
「お前は俺に操を立てようとしたんだな…正直おまえにそれほど好かれてるなんて思ってなかったから、すげー嬉しい。俺ばっかりレイの事好きなんだと…」
「もう…だからってこんなに私を驚かせて…信じられないよ…」
「…ポールがレイに最新の地図を誕生日にプレゼントして、キキ殿のご飯を食べてきたことを自慢してきたから焦ったんだ。あいつ地理学マニアだしおまえも最新の地図とかに弱いから、俺がこっから出られない間にポールに取られちゃうんじゃないかと思って…もうどうしたらいいかわからなくて、無理やりにでも嫌われてもいいから手元に置きたかった。おまえが王宮は嫌だってのは知ってる。でも、俺と一緒にここで生きてくれないか?あと、誕生日おめでとな」
ポールは王宮から動けないロイの為にレイチェルの様子を見に行って報告しただけだったのだが、嫉妬したロイによってその行動は曲解されていた。
「…バカ。ありがと…ここは窮屈そうで嫌だけどロイがいるならまあいいよ…」
(もう、わかってない…ずっと私はロイのこと好きだ。多分あの父の手紙から救ってもらった時から。王妃は嫌だけど、ロイの妻にならなってもいいって思う)
二人はゆっくりと唇を合わせた。
ロイは今まで結婚をしてない為キスから先は一切手を出していない。ようやく彼女の服に手を延ばし、服に手が届くか届かないかのその瞬間、
「でもさ、結婚はしばらく先だね!私こんな頭だし」と彼女は空気を読まずにのんきに言い出したのでロイは飛び上がった。今の流れだと普通はそのまま…の筈だ。
「べ、別に今でも…」
「ダメ、ちゃんと神様に認めてもらわないと赤ちゃんが来ないよっ」
レイチェルがそう言い切ったので、ロイは恐る恐る聞いた。結婚してからでないと性交はしないという主張ではなく、性交の過程そのものがないように聞こえたのだ。もしや…
「…レイさ、どうやって赤ちゃんが産まれるか知ってるのか?」
ロイが真剣に聞くと、レイチェルは彼をバカにしたように鼻で笑った。
「ふふん、知ってるに決まってるじゃん。結婚したカップルが神殿で一生懸命お願いして、神様に正式に認められた順番に赤ちゃんが家のドアの前に運ばれてくるんでしょ?」
それは捨て子じゃねーのか?!とロイは突っ込もうとしたが、彼女が至って真剣なので止めておいた。
彼の予想通りだった。あまりに無邪気で美しく純真無垢な彼女の前では周りが下世話な事を言えなかった。なのでレイチェルの性知識は12歳あたりで止まっている。大学にも行っているのだしロイと恋人にもなっているのだから知っているに決まっていると周りは思っていたが、そうではない。まるっとその辺りの知識だけが抜け落ちていた。
「ふぅ…まあ、ゆっくり夫婦になればいいか。これからも宜しくな」
彼はレイチェルの肩を掴んで、がっくりと頭を下げる。
「エヘヘ、こちらこそ宜しく。王様がロイで良かった…私ってば本当に幸せだ」
そう恥ずかしそうにレイチェルは言ってから、彼の首にぎゅっと抱き着いた。レイチェルの柔らかい肉体がロイに押し当てられて彼は頭がくらくらした。頭の中で今夜出来ると思っていた妄想が膨らむ。
危険を感じた彼はレイチェルを引きはがし、ベッドで手をつないだまま寝転ばせた。
二人は1か月会わない間にあったことをお互い報告した。
彼は勢いがついた身体を持て余して密かにもじもじしている。彼女が寝息をたて始めた後もロイは眠れないまま、レイチェルに初めて出会った時のことを思い出していた。
~‥~‥~‥~‥~‥~‥~‥~‥~‥~‥~‥~‥~‥
「おい、おまえ下級貴族のくせに王立学園に入るなんて生意気だ」
「そ、そんなこと言ったって…」
「うるせー、おまえはここにいていい種類の人間じゃねーんだよ」
ロイがつまらない授業に辟易して帰ろうと教室から出たら、入学したばかりのブルクの有力貴族であるサヴォイア家のトンマーゾを主とした3人の男子生徒が廊下で気の弱そうな男子生徒を囲んでいる。
学園に新入生が入学すると毎年よく見かける光景だ。親の威を借りて子が威張る。くだらないヒエラルキー。それを先生も社会の縮図として容認しているので余計にエスカレートしていた。
『本気でくだらねー、こいつんらみたいな脳みその足りないクソがルテティア王国の将来を支えられるとはとても思えねーな』
ロイはそう思いつつ、いい加減見苦しいので自分も王族の親の力を借りて一発かましてやろうかと近寄っていくと、後ろからスッと自分を追い抜いてその集まりに
「貴方達、この方に御用があるのならば私が
彼女は囲まれていた男子生徒を力任せにぐいっと引っ張りだして教室に押し戻した。貴族の女子にしては結構な力だ。
「おい、かっこつけてんじゃねーよ。俺の親は…」
「お偉いのでしょ?それは了解しました。トンマーゾ・フランチェスコ・ディ・サヴォイア様、ちょっと二人きりでお話し致しませんか?」
「お、おう…」
突然フルネームで呼ばれた彼は驚いて彼女の後をついて行った。そのまま彼らは人気のない教室に入った。ロイは気になって後を付け、教室を覗いた。
「な、なんだよ…」
トンマーゾは彼女がフォンテンブロー侯爵家という頭一つ飛び抜けた家柄の子供であることを理解しており、家柄でしか物事を判断する基準を持っていない彼はどう対応したらいいか迷っていた。
「あのですね、最近あなたたちが目障りだったの。だから…」
彼女はふいににっこりと微笑みを浮かべて彼に近寄った。彼がドキリとして固まっていると、彼女は左のかかとで彼の右の足の甲を蹴り下げ、ぐいっと踏んだままで彼のみぞおちに右の拳を叩き込んだ。
「グ…っ」
彼は思わず身体を二つに折って彼女の足元に崩れ落ちた。殴られたことなどないのだろう、驚きと苦痛に顔を歪めている。
「痛いですか?これに懲りたら、
返事がない彼の側頭部に彼女は
「わかった、わかったから止めろっ」とトンマーゾは
「良かった!ありがとうございます、これで
さっきまで自分がされていた暴行は自分が下級貴族にしていたことだと思い出しながら、トンマーゾは混乱して聞いた。
「な、なんでおまえみたいな家柄の生徒がアイツを庇うんだよ?」
「あの方の為ではありません。弱い者いじめを見ている自分が嫌だからに決まってるではないですか!あらあら、貴方様は高級な貴族様なのですよね?しっかり考えたらいかがですか?頭の中は下級なのでわかりませんか?」
「ぐっ…わ、わかったよ、もうしない」
「そうですね、貴方自身のためにもそれが宜しいかと思います。わかってくださってありがとうございます!」
レイチェルはさっと彼に手を貸して立たせ、彼の服を整えた。
「さ、行きましょう。そうそう、報復するなら彼にではなく私にして下さい。もし彼に手をだしたら、貴方が約束を
レイチェルがニコニコ微笑みながらお願いという名の脅迫をすると、彼は恥ずかしそうに答えた。
「ふんっ、もうしねーよ、目が覚めた。子供っぽい行いだと俺もわかってたけど、取り巻きのあいつらの手前、止められなくなってた」
「そうなのですか…子供のままでいたい、という気持ちはわかる気がします。私も色々と知らない子供のままで居たかったなとたまに思いますもの…さ、貴方はその取り巻きの方たちを正しく導く為にもちゃんとする義務があります。なんといっても高級な貴族なのですから」
しれっとそう言ったレイチェルを見ていたら、彼は毒気が抜かれたようで吹き出した。
「ぷっ…おまえ、変なやつだな」
「そうですか?至って自己中心的なだけです。貴方には全く恨みもございませんので、仲良くして下さると嬉しいです」
自分を酷い目に合わせたレイチェルからの意外な友達申請に男は呆れていた。
「本当に変なやつ。いいぜ、友達になってやる。なぁ、フォンテーヌブローってどんなとこなんだ?」
「正しくはフォンテンブロー、です。そうですね、とても寒くて山深い場所で…」
二人が楽しそうに話しながら教室を出ていくのを、ロイは眼を丸くして見ていた。
彼女のとうてい貴族らしからぬ暴力的な振る舞いに面食らったのもあるが、入学以来のサヴォイア家の息子のほの暗い鬱屈した顔が、うって変わって明るくなっているのにロイは気がついた。彼女は彼と彼の未来を変えたのだ。
「な、なんてやつだ…あんな年下の女に俺は負けたっていうのか…!」
彼は勝手に深い敗北感を味わってその場に膝をついた。初めての屈辱だった。
そして彼は何かと強い存在感を放つレイチェルに対抗心を燃やすようになった。血筋が良くて上品な上に成績優秀、容姿端麗、寡黙だがやるときはやるし言うことははっきりと言う、という異色の存在の彼女は学園で誰からも一目置かれていた。学長でさえ彼女を気に入り、ロイに、こっそりと次の后としてどうかとお伺いを立てるくらいだった。
とりあえず勉強では負けないよう必死になった。彼女も、飛び級しながらもなかなか勝てないロイに対向心を燃やすようになっていた。彼女は負けても平気な振りをしているが、本心はかなり悔しがっているのをいつも見ている彼は知っていた。彼は彼女に認められているようで嬉しくてますます勉強に燃えた。次期王として絶対に負けられない、と思った。
ある日の昼休み、誰もいない教室でレイチェルが窓にもたれて寝ているとこに出くわした。夜更かしして本でも読んでいたのだろう。
吸い寄せられるようにロイは近づき、誰にも見られていないことを確認してから、彼女の綺麗な金色のお下げを触った。神殿にある女神像のような美しい顔立ちに見とれていた。
「髪、下ろしてきてくんねーかな?見てみたいんだけど…」と小さな声を出すと、彼女が眼を覚ました。びくっとした彼は、思わず握っていた髪を思い切り引っ張ってしまった。
「
ロイは『ごめん』と言いたかったが、何で髪を触っていたのかを聞かれそうで怖かったので、
「ああ、カーテンの紐と間違えて引っ張っちまった」と笑って誤魔化した。
彼女が一瞬泣きそうな顔になり、彼は背中がヒヤッとした。が、すぐに、ニコリと微笑み、思い切り彼の肺を正拳突きした。そして「何か御用ですか?」と聞いた。
「っ…」
彼は息が出来なかった。
恋に落ちたせいか殴られたせいかはわからない。
その彼女が今は腕の中にいて、健やかな寝息をたてているのは奇跡のようにも感じる。
「猫かぶりで真っ直ぐで賢くて強いおまえを俺のものにしたい、ってずっと思ってた。でも違うな。おまえは昔から変わらずおまえのものだ。未熟な俺の隣にいて助けて欲しい…これから先、ずっとだ。もうそばから離さないから…」
学園で恋に落ちた時と変わらぬ彼の女神にロイは夜通し見とれていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます