第33話 死罪か、良くても一生牢獄暮らし

 いつも通り激しく議論を交わす平和な大学に凶報が飛び込んできた。

 

 国王の崩御だ。




 ルテティア中が喪に服し、国民が家に籠って2週間が経った。

 ただでさえ暗いのに、梅雨のせいで輪をかけて毎日が暗い。毎年楽しみにしている初夏の国を挙げてのお祭りも中止だ。

 大学も休講、図書館も休館なのでレイチェルは暇で暇で仕方なかった。アランはずっと王宮に詰めており、ロイは…王の崩御の少し前から全く姿を見せなくなった。


「…誕生日過ぎちゃった。ロイってば、手紙でもくれればいいのに…」


 レイチェルはお腹の上で寝ている船旅仲間の勇者・白玉に話しかけた。もちろん返事はない。夢を見ているのかたまに「ぬぉ…」と寝言を言うのが可愛い。子猫だった白玉はもはや成猫となっており、ふわふわの白い玉というよりは大きな白いモップほどの大きさになっていた。


(王族だし今は忙しいんだろうな…でもポールは新しい地図を誕生日祝いに持って遊びに来てくれたんだから、ロイだってさ…。マルシリウス先生もユリアンも王宮から帰ってこないし…気晴らしにアランに何か差し入れにでも持って行こうかな)


 朝からベッドでモヤモヤしてたら、キキがドアをノックした。来客だった。


(ポールかな。この前来た時にあまりに私が暇そうだっただから本でも持ってきてくれたのかも…)


 誰でもいいから話したかったレイチェルは、「ぬあ?」と寝ぼけている白玉を叩き起こして抱き上げ、浮き浮きと階段を降りた。白玉は結構な重さである。ダイエットの必要がありそうだ。




「おー、ユリアンじゃないの?久しぶりだね」

「レイは変わらないな…元気そうで何よりだよ。朝早くごめん。おー、白玉も元気そうだな」


 寝不足で目の下にくまをつくったユリアヌスは、灰色の瞳を優しく揺らしてレイチェルの腕の中の真っ白の愛猫を撫でた。涼しそうな家着のレイチェルに眠そうに抱かれた白玉は、ユリアヌスに撫でられて気持ち良さそうに眼を細めた。たまに来るユリアヌスをちゃんと覚えていて懐いている。

 ちなみに白玉はロイには絶対に近寄らないが、ロイがレイチェルに近寄ると「ふううっ」と威嚇する。騎士気取りかよ、といつもロイが憎々しげに怒ると、アランとキキが笑うのだった。白玉はオスだ。


「大丈夫?酷い顔だ、少しアランの部屋で寝なよ。王宮大変なんでしょ、よく出てこれたね…」


 ユリアヌスはロイのしつこい要請で2年前からマルシリウス先生と一緒に王宮に行くようになった。あまり教えてくれないが政策に関わったり王族の家庭教師などをしているようだ。


「レイが心配で。でも、こっそり抜けてきたからすぐに戻るんだ」

「は?まあ確かに、退屈で死にそうだったけれども…」


 ユリアヌスはレイチェルの顔を真剣に見つめて言い聞かせた。


「レイ、これから何があっても早まったことをしてはいけないよ。それを言いに来た」

「早まる…?」


(殉死とか?いやいや、王を追って死ぬとかありえない。死んだら終わりだってーの!)


 良くわからないながらもレイチェルは首を縦に振った。


「わかったね?じゃあ僕は戻るから」

「え、もう?朝ご飯食べてきなよ、きっとキキが用意してる…」


 レイチェルがそう言うと、ユリアヌスは灰色の瞳を楽しそうに揺らせた。


「キキ殿の朝ご飯は魅力的だけど、今日のところは戻るよ。やることが山積みなんだ。ありがと」


 そう言って家から出るユリアヌスに、察しのいいキキはサンドイッチのお弁当を持たせた。白玉はユリアヌスが出て行くのを見計らって外に飛び出そうと計画してしたが、後ろから忍び寄ったレイチェルに捕まっていた。ネコのくせに鈍重なのだ。




(ふーん、ユリアンの忠告は何だったんだろう?こんなあやふやなの彼らしくない…)


 そう思いつつ、白玉と一緒に本を熱心に読んでいたら、昼になっていた。

 ユリアヌスのもたらした清浄な空気で毒気を抜かれてしまい、もう外に出る気も無い。どうせ散歩しても多くの店舗が喪に服して閉まっている。やっているのは食料品店だけだ。


(お腹がすいたな、昼ご飯はなんだろう?)


 最近ご飯のことしか考えられないなー、なんてのんきに考えていたら、昼前に驚くべき使者がやってきた。




「レイチェル・ド・フォンテンブロー様。勅命でございます、お受け取り下さいませ」

「うっ…」


 新しい王からの勅使がうやうやしく立派な手紙を彼女に差し出した。時代がかっていて大げさだと笑い飛ばす余裕もない。

 恐る恐る中を読むと、レイチェルにただちに王宮に入り、新しい王に仕えるようにと書いてある。ずらりと並ぶ推薦人には学長と先王の妹のアン、マルシリウス先生、ポールとなんとユリアヌスの名前まである。


(私が嫌がってるのをみんな知ってるくせに!なんてこった…油断してた。アン様まで…酷いよ!)


 裏切られた気持ちで呆然としつつも、


「あの…わたくしはもう20歳ハタチなので適齢期を過ぎており、后候補には遅過ぎるかと…それに恋人がいるのですが…」と痩せぎすの使いに訴えてみた。しかし彼は、


わたくしではわかりかねます」の一点張りだった。そして今すぐ馬車に乗って王宮に来るように促した。


「今?う、嘘…キキっ…助けてっ…」


 王宮に入ったら当分キキとアラン、白玉には会えないだろう。ロイにもだ。もちろん大学にも行けない。

 レイチェルはエメラルドグリーンの目を濡らしてキキに助けを求めたが、あっけなくいさめられた。


「レイ様。いえ、レイチェル・ド・フォンテンブロー様。キキは貴女様こそがルテティア王国の后に相応しいと常々思っておりましたし、そのように心身ともに美しくお育てしたつもりです。なのでレイチェル様が選ばれたこと、大変誇らしく天にも昇る気持ちでございます。ご自覚がないかもしれませんが、レイチェル様は国母に相応しい器です。血筋もさることながら知性と理性、優しさ。そして頑丈…いえ、お身体が強くていらっしゃる。お育てしたキキも鼻が高こうございますよ。ロイ様には大変申し訳ないですが、ルテティア王国の非常事態です、諦めて頂きましょう。これは高貴な女性の義務です」


 キキは厳しい表情をしている。間違っていないキキに、レイチェルが抗えるはずもなかった。


(新王の命令は絶対…)


 彼女は大きくため息をついた。




「え…こちらですか?」

「はい、こちらの行李こうりに入るだけの物を持っていくことが出来ます。御用意下さいませ。それまでこちらで待たせて頂きます」


 木の皮で編んだ軽い小さな箱を渡され、レイチェルはもう食欲などなかった。

 ふらふらと部屋に戻り、持って行きたいものを探す。愛猫はどっかに隠れてしまっていた。


「白玉はダメだろうな…」


 マルシリウス先生の本を何冊か、アランにもらったまっさらの日記帳、キキにもらったフルーティーなバラの香水。ポールにもらった最新の地図。

 そしてロイからの塗りの櫛や口紅、爪紅つまべにの贈り物。

 化粧なんて自分らしくないし、高価でもったいないのもあって使っていなかったけど、こんなことならもっと使って彼に見せたかったと後悔した。

 

 一度部屋から出たが、思い立ったようにレイチェルは戻り、あるものを行李に入れたノートに挟んだ。




(マジか…なんでこんなことに…ああ、もうっ。これって誘拐じゃん!)


 レイチェルは泣く泣くキキと別れ(泣いていたのはレイチェルだけで、キキは喜びのあまり頭から蒸気が出そうになっていた)、立派な2頭立ての馬車で豪華な王宮の門をくぐって連れていかれた。

 門には『無欲であれ』と書かれたでかい額がかかっていた。


(ここから先は王宮だから覚悟しろよ、ってことか…覚悟もなにも、無理矢理連れてこられたんだけどさぁ…もう二度と生きて出られなかったらどうしよう…)



 王宮の裏に直接乗り付ける道を進み、奥深くまで行くと1階建ての瀟洒な別棟が見えてきた。王宮とは屋根の付いた通路でつながっているので、王の妃たちが住む建物だろう。

 中に入ると、10人程の侍女が平伏しており、キキより少し年下のきりっとした侍女長がテキパキと挨拶をした。

 レイチェルはぼんやりと、ここは生活感がなくがらんとしているなと感じていた。崩御した前国王は病弱だったため妃がいなかったと聞いている。正妃は王子を生んでから亡くなっていた。


(先王と身分の低い女性との間に王女がいると聞いたが、ここにるのだろうか?)

 

 そんなことを考えていたら、風呂に案内された。


「こちら湯殿でございます、お入りくださいませ」


 彼女は侍女長に服を脱がされてめまいがするほどいい香りのする風呂に入らされ、出たらセリカ産の最高級であろう薄絹に刺繍がしてある衣装に着替えさせられた。着ていないように軽い。丁寧に化粧を施されるとあっという間に夕方になっていた。

 案内された部屋はレイチェルがこれから住むのだと告げられたが、全く馴染めなかった。広くてがらんとしていて、寂しさしかレイチェルは感じられない。もうすでにキキとアランと住んでいた狭い住まいが懐かしくて仕方なかった。


「お食事でございます。お召し上がり下さい」と言われて朝食のあとは何も食べていないことに気がついた。

 促されて席に座り、もそもそと食べ物を口に運ぶが、砂を噛んでるみたいで味がしない。もったいないが食が進まないので片付けてもらった。

 なんだか疲れてしまいベッドに寝転んで見事な庭をしばらくぼんやり見ていたら、急に脳が覚醒して飛び起きた。


(っていうか、もうこれって下着じゃん!え?えっ?いきなりなの?物語ではたくさんの候補がずらりと並んでいて、そこから王がお相手を『どれにしようかなっ』『きゃあ、私が選ばれるかも、ドキドキ』って選ぶんじゃ…お手付きにならずにうまく切り抜けて25くらいまで年取ったら帰れるのかと期待してたけど、もしや私一人なの?)


 一人焦っていると、先ほどの侍女長が部屋の要所にあるランプに火を入れ、「王がお見えになります」と告げて去っていった。いつの間にか外は真っ暗になっていた。ほのかに香油が燃えるいい匂いが漂う。リラックス効果がありそうだが、今のレイチェルには全く効いていない。

 貴族の務めだと諦めたつもりだったが、土壇場になって背中に汗が垂れる。


(ヤダ、これやっぱムリだわ!国の為っていってもこんなの…だって私はロイの事好きなんだもの)


 絶対に寿命まで生き抜くと6歳の時に決めたのに、と思わずレイチェルは笑ってしまった。王の嫁なんて一番避けて生きてきたはずなのに、なぜこうなったのか?


(やっぱり運命は変えられないんだ…ここで断ったら死罪か一生牢獄か…でも自分をいつわることは間違っている。王様にも大変失礼なことだ。他にいい女性を見つけてもらった方が…)


 彼女はすっくと立ちあがり、行李の中に隠し持ってきたナイフを取り出した。


「キキ、ごめん…せっかく育ててもらったけど、この役目は私には無理だったよ」

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