第32話 独占
ポール、ユリアヌスとロイはロンディウム王国の国王と謁見したり海軍を視察したりなど公務で忙しくしていた。内陸部が多いルテティア王国は同盟国である島国ロンディウム王国の誇る強力な海軍力を味方につけ、遠方への貿易を拡大したいと考えているのだ。
貿易では海賊の脅威は避けられない。ロンディウム王国は常に北方からの海賊の襲撃に脅かされており、年に一回は沿岸の都市が壊滅状態に追い込まれていた。男性・老人は皆殺し、女子供は奴隷として連れ去られ町は焼き払われるという容赦のないもので、海軍は海賊の動向に常に目を光らせている。
アンはレイチェルを深く気に入り、10日間に伸びた滞在の間どこにでもレイチェルを連れて歩いた。夜は遅くまでアンの部屋で話し込み、晴れて心を通じ合わせたロイを困らせていた。
アンが一緒にいるので安心だったが、彼女がお茶会や夜会などにもレイチェルを連れて行くので、彼女が男に言い寄られていないか心配なロイは公務に身が入らない。
最初は心配でロイも夜会に付いて行ったが、やたらとレイチェルに男性が寄ってきてイラついてしまうので行かなくなった。当のレイチェルがそれらの男性に全く興味がないのは付き合いの長いロイには丸わかりだが、彼女が猫かぶりで愛想よく対応すると彼らは自分に脈があると勘違いしてしまうので厄介なのだ。
毎日のように届くレイチェルへの大量の恋文でアンは鼻が高かったが、ロイは手紙に目を通して適当に返信するレイチェルを見るたびに舌打ちして眉間に皺を寄せた。嫉妬しているなんてカッコ悪くてレイチェルに知られたくないロイであった。
そんなロイを見てポールとユリアヌスが笑い転げ、生ぬるく見守った。
ロンディウム滞在最後の日、アンはレイチェルを誘って自慢の庭をぐるりと散歩し、ロイの話をした。
彼は母親を幼少時に失くし、アンが母親代わりで可愛がっていたが、ロイが5歳の時に彼女は遠方の島国であるここ、ロンディウム王国に嫁いでしまった。
「ロイは寂しかったでしょうね。でも強くて優しい子だから周りに気を使ってそんなこと言えなかったと思うの」
ロイの父親は自分と同じ栗色の髪の息子を愛していたが、公務の忙しさから息子を十分にはかまうことが出来なかった。王族としての教育を幼少から受けたせいでプライドが高いけど、意外と内側は柔らかくもろい。
(確かに、やたら面倒なタイプではあるよな…人に甘えるとか素直とかから一番遠い気がする…すぐに怒るし)
「レイならばロイの足りない部分を補えますわ。私、兄王にもレイをオススメしておきますから、ご安心なさって」
「はぁ…しかしロイ様のお父様がなんとおっしゃるでしょうか。もう彼は適齢期ですし、どなたか良家の子女をお相手に考えているのでは…」
「何をおっしゃるの?貴女は現王室が多大な恩を感じているフォンテンブロー侯爵の娘です。それこそ王妃に相応しいと誰もが思っています。私こう見えても人を見る目はありますのよ」
(くっ、また王の嫁かよっ!それはごめん
「いえ、后はさすがに困ります…」
「まぁ、なぜ?国の女性すべてが憧れるポジションですのに…物語などでも王子や王様と結婚してめでたしめでたし、でしょ?」とからかうように聞いた。
「身に余る幸運で不幸になりそうで怖いのです…」
(嘘は言ってない、よね)
レイチェルの言葉を聞いてアンは小さくため息をついた。否定的なものでなく、『困った人ね』と笑って言いたそうだ。
「…とにかくロイを宜しくお願いしますね」
「はい…私が役に立つかはわかりませんが、出来る限りのことを致します」
「もうっ、正直で可愛い方ね…それに謙虚で真面目…侯爵様にそっくりだわ」
アンはレイチェルのエメラルドグリーンの瞳の奥の誰かを探すように覗き、じっと見つめた後、目をふいと細めて頬にキスした。
「アン…様?」
「これで思い残すことはないわ。寂しいから見送りには行かない。気をつけてお帰りなさい。…兄に会うことがあれば宜しくね」
「アン様…
(まるで姉のようで…くそっ、私が寂しくて涙が出そうだ…)
レイチェルはお別れの挨拶をした。
ぎゅっと拳を握りこんでその場を離れると、入れ替わりに6歳の栗色の髪の男子がアンに向かって転がるように走っていった。アンの末っ子だ。
「お母様ぁ~」
「まあ、リオネルったら…甘えん坊なところをお客様に見られましたわよ」
「いいよ、僕お母様が大好きだものっ」
「まあ、しょうがない子ね…可愛い私のミルフィーユちゃん…」
『リオネル』と言う名前が聞こえてレイチェルは固まった。彼女の父親と同じ名前なのだ。
(まあ偶然なのだけど…そうとわかっていても聞くたびにドキッとする)
レイチェルが涙を落ち着かせるために噴水広場から大回りして、この10日間で起こった出来事を思い出しながら最後の庭園散歩を楽しんでいると、後ろから大きな足音がする。振り向くとロイが走ってきた。
「あれ、まだ時間じゃないよね?」
「
珍しく肩で息をするロイが面白くてレイチェルがけらけらと笑うと、むっとした彼は彼女の腕を引っ張りクレマチスやジャスミンが絡むガゼボに連行して自分の膝の上に座らせた。いつものように男装したレイチェルの手をとって口元に持っていき、唇を愛おしそうに付ける。
「叔母のガードが固くて、おまえにずっと触れられなかった…」
(え…そうだったの?いやいや、そんなことないでしょー!考えすぎだって…)
「アン様はそんなこと…っ」
ロイは彼女の言葉も待てずに少し乱暴に唇をふさいだ。何度も角度を変える唇と隙間から口中に入り込んできた舌に翻弄されて、レイチェルはクラクラしてロイにもたれかかった。上顎に舌を当てられてびくりと彼女の身体が震える。
「ま…待って、舌を入れられると
「ダメだ、船は人目があるからもうこんなこと出来ないだろ?…それとも部屋に入れてくれるのか?」と惚けてとろんとしたロイが耳元で熱っぽく聞くので、彼女の頭が破裂しそうに熱くなった。
「ダ、ダメに決まってる。海の神様が怒って船を沈ませちゃう」
もちろんレイチェルは神様が船を沈ませるなんて信じていない。迷信は人々の弱味につけ込んで、人々を抑圧している。それは共同幻想であり、神を信じるとは別の話なのだ。
しかし、船の乗組員を不安にさせる行いは間違っていると思うのだ。
「おまえそんなこと思ってもないくせに…意地悪だな。じゃあなおさら、ここでたくさんレイに触れとかないと…」
彼は大きな手を彼女の後頭部に当てて、顔を寄せた。
(ち、近いよっ…恥ずかしいんだけど…)
「ロイったら、それ絶対言い訳だよねっ」
長いキスの予感に真っ赤になった彼女がそう抗議すると、
「ふん、うるさい…レイが俺を感じてる顔を見たいんだ…俺だけが見れるレイの表情を…」と言いながら彼女と唇を合わせてじっくりと反応を楽しんだ。
ロイは昔読んで女子供の読み物だとバカにしていた絵物語の主人公みたいに、国など放っておいて彼女とここで永遠に唇を重ねたままでいたいと感じていた。自分がすでにまるっと根っこから変わってしまい、彼女がそばにいない人生などすでに考えられなくなっていることに少し恐怖しながら。
~‥~‥~‥~‥~‥~‥~‥~‥~‥~‥~‥~‥~‥
レイチェルたちが無事にブルグに戻って2年が経った。
帰国してからもレイチェルはアンと手紙を頻繁にやり取りしている。ジャイともだ。ロイが見せろとうるさいので手紙を見せているが、ジャイからの内容は学問のことや新しい都市の計画がほとんどを占めていた。もうすぐ親の決めた相手と結婚することも書いてあり、ロイは複雑な顔でそれを読んだ。
アンの手紙は毎回『私のエメラルドグリーンの瞳の子猫ちゃん、元気かしら?』で始まっていた。
「アン様の手紙、すごく甘いんだ。なんでだろう?」
以前ロイに聞いたら、「さあな」ととぼけて答えた。何か理由を知っているようだが教えてくれない。
『私のエメラルドグリーンの瞳の子猫ちゃん、元気かしら?
ロイと上手くいっているようで安心致しました。ロイはとても意地っ張りなので大変でしょう?二人とも適齢期なので、結婚などの話が出るかもしれません。その時はお祝いさせてくださいね。楽しみにしています。
アン』
(この手紙はロイには見せられないな、こんなんに乗せられてロイが結婚なんて言い出したら面倒で仕方ないじゃないか。そもそも結婚したら大学に通えないだろうし…今が一番楽しくて幸せだ…)
二人は恋人だったが、ルテティア王国ではむやみに結婚してない男女が二人で長時間出歩いたり触れ合えるような風習がなく、誰もいない場所でこっそり愛情を確認する関係が続いていた。
レイチェルの家ではキキが目を光らせているので絶対に手を出すなんて考えられなかったし、ロイの住む王宮に行くのはレイチェルが嫌がった。
それでもポールやユリアヌスやマルシリウス先生、アランたちの暖かい目の元で二人は仲良く言い合いしつつも彼らなりの歩みで愛を育んでいた。
しかしある日、ルテティア王国を揺るがす大事件が起こった。
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