第31話 昔話と告白

「もう20年程前になるのね、私は15歳、兄は25歳でした。ロイはまだ産まれておらず、ポールは6歳くらいでしたね。

 兄は父が亡くなって若くして王に即位しましたが、不安定になったルテティア王国をまとめきれず、日に日にブルクの有力貴族の力が強くなっていました。そしてある日、軍のトップの貴族たちが反乱を起こしてブルクを制圧し、私達は王宮の門を閉めて騎士団と共に籠城したのです。

 兄は近隣の領主に救援要請の手紙を書きましたが、どこからも反応がありませんでした。様子を見ていたのでしょうね。しかしレイの父上は遠方から秘密裏に山を越えて軍を率いて、あっという間にブルクを制圧して王族を混乱から助け出してくれました。反乱が起きてたった2日後の事です。不思議なことに、フォンテンブロー侯爵はそうなる事を知っていたかのように用意周到でした。どうしてもフォンテンブローから王都まで7日はかかりますからね。

 兄とレイの父上は年も近く、王都で共に勉学に励んでいた友でしたから、兄の喜びもひとしおでした」


 目を閉じて懐かしそうに話すアンは、そんな命の危険を感じた話をしているにも関わらずどこか嬉しそうで、ロイは不思議に思った。しかしすぐにその理由は明かされた。


「俺も覚えてる。その時アンはエメラルドグリーンの瞳のフォンテンブロー侯爵に恋をしたんだよな」とポールがからかうように言ったのでアンが少女のごとく赤くなり、


「あなたは6歳なのにませてましたね」とポールをにらんだ。


「…レイの父に?」


 ロイは意外な話の展開に声が裏返った。


「そう。私は勇敢な上に金髪、エメラルドグリーンの瞳の優雅で美々しい彼に夢中だった。私たちの命を救ったにもかかわらず、変わりない謙虚さにも心打たれました。でも、反乱を起こした者たちを王室の為に禍根かこんを残さないよう厳しく処分したお姿は凛々しくて…私は恋せずにはおられませんでした。今でも昨日のことのように思い出せます。

 しかし私は15歳で何もわかっていなかった。彼の心を射止める努力もせず、私の近くにいて自分に恋をしない男性なんていないと高飛車に思っていた。兄も私の恋を応援してくれていましたし、自分が彼の愛を掴むことが出来ると信じていました。

 でも彼はとても鈍感で、私がはっきりと告白しないうちに兄の雑務の手伝いを終えてひっそりと帰っていってしまった。本当にどこまでも謙虚な方ですわ。私が素直に『フォンテンブローに連れていって欲しい』と言っていれば、と今でも後悔しております。もちろん夫を愛していますが、思い出の方がより美しいのは仕方ないですわね」


 アンの話が終わると、ロイはじっと何かを考え込んでいるようだった。そしてふいっと部屋を出て行った。その後ろ姿をアンとポールが優しい目で見守っていた。





「要するに…」とユリアヌスが面白そうに灰色の瞳を揺らして今までの話をまとめた。


「ロイの事が好きですごく気になるからそばにいられると居心地が悪い。ロイに迷惑をかけるのは嫌だしなんとかその感情を抑えてこれからも学友でいたい、ってこと?」

「そうなの!さすがユリアン、私でも判らなかったことを無駄なく言語化してくれて助かるよ」とレイチェルは感動した。


「でもさ…」


 ユリアヌスがちょっと歩みを止めて、彼女を噴水の前のベンチに誘った。結構長い距離を歩いて彼は疲れていた。頭脳派なのだ。レイチェルはまだまだ平気で歩けたのだが腰を降ろした。


「ロイもレイの事が好きだったらどうするの?」


 ユリアヌスはランプを平たい場所を探して置き、レイチェルに尋ねた。暗闇で彼女の金髪と白いドレスが揺れる光に浮かびあがり動く。正に眼福、絵画のように美しい、とユリアヌスは密かに鑑賞していた。


「えっ?そ、そんなことは…ない。ロイはアン様みたいなちゃんとした女性がお似合いだと思う。それに…」

「それに?」とユリアヌスがうつむいたレイチェルを優しく促した。


「万が一好き合ってるとわかったところで、どうなるの?だって私たちの縁談は家長が握ってる。後で絶望するくらいなら友人のままでいい。ロイを好きになんてなりたくなかった。こんな感情、邪魔なだけだよ…」


 レイチェルはしばらく項垂うなだれていたが、あまりにユリアヌスの返答がないので顔を上げた。


「へ…?」


(な、なんであんたがここにいるのよ!)


 隣にいるはずのユリアヌスはおらず、目の前に呆然として立っていたのはロイだった。彼は驚きの余り目を見開き、口を手で抑えてレイチェルの告白を聞いていたが、彼女と目が合って喉の奥から絞り出すように言葉を発した。


「お、俺は…おまえを絶望なんてさせない。両想いなら、いや、両想いじゃなくても何をどうしたって俺は…おまえから離れられないんだ。レイを好きだから」


「え…ロイ?やだ、ユリアンは?」


 焦ったレイチェルが立ち上がって逃げようとするのを、ロイが抱きしめて止めた。


「好きだ…俺はレイが好きだ。だからレイ、俺の事好きだって言え。頼むから言ってくれよ」とうわごとみたいに熱くレイチェルの耳元で囁く。


「やっ、ダメだって…」


 レイチェルはロイの腕の中でもがいたが全く微動だにしないので諦めて力を抜き、どう切り抜けようかと思案した。心臓が早鐘のように全身を揺らすほど強く鳴っており、今にも体外に飛び出しそうだ。


「何がダメなんだ?俺は親なんかに口出しさせない。おまえの親も口説き落としてみせる」


 空気を切り裂くようにロイが言った。


「そうはいかない。ロイは王族なんだ、お父様がちゃんとした相手を決めて…」とレイチェルが言い含めるようとすると、ロイが不穏な空気を醸し出しながらつぶやいた。


「もういい。黙れ」


 ロイはレイチェルの拘束を解いたと思うと、彼女の顔を両手ではさみ、一瞬エメラルドグリーンの瞳を奥まで覗き込んでからゆっくり彼女に顔を近づけてレイチェルに口づけた。最初は浅く、だんだん深く侵食していく。


「ぅん…っ」


 ふいに真っ赤な顔をしたレイチェルがロイの背中を叩いたので、ロイはゆっくり離れた。彼の顔は今にもとろとろにとろけそうにほうけている。


「…っ、ぷはっ…ロイ、急に口を塞いだら苦しいよっ…」

「…鼻で息をしたらいい。ほら…れんしゅう…」とロイは彼女の鼻を指先で触りながら甘い声で教え、またレイチェルにキスした。今度は優しく彼女のふにふにした唇の感触を確かめるように。


「んっ…」


 彼女の鼻から抜ける声が聞こえるたびに身体の芯が痺れ、倒れそうなロイは懸命に意識を保って踏ん張ったが、これ以上は危ないと判断して唇を離した。そしてもう一度彼女の存在を確かめるようにぎゅっと抱きしめた。柔らかい彼女の肢体を全身で感じる。いつも見ているような夢ではなく本物だった。


「…レイ、大好きだ」

「…本当に好きなの?私なんかを?」


 今さら驚いたように腕の中から見上げて聞くレイチェルに、ロイは不満そうに眉をひそめて尋ねた。


「俺が嘘をついていると?信用できないか?」

「ロイの事は信用してる。でも意外だったから驚いたんだ、アン様のような素晴らしい方が理想なんだって思ってた…私は貴族らしくないから…」


 レイチェルは正直に答えた。


「気が付いていないのはレイだけだ、周りは皆知ってる。なあ、まだ俺を拒むのか?俺を好きだって早く言え。どうしでも今、おまえの口から聞きたいんだ」


 ロイが真剣な顔で彼女の唇に指を当てると、レイチェルの身体がびくりと跳ねた。昼に寝たふりをしていた時の感触だとわかってなんだか嬉しかった。


「ロイのバカ…    すきだよ


 レイチェルはそう言ってから、頬を真っ赤にして彼に抱き着いた。負けず劣らずロイの全身も赤く色付いていた。

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