第30話 高慢と虚勢

「夕食、食べられるか?」


 結局眠れなくて起きていた。

 ベランダに出てまだ明るさが残る夕焼けの見事な庭園を見ていたら、ロイが突然背後から声をかけたのでレイチェルは飛び上がった。考え事をしていたので、彼がノックしたであろうことにも全然気が付かなかった。


「ひゃっ!!」

「調子はどうだ?」


 ロイがレイチェルの赤く染まった顔色を見ようと覗き込んだので、彼女は思わず顔をそむけた。


(やだ、近いし直視できない!どうしよう…夕食は断ろうか…いや、食欲がないなんて言ったらロイをまた心配させる。あーもう、切り替えっ!)


 レイチェルはぶんぶんと頭を振った。いつものレイを演じればいいのだ。


「どうした?なんか変だな…」

「いや、寝たから大丈夫!さ、お腹ペコペコだし行こうか。アン様の旦那様もいるんでしょ?でもロンディウム王国の大貴族と食事なんて緊張するな…」

「バカ、おまえは大国であるルテティア王国のフォンテンブロー侯爵家の一人娘だぞ!ずっと思ってたが、おまえはちょっとわかっていなさすぎだ」


 フォンテンブロー侯爵家が代々にわたり土地を安定して豊かに統治しており領民からの信頼が厚い事、王室が危機の際には一番遠方にもかかわらず真っ先に駆けつけて王室を守ってきた事をロイは熱く話し始めた。

 現に今のルテティア王が政変に巻き込まれた際も、王宮まで昼夜を徹して援軍を率いて王と家族を助け出している。始めてロイの口から出た話だが、その口ぶりでは王族はかなりフォンテンブロー侯爵家に好意的のようだ。

 もちろんレイチェルはフォンテンブロー家の歴史をキキから習って知っていたが、侯爵家に足も踏み入れたことがないので全く実感が湧かない。


「ふーん…そっか」とレイチェルが熱量なく言うと、ロイはため息をついた。


「…はあ。おまえの父親も可哀そうに。あのような立派な方なのに娘に縁組は断られ、その上無視されて…」


(ふん!好きで無視してるわけじゃないよ!!ロイってばフォンテンブロー侯爵に好意的なのは嬉しいんだけど、たまに説教臭いんだよね…)


「縁組の件は父に悪いと思ってる。王様の手までわずらわせてしまったし…」


 意地悪でわざとしょんぼりしてそう言うレイチェルを見て、ロイは侯爵の勧める縁組みをぶち壊したのを思い出した。


「悪い、ちょっと興奮した。そういえばアン叔母様もおまえの父親を知ってるはずだ。事件は20年前のことだからな。俺はまだ産まれる前だったが」

「…アン様も私の父を…」


 他人の口から自分を捨てた父親や母親の話を聞くのは、レイチェルにとって最も苦手な作業の一つだった。

 ロイも何度か王宮で会っているのでレイチェルの父の人となりについて知っているが、良かれと思う彼の口から父親の話題が出るたびに、彼女の美しい顔が微妙に歪み口数が少なくなるのを感じてロイも話さなくなっていった。

 ロイは今回も彼女の表情を見てさっさと話題を変えた。


「ああ…着替え呼んでやるよ。それとも俺が着替えさせてやろうか?」と意地悪な顔をして聞いた。『バカ、さっさと部屋から出て行ってよ!』と彼女が返してくると思ったのだが、案に反して彼女は真っ赤になった。夕日のせいかと思ったが、指先まで真っ赤だ。


「おっ、じょ、冗談だ、悪い。誰か呼ぼう…」

「うん…」


 ロイから顔を隠すように窓から外を見たレイチェルはドキドキしている心臓を掌で抑えていた。身体が熱い。


(もう…ロイのバカ!ユリアンに頼んでなんとかしてもらわないと私の心臓がもたないよ…)


「失礼致します」と侍女が二人入ってきた時には、猫をかぶったレイチェルになっていた。




「こんな可愛いお嬢さんがルテティア王国の誇る王国立大学スコラ・パラティーナで学んでいるとは…驚いたな」


 アンの夫、トロワ伯が紹介を受けて大袈裟に眼を丸くした。


「いえ…皆様のご指導のおかげでございます、私は何も…ただ勉強が好きなだけで」


 レイチェルが謙遜すると、アンが顔を輝かせて補足した。


「レイはフォンテンブロー侯爵の一人娘でありながら、6年制の王立学園を4年で卒業し、周りに認められて特別に大学に入った才媛ですの。あなた、見くびると痛い目に合いますわよ」と同じ女性として鼻が高いと言わんばかりに自慢げに言った。

 しかし人生においてあまり目立ちたくないレイチェルは戸惑ってしまう。


(なんで知ってる…?ロイかポールか言ったのか?大げさなんだけど…)


 言えば言うほどはまっていきそうで、レイチェルは黙って曖昧あいまいにほほ笑んだ。そしてその横顔にロイがずっと見とれているのはテーブルについたレイチェル以外の皆が知っていた。いつもと違うレースの女性らしい上品な衣装とエメラルドグリーンの瞳と豊かな金色の髪が相乗効果を醸し出している。

 これで王都ブルクの貴族の集まりなどに出た日には、間違いなく会場の男性の眼をひいて仕方ないだろう。今でさえフォンテンブロー侯爵の元に結婚の申し込みが後を絶たないという噂だ、どうなるかは想像に難くない。ロイはまだ起こってもいないことを考えて軽く嫉妬していた。


「ロイ様、手がお留守ですよ。給仕が次のお皿を置けずに困っております」とアンが意地悪を言うと、


「失礼、旅で疲れたのか少しぼんやりしておりました」とロイはクールに誤魔化した。しかし実際は全く誤魔化されておらず、レイチェル以外は笑いをかみ殺した。しかしアンの追撃は緩まず、


「お綺麗な女性が近くにいますと大変ですわね」とからかった。ロイも怯まず、


「そうですね、アン叔母様のような女性が同じテーブルにいるとなかなか食が進みません」としれっと答えたので、トロワ伯とポールは笑いをこらえ切れずに噴き出した。ユリアヌスは苦笑いをしている。

 しかしレイチェルだけは、

 

(そうだよな、アン様ってとても綺麗で上品で…ロイが憧れるはずだ…。育ちが悪い私ではこんな風にはなれっこない)と考えながらアンの何かと美しい所作を眺めた。

 本当の貴婦人を目の当たりにし、レイチェルはにこやかに猫をかぶりながらも、あまりの自分との違いに打ちのめされていた。




「レイ、疲れてますね。相談があるんでしょ?」


 ディナーの後の談話室での歓談の合間でユリアヌスが声をこっそりかけた。トロワ伯はすでに席を外している。


「うっ、さすがユリアン…ねえ、少し庭に出ない?」

「いいですよ」


 2人はアンと楽しそうに話すポールとロイの邪魔をしないよう、こそっと散歩に出た。


「こちらをどうぞ」


 庭に出る時に粘土を焼いた皿にオリーブ油の入ったランプを渡された。ローズゼラニウムとレモングラスがミックスされた香りがする。虫よけだろう。

 ユリアヌスがランプを持ち、レイチェルは慣れない踵の高い靴を履いているので転ばないように彼の腕に軽くつかまった。ポールやロイとは体格差があるとはいえ、細身のユリアヌスは危なげなくレイチェルを支えている。


「早い?足は痛くない?」と夢見るような瞳を揺らして心配そうにレイチェルを見る。


「ううん、大丈夫」


(ユリアンはこれだから罪深いよなー、この灰色の瞳にやられたお姉さま方にモテモテだっていうし…)


 実際彼は誰にでも優しいので、未亡人や未婚の女性にいろいろ差し入れをもらったり、してもらったりなど枚挙に暇がないほどモテていた。彼の家にはいつも女性がいるという噂で、鉢合わせした女性同士の激しいケンカもザラだとポールが笑っていたのを聞いたことがある。

 しかし彼自身はあっさりしたもので、相手に望まれたものは惜しみなく与え、相手に何も求めないし離れて行くのも引き留めないので彼が恨まれることはない。まさに罪深い男なのだ。



 2人が手入れの行き届いた広大な夜の庭園に消えるのを、ロイは悔し気に2階の談話室から眺めていた。木々の隙間からたまに揺れるランプの光がちらちら見える。ユリアヌスがレイチェルを支えながらゆっくり散歩しているのが目に浮かぶ。


(何を話してんだろう…)


 なぜかこの国に来てから彼女とうまく話せない彼は胸中複雑だった。まあ、ユリアヌスからレイチェルに手を出すなんて事はないので、ポールよりは心穏やかでいられるのが救いだった。


「ロイ、お二人が気になりますの?それ程レイをお好きとは、お手紙では全く分かりませんでしたわ」と意地悪を言う叔母に、ロイは顔を赤くして言い返した。彼は叔母に、大切な女性を連れて行くので会って欲しいと手紙を送っていた。


「そ、それ程好きではないのですが、他の誰よりも大切に思っているのは間違いないです」


 そのややこしい言葉を聞いて、アンとポールは呆れて笑った。


「おほほほ、ロイは本当にプライドが高いこと。その虚勢のせいでレイが離れて行っても知りませんわよ。…私も若い頃に覚えがあります。それを今もずっと後悔しておりますの」

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