第29話 目があけらんない

「本当に大丈夫かよ…」

「うん、本当に大丈夫だってば…」


 客室に通されたレイチェルは、なぜかまだそばにいるロイに困惑していた。


(っていうか、心配してくれるのは嬉しいけど早く出てってくれないかな。ちょっと落ち着きたいんだけど…)


 レイチェルは彼が必要以上に彼女を心配してくれているのに喜びを感じている自分がいじましくて苛立った。出て行って欲しいとはっきり言おうか迷っていると、


「少し横になったらどうだ?それとも風呂を頼んでやろうか?」とロイが目を伏せて提案した。

 言うことを聞かないといつまでもいそうなので、レイチェルは「じゃあ、お風呂をお願いしようかな」と答えた。


 ロイが侍女を呼んで風呂の用意を指示すると、少しホッとしたようにまた戻ってきてソファに座った。


(出てかないんだ…困ったな)


「どうしたの?ロイはせっかく叔母様に会えたんだから、もっと話してらっしゃいよ。とても素敵な女性ひとだね。いいの?今頃ポールに独占されてる」

「いい。それより今はレイが心配だ。…俺の母親はさ、とても元気な女性だったそうなんだ。でも、俺を産んで体調を崩してな、弱ってる時に運悪く伝染病にかかってあっけなく死んだんだ」


 ロイから初めて聞く母の話にレイチェルは顔を歪めた。


「…それはお気の毒に…」

「レイには初めて話したな。俺は怖いんだよ…違う国でなにか怖い病気を拾って死ぬのはよく聞く話だからな」


 レイチェルは神妙な顔になって反省した。


(私もキキが死んだら…って考えるだけで恐怖でしかない。ロイに悪かったな…私はだ…恋なんかであわあわしちゃって心配させて喜ぶなんて最低の人間だよ…)


「ごめん…ロイの言う通り清潔にして少し寝るから、ロイは叔母様のところに行ってあげて。きっと寂しがってる」


 アンのロイに対する愛情は疑うべくもなかった。それはレイチェルがモヤモヤ考えていたようなものでなく、息子への深い愛情に似ている。そしてロイからのアンに対する愛情もレイチェルのキキへの思慕に近い。彼女には両親もおらず、叔母や叔父といった親戚と関わったことがないので全くわかっていなかった。


「ん…じゃあ…」


 ロイが心配で振り向きながらも部屋から出て行くと、レイチェルは彼が座っていたソファーにボスンと寝転んだ。残っている彼の匂いが彼女を包んで胸の鼓動を余計に早くする。でもそこから離れられなかった。


(やだ…なんか私変。ロイとうまく話せないし、こんな風にドキドキするなんて怖いよ。心臓が破裂するかもしれない…早く止まれ…)


 レイチェルは懸命に自分を落ち着けようとしたが、侍女が風呂の案内に来てもまだ落ち着かなかった。




 意匠を凝らした風呂でやっとリラックスできたレイチェルは、アンの用意してくれた服を着た。

 まさに貴族、といった夏の上品な麻の生地にレースをあしらった胸元が大きく空いた服に居心地の悪さを感じながらも、元気になったレイチェルは自分の部屋の扉を開けた。しかしそこにはロイがなぜかまたいた。


(な…せっかく落ち着いたってのに、なんでいるのさ!う、また動悸どうきが…)


「レイ、大丈夫だったか?風呂で調子が悪くなってないか気になって、叔母との話に身が入らぬからここで待ってた。どうだ、気分は悪くないか?」


 明らかに困惑しているレイチェルに気が付きながらも、心配そうに聞いた。


(こうなったら、元気なところを見せて安心させるか…)


 レイチェルは少し呆れながらも、


「…ロイ…マジで大丈夫だから。そうだ!ね、ちょっと素敵な庭が見えたから、ユリアンを誘って散歩しない?」と無理して明るく外に誘ってみた。


「…ユリアンとポールは叔母様と話している。邪魔したくないし、二人でどうだ?」

「へ…?」


(二人はちょっと…うっ、想像するだけですでに心臓がズンドコ鳴り始めてるよ…)


「ロイ、私…」


 ロイといると心臓が苦しくてうまく話せないから二人では嫌だ、なんて正直に言ったら彼は困ってしまうだろう。ロイが好きだと言ってるようなものだ。


「やっぱり眠くなってきたし夕食まで少し寝る。ごめん」

「そうか…それがいいと思う。寝るまでそばにいてやるら、安心して休め」

「うっ…」


(ひえー、ロイがいたら眠れないっつーの!しかしこれ以上何も言えないし、寝たふりでもすっか…そうだ、さすがに着替えるって言ったら出てくだろう。ナイスアイディア!)


「ありがとう、でも今から部屋着に着替えるから…」

「ああ、隣で待つ。おい、誰か!」


 ロイはさっさと侍女を呼んで着替えを手配した。


(仕事がはえーな…仕方ない、諦めよう…)


「ロイはお風呂に入らないの?」

「ああ、レイが寝たらな」


 ロイは今さらだがレイチェルの女性らしい服装を上から下まで何往復か見、


「お姫様、みたいだな」と言ってから赤くなってにやける口元を抑えた。レイチェルのバランスのいい身体の形がはっきりわかるし、ハイウエストのせいで余計に胸が大きく見える。


「ふん、どうせ似合わないって思ったんでしょ?」と言って胸元を片手で隠しつつ、レイチェルも嬉しくて口角が上がるのを手で抑えた。


(やだ、お世辞でも嬉しい…困ったなニヤニヤしちゃうし)


 しばらく二人でもじもじしていると、


「何やってんの、二人…」とユリアンがいつの間にか部屋にいて呆れ顔でそのコントを見ていた。


「レイの部屋を廊下でノックする侍女が、返事がないからっておろおろしてたよ」


 ユリアヌスは笑いを奥歯で噛み殺していた。レイチェルはさっそく侍女の手伝いを借りて隣の部屋で着替えている。


「うっ…すまない」

「…レイはどう見ても健康だからそんな心配しなくても大丈夫ですよ」


 信頼するユリアヌスの言葉に安堵を受けつつ、ロイは言い返した。


「うるせー、伝染病にかかってるかもしんねーだろ?」

「伝染病、ですか…」


 確かにレイチェルは恋の病だ。ユリアヌスは灰色の瞳を面白げに揺らしてクスリと笑い「確かに」と言った。


「じゃあ、私少し寝るから」と言ってレイチェルはベッドに潜り込んだ。


「俺はレイが寝るまでここにいる。ユリアンは風呂でも入ってろ」

「え。ロイは残るんですか?一応は女性の部屋ですし…」とユリアヌスはレイチェルの気持ちを汲んだが、ロイは頑固だった。


「いや、容態が急変するかもしれん」


 ユリアヌスは真剣な顔のロイを見て、レイチェルは今頃心底困っているだろうなと少し笑った。


「レイ、ごめんね。お大事に」とさらりと謝り、ユリアヌスは部屋を後にした。



 寝息をたてるレイチェルを確認し、ロイは部屋を出た。

 もちろん寝たふりのレイチェルが苦行から解放されてほっとして目を開けると、ドアがまた開く気配がしたので彼女は慌てて目を閉じた。


「レイ…」と高い場所でロイの声が聞こえたかと思うと、近くで空気が動く気配がして、レイチェルの額、頬、そして唇のきわに柔らかいものが軽く押し付けられた。


(な、何?!ま、まさかキスしたの?目をあけたいけど、絶対あけらんないっ!)


「ごめんな」と言う声を残して、ロイは今度こそ部屋を出ていった気配がした。レイチェルはバコバコする心臓が五月蝿うるさすぎて全く寝られなくなった。

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