第24話 練習と実践

「なんだか急に眠くなってきた…お風呂に長く入り過ぎて疲れたかな」


 少しお酒を飲んだレイチェルは眼を開けていられないほどの眠気を感じた。船で飲んだ時は身体が熱くて顔が赤くなっていたが、今回はただただ眠かった。


「酒に弱いのに飲むからだ。さ、部屋に戻ろう」


 ポールが夫らしく寄り添ってゆっくり立ち上がらせると、王から呼び出しがかかった。


「仕方ないな、おい、ロイ…」


 ポールが声をかけても彼は怒って返事もしない。


「大丈夫、一人で行ける…」と言ってふらふら歩こうとするレイチェルに、灰色の瞳のユリアヌスが駆け寄った。


「ロイは仕方ない人ですね、ちょっと頼りないですが僕が付いていきます。寝かしつけてからポールたちの部屋で本でも読んで居ますので、お二人はごゆっくりどうぞ」


 この二人が残ると雰囲気が悪そうだが、ユリアヌスは明らかに限界に近いレイチェルを連れて部屋に向かった。



「ごめんね、ユリアン。…飲み食いちゃんとした?」

「あはは、大丈夫です。僕があまり食べないの、知ってますよね?」とすぐにでも寝そうなレイチェルを寝かさないように大声で答えた。それでもレイチェルは頭に泥が入ってるみたいに重くて今にも倒れそうだ。部屋に着いてノブに手をかけながら、ユリアヌスは質問した。


「…これはちょっとおかしいですね。レイチェル、お酒はどれほど飲んだのですか?」

「えっと…注がれたので仕方なくほんの一口ひとくちだったんだけど…」


 ユリアヌスが思い出すと、盛んに食べてはいたが確かに彼女はお酒を控えていたように思う。


「盛られたか?」と小さな声で言ってから、もう完全に落ちてしまった彼女を背負い直してドアノブを回した。




「あいつ、大丈夫かな…」


 そのころロイは宴会で女性に囲まれながらもレイチェルの事を案じていた。ポールは隣で裸に近い美しい女性たちにボディタッチされて嬉しそうにしている。


「ユリアンの野郎、絶対わざとだ。俺を懲らしめようとポールと残しやがって」


 先程ロイはレイチェルを部屋に送って行こうと腰を浮かしたのだが、ユリアヌスに先を越された。杯に注がれた酒を飲もうとして、ふと上座を見たら王がいなかった。

 嫌な予感がロイの頭をもたげ、立ち上がろうとしたが、周りの女性が顔を引きつらせながら身体をいやらしく触って座らせようとする。明らかに不自然だ。


「なんだ?お手洗いに立たせてもらう」とロイが言うとホッとした彼女たちは元に戻って、


「絶対にお二人をここから離すなと言われております。お二人がここにいないと私たちは王にお叱りを受けて殺されるやもしれません、どうか…」とこっそり頼んだ。


 彼女たちは嘘をついてない様に見える。ということは…ロイは真っ青になり、


「おい、ポール。飲んでる場合じゃねえみたいだ…」と立ち上がって隣の信頼するいとこ殿に声をかけた。




「ふ…えっ?ポール?」


 寝ていた彼女の側で大きな身体が動いた振動で、目が覚めた。しかしポールにしても大き過ぎて違和感を感じた。 


「目が覚めたか、お客人。ほう、緑の瞳…やはり美しい。宝石のようだな…」


 ベッドに横たわるレイチェルを覗き込んだのは、でっぷりと太ったこの国の王だった。周りを見渡すと客間ではなくゴテゴテと悪趣味を極めた王の部屋のようだ。


「え…っと、私なんでここに…失礼致しました」


 どう考えてもおかしい事態に胸をバクバク言わせながら、レイチェルはとりあえずベッドから抜け出そうとしたが、王に腕をとられた。


「もう少しゆっくりしたらいい。可愛がってやるぞ…」


 べちゃべちゃした声で言いながら王はレイチェルににじり寄った。


(くそ、これはヤバいやつだ!ポールには悪いけど…)




 ポールとロイは王の息子を友好的な態度で空いた開いた部屋に引きずり込み、むんずと胸倉をとっ捕まえて吐かせた。

 案の定、王がレイチェルの緑の瞳を見て欲しくなったらしい。


「ボクが話したと知った父に殺される…兄も弟も逆らってボクと臣下の目の前で見せしめに殺されたんだ。母も姉たちも父に散々おもちゃにされて壊れて…ボクはどうなる…」と真っ青になった王子に、ポールは悪魔の申し出をした。




(やっちゃったし…)


 レイチェルは手にした女性の裸体の像を床にゆっくり置いた。迫ってきた王の股間を狙いをすまして思いっきり膝蹴ひざけりしてやり、苦悶の表情でのたうち回ってベッドから落ちた王の頭部を枕元にあった銅像のとんがってない部分で殴った。王はぐったりしている。

 船旅の前にアランに非常事態の際にすることを教わった時は『んなことあるわけないじゃん、心配性だな』と思っていたが、まさか金的蹴りを使う時が来るとは思っていなかった。そして効果てきめんだ。


(死んではいない。でもめっちゃヤバいのは変わりないな。よし、思考を切り替えてとっととこの宮殿から逃げるしかない。まずはこいつを縛り上げて…しばらく騒がないようにしとかないと…そしてユリアンを助けないと…!どっかに捕まってるはずだ…)


 彼女は周りを見回して縛るものを探した。本当なら浴室にでも運んでカギを締めるのだが、あまりに重くて動かなさそうだし気持ちが悪いので触りたくなかった。

 そのうちに王がうめき声を上げたので、急いでもう一度股間を思い切り蹴ったらひとしきり苦悶した後静かになった。もう一発殴っておこうかと床に転がる銅像を手に取った瞬間ドアが音を立てた。




「レイ!無事か?」


 ドアを蹴り開けて部屋に転がり込んできたロイは、彼女を問答無用で抱きしめた。そして、床に口から泡を吹いて転がっている王とレイチェルの手に握られた銅像を見て目を丸くした。


「おいおい、殺したのか?」

「やだ、だよ」

「おまえ、まだって…」


 混乱しているロイの後ろから、兵士がわらわらと入ってきたのでレイチェルはびくっとした。


(捕まるっ!こんな異国で死ぬまで牢獄は嫌だ…やっぱりアレは正夢に…)


 彼女が絶望していると、兵士が二人のそばを通り抜けて気絶した王を縛り上げている。


「へ…?なんで…?」

「ああ、ポールとユリアンが王子の反乱の手助けをした。実際この宮廷は王の恐怖政治のせいで爆発しそうだったんだ。そしてそれが今日ってことだ」

「反乱…って、ユリアンは無事なんだ、良かった!」

「そんなことよりおまえが無事で良かった。生きた心地がしなかったぞ…」


 ロイは母親にしがみつく子供のようにレイチェルをずっと抱きしめていた。彼女はこの国からなんとか皆で無事に逃げなきゃという緊張が解け、全身から力が抜けて彼に身を預けた。

 しばらくしたら、


「レイチェル、怖い思いをさせてしまってすいません。しかしあなたはやってくれますね、どこでそんな荒事を覚えたのですか?」「レイ、大丈夫か?」と言いながらユリアヌスとポール、そしてこの国の気弱な王子が入ってきて、ロイたちの前に立った。入れ替わりでぎっちり縛られた王が部屋から運び出されていく。


「ポール様、ルテティア王国の皆様、ありがとうございました。これで私も国の皆も救われます。父王は宴会中に気分が悪くなり死んだとして地下に閉じ込めます。凶悪犯の牢に入れるよう指示してあるので、間もなく死ぬでしょうがね…」


 気弱だった王子が権力を握って人が変わったように残酷さを漂わせた。それは縄に打たれた父王と同じものだった。レイチェルはぞっとして無意識に抱き着いているロイの身体に指を喰いこませた。


(怖いよ…)


「レイが無事ならなんでもいい」


 彼女の想いを感じてだろうか、憮然とした声が頭の上から降ってきた。彼女をいつまでも放さないロイを見て、ポールとユリアヌスはニヤニヤしていた。

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