第22話 安全な場所はない
「ほら、行くぞ!ロイ、なにやってんだ、乗れよ」
ポールが珍しく苛立ちを隠さない声を出した。グレフェの港には王宮からの立派な迎えの馬車が待っていたが、ロイが乗るのをしぶっている。おっとりのユリアヌスまでもが、
「ロイ、ワガママ言わないで下さいよ」と少し焦っていた。
二人の気持ちもわからないでもなかった。港は雰囲気が悪く、ぼんやりしてたらすぐに連れ去られて売られてしまいそうだ。なぜなら奴隷貿易港には目つきの悪い大男たちが明らかに獲物を探してうろうろしていた。
ノルマがあるのだろう、とポールが言い捨てた。
ポールが港は危ないと判断したため、船はかなり離れた沖で停泊させている。もちろん海賊がいるので全く安全ではないが、属州まで合わせれば超大国であるルテティア王室の紋章が入った船に手を出したらどうなるかは海賊でもわかっているのだ。
フエダ王国の近海を支配する海賊は元はといえば商人集団だった。地理に明るい事をいいことに
「グレフェの港は思っていた以上に危なそうですね。フエダ国王のいる王宮に早々にいきましょう。ここよりは多分安全です」とユリアヌスが言い、
「さすがに今回はおまえらを置いて行けない。キキ殿やロイの父上を悲しませたくないんでね」とポールが珍しく有無を言わせぬ強い口調で告げた。
ロイは嫌々ながらレイチェルを先に馬車に乗せ、自分も乗り込んだ。ユリアヌスが明らかにほっとして、
「ロイ、王宮に行きたくない気持ちもわかりますが、港町はもちろん船で待っていても安全ではないと思いますから…」ととりなした。
「ねえ、どうして安全な王宮に行きたくないの?セリカではジャイにも出会えたし結構楽しかったよね?」
「うっ…」
ロイが黙ってぎゅっと自分の服を握りしめたので、ポールが
「ここの王が好色で有名だからさ。レイチェルが目を付けられないか心配なんだろ?」
ポールの言葉でロイは真っ赤になって思わず馬車の中で栗色の髪を揺らして立ち上がった。
「こ、こらっ、ポール!なんでバラすんだよ!!」
ユリアヌスはロイの肩にそっと手を置き、灰色の瞳を心配そうに揺らした。
「ロイ、落ち着いてください。今回はちゃんとレイチェルに言っておいた方がいいと僕も思います。レイ、王宮では絶対にロイや僕たちのそばを離れない事。絶対に呼ばれても一人で付いて行ってはいけません。ここの王は100人もの女性を後宮に囲いながらも、目についた女性を手に入れない事には気が済まないと聞いています。気に入った女の夫や家族が反対すれば容赦なく殺して寝取り、飽きたら奴隷として家臣に与える…まあ、国民にとっては最悪ですよね。女性は顔を汚して街を歩くそうです。王の気に入るような女性を探すと報奨金がもらえるシステムがあるので、それを仕事にする輩も街にいるそうですしね。レイ、これを…」
ユリアヌスが鞄から取り出したのは練り墨だった。
(さ、さすがユリアン、用意が良いな…)
彼は指で薄く薄く延ばしてレイチェルの頬に塗っていく。男装であまり肌が見えていないので塗る面積も狭くて済んだ。
ロイは悔しそうな表情でレイチェルを見ていたが、当の
「出来た!なかなかいいですね。考えたのですが、ポールの妻、ということにしたらいいと思います。それなら夜も一人になりませんし、さすがにルテティア王国の使者で王族の妻に無体なことはしないでしょう」
「お、いいね。レイ、ってことで王宮に着いたら俺の奥さんらしく隣で大人しくしていろよ。ロイ、悪いな。我慢しろ」とポールがニヤニヤしながらロイに言うと、彼は、
「うるせー、俺がそんなことでなんで我慢すんだよ!それよりさっさと挨拶を終わらせてこのけったくそ
「好きなだけこの王宮でゆっくりしたらいい。お得意様であるルテティア王国の王族とお連れだから特別だ」とでっぷり太った王は4人をじろじろ見た。
王宮は成金が高じて作り上げた文化らしきまがいものの醜い複合体で、美術的年代・地域がすべてごっちゃになっておりレイチェルはめまいがした。ルテティア王国の昔からある文化の積み重ねがなんとも素晴らしいもののように感じられてくる。様式美、というものを初めて実感した。
その真ん中で女性に囲まれてふんぞり返って寝転ぶように座る王は、
彼は特に女性であるレイチェルを見定めたいようだが、彼女はポールの妻と紹介してもらい、ずっと目を伏せたままだ。
レイチェルは王がどんな人物なのか興味があったが、面倒に巻き込まれるのは嫌なので約束通り目を伏せている。
「目ぇ開けんなよ。お前の瞳の色は珍しいからな」とロイに注意されたのだ。確かにこの国の人間は皆瞳の色がアランと同じ黒一色だった。そしてみなが怯えた目をしていた。
「ポール様ご夫妻はこちらのお部屋をお使いください。夜の宴会まではごゆるりと…では失礼いたします」と女官に案内された豪華な部屋でやっと一息ついた。お金が有り余っているのがわかる部屋だった。これ見よがしにゴテゴテと飾り付けてあるのが鼻につく。
「ふあー、疲れた!緊張感がすごいね、この王宮」
レイチェルがベッドに突っ伏して泣き言を言うと、
「そうだな…皆が王に心底怯えてるのが伝わってくる。それより…」と言ってレイチェルの隣のベッドに座った。
「ご夫妻、か。…なんか今までは結婚なんて面倒だなと思ってたけど、ちょっといいな…」
「ポールならたくさん候補の女性がいるからよりどりみどりじゃない。いつも道を歩いてると声かけられてるし」とレイチェルはブルクの街をポールと一緒に歩いている時の女性の反応を思い出して笑った。
「そうだな…で、レイはどうすんだ。ロイの妻になるのか?」
ポールの言葉にレイチェルはベッドから跳ね起きた。
「へ、いやいや、そんな…なんでそうなるっ…?」
「いや、おまえらどう見たって好き合ってるだろ?」
明らかに焦るレイチェルにポールが当然のように言った。
(ロイが何か言ったのか?っていうか…)
「ロイとの結婚はない。王族に嫁ぐなんて私の父が許さないだろうし、ロイの父親も許さないよ」
「何言ってんだ、フォンテンブロー侯爵の娘なら身分は十分釣り合う。それにおまえが次の王の后に相応しいって話も出てるから、いつ王宮からの使いが来るかわからんぞ。しかし意外だな、レイがそんな風に父親の権威を肯定するとはね」
ポールはレイチェルの気も知らずニヤニヤして言った。
(違うっ…私は死にたくないだけだ。後宮なんて入ったらどうなるか…権力争いとかに巻き込まれるのはまっぴらごめんだって。でもそんなこと言ってもポールたちにはわかんないだろなー。ユリアンなら悪夢の話をしたらわかってくれるかもしれないけど…でも言ってどうなる?キキにさえ言ってないのに…)
「家長である父に従うのは義務だから…」とレイチェルは顔色も悪く投げやりにつぶやいた。
俺とは『ない』のか…
ロイはレイチェルとポールが同室なのが心配ですぐに彼らの部屋まで来ていた。ノックをしたが部屋が広くて聞こえないのだろうと、ロイはドアを開けて半歩中に入ると、二人の話が聞こえた。
『レイはどうすんだ。ロイの妻になるのか?』という質問が聞こえて身体が凍り付いた。「なりたい」というレイの答えを待っている永遠のような長い時間の間、足から根が張って地面に同化しているように感じたが、答えはほんの一秒で返された。
『ロイとの結婚はない』
レイチェルが冷たく言い切った声に打ちのめされ、ロイはその場に膝をついていた。確かめてはないが雰囲気的に好き合っている気がしていたのでショックだった。
(なぜだ…?俺だから?それとも結婚が嫌なのか?)
でもそこから部屋にずかずかと入って、「なんでだよ!?」と聞けるほど自信があるわけではなかった。「そこまで好きじゃないから」なんて言われた日にはもう立ち直れないではないか。
ロイはひっそりと部屋を出てドアを音を立てずに閉めた。目に涙が滲む。自分が惨めで仕方なかった。
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