第18話 レイチェルの夢

 どうやらレイチェルとロイは象で王宮に運ばれているようだった。象使いの指示で、街から出たとたんに早歩きを始めたので速度がぐんと増した。


「すごいですね、こんなに早いんだ!」

「早いだろ?これで戦争にも出る。この国の象部隊は強いぞ」とロイに挑戦するようにその男は黒目勝ちな瞳をいたずらに輝かせて答えた。ロイはまだ怒りが収まらずぎゅっとレイチェルを抱きしめたままだ。


(ん…もうそろそろ放して欲しいんだけど。私も誤解しちゃうし…)


「ロイ、もう大丈夫だから放して」

「…」


 レイチェルがロイに言うと、その偉そうな黒髪の男が黙るロイの代わりにレイチェルに向かって答えた。


「俺はジャイ・シング2世。ここの国の王であるラーム・シング2世の息子だ。美しいおまえならジャイと呼ぶのを許す」

「はあ…私はレイチェル・ド・フォンテンブローと申します。レイ、とお呼びくだ…」

「おい、レイ!こんな奴に返事するな!!黙ってろ」


 ロイが血相を変えてレイに怒鳴ったので、彼女は戸惑いつつも「えー、困るなぁ」とつぶやいた。ジャイは、最大限に警戒しているおすライオンみたいになったロイと困った顔のレイチェルを見比べてクスクス笑っている。


(なんなんだよー、挨拶をしようと名乗っただけなのに…こいつらから早く離れたい、全く王族って面倒な奴らだな)



 象から降ろされ首都アンベールの王宮のダルバール宮廷についた。レイチェルは二人に挟まれて疲れ切っていたので、ポールとユリアヌスに会えた時は天にも昇る気持ちだった。


「うえーん、ユリアンー」と言ってレイチェルが抱き着くと、周りがざわついた。明らかに男装の女性が、女性のように物腰柔らかなプラチナブロンドの男性に抱き着いたのが意外だったようだ。


「おい、ユリアンを放せ、レイ。困ってんだろ!」とまだ怒りが冷めないらしいロイがぶつぶつ言う。


「どうしたんですか、レイ?」とユリアヌスがレイチェルの顔を覗き込んで聞いた。


「なんかジャイって王子が港に迎えに来てくれて、私とロイをここまで象に乗せて連れて来てくれたんだ。でも二人が反りが合わなくてずっと喧嘩してるし私にもとばっちりが…ううっ、疲れたよう。王子だから失礼があるといけないと気を使ってさぁ…」


 それを聞いてポールとユリアヌスが笑った。


「そりゃあ大変だったな。だからロイが毛を立てた猫みたいになってんだ」とポールが言うと、ギロリとロイがにらんだ。


(そんな猫なんて可愛いもんじゃないって…ロイのそういうとこが面倒だよ)


「怖っ」とポールがおどけてユリアヌスの影に隠れるので思わずレイチェルも笑った。


「ひゃはは、もうロイったら…」


 そのレイチェルの素直に笑う顔を見てロイも落ち着いたようだった。だんだん恥ずかしくなってきたようで、


「だってあいつすげームカつく」とうつむいてつぶやいた。




「滞在中レイチェル様はこちらのお部屋をお使いください。宴会のご用意にまたお伺い致しますので、それまでごゆっくりなさって下さい。お風呂に行かれる際はご案内いたしますので、ベルをお鳴らし下さいませ」


 きらびやかな衣装の侍女に案内されて豪華な王宮の客間に通された。天井が高い3部屋続きの部屋は、レイチェルの住まいがすぽりと入ってしまいくらい広い。

 今夜は久しぶりに4人が各自一部屋でゆっくりできそうだった。


「はー、やっとゆっくりできる!あいつらのおかげで、疲れたよっ」


 レイチェルは天蓋付きの巨大なベッドにバフンと寝転んだ。なんだか布団がいい匂いがする。あまりに気持ちが良くて目が自然に閉じていった。




「おい、起きろ。庭を案内してやる」


 頭の上から偉そうな声が聞こえる。そんな奴は一人しか知らなかった。


「ん…ロイ?寝てたよ…」


 あくびをしながら伸びをすると、目の前にはジャイがじろじろレイチェルを眺めていたのでベッドから飛び起きた。


「ふぁっ、ジャイ?」

「おう。行くぞ」


 ジャイはまだぼんやりしたレイチェルの腕を掴み、おもむろに穀物袋のように肩に担いだ。


「ひゃあっ!」


(こ、こいつはロイ以上に気が短い…待ちきれないのか?それともここはこういう国なのか?)


 彼は客室を出てすたすたと絨毯がもったりした果てしない廊下を歩いていく。どこまで担いで行くんだろう、と思ったら、急に右に曲がり、中庭に出た。

 急に光が溢れて目が眩んだ。


「うわっ、綺麗!降ろして下さい!」


 中庭には手入れされた樹木に囲まれた噴水、生き生きと咲き誇る赤い花に彩られた石畳の通路が見えた。眼が一気に覚めて、レイチェルが足をばたつかせると、ジャイは意外に優しく地面に降ろした。


「あ、ありがとうございます…」


 御礼を言うのも変だが、失礼があるといけないので彼女は頭を下げた。

 レイチェルが美しい中庭に飛び出して歩き回っているのをじっと見ていたジャイは、


「なんで男の格好をしている?」と近寄って突然聞いた。


「わが国では女性が船に乗るのを嫌うからです」

「ふーん…くだらんな」


 ジャイが言い捨てると、レイチェルの腰をグイッとつかみ、彼女の顔を至近距離で見つめた。彼の眼力が強すぎてレイチェルは負けそうだったが、なんとか持ちこたえた。


「おまえは何が欲しい。何でも与えるから、このままここに留まれ。俺のそばにいれば何でも手に入るぞ」


(なんなんだ、この人の距離感のなさは?そんなのハイっていう訳ないじゃん…)


「…せっかくの申し出ですが、特に欲しいものはないのです。一番の望みが叶いましたのでもう満足しております。将来なりたいものはあるのですが…」

「何だ、言ってみろ」


「…学者です」


 ジャイは目を丸くしてしばらく固まっていたが、急にレイチェルを放してお腹を抱えて震え出した。


(え、病気?やだ、私が毒を盛ったとか言われたら牢屋に入れられちゃうんじゃね?)


「だ、大丈夫ですか?しっかりして下さい…誰か!!」


 レイチェルが筋肉で分厚い彼の背を必死で撫でながら人を呼ぶと、笑い声が聞こえた。


「はははっ、おまえ学者になるの?すげーな、そんな女初めて会った。お前の国ではたくさんいるのか?」


 ジャイが笑っていただけとわかってレイチェルはホッとした。


「いえ、大学で女性は私だけです。本当は男性のみ入学が許されるのですが、特別に男装して勉強させて頂いております」

「へー、レイは何が好き?俺は大学で政治学と法律、科学を主に学んでいる。いつか俺の名前を冠した『ジャイプル』という科学と芸術の都市を作るのが俺の目標」とジャイは急にフレンドリーになってレイチェルを噴水の前の石の椅子に誘導した。座ると冷んやりして気持ちが良い。

 レイチェルも彼が学問好きと知って急に親近感がわいた。彼の興味深い科学都市計画について話した後、レイチェルは自分の将来の夢を初めて人に話す気になった。都市を作るという壮大な目標を持つ彼になら笑われない気がしたのだ。


「専攻は地理学と天文学です。地図が好きで、いつかできる限り正確な世界地図を作りたいと思ってます」

「へー、それはすごいね。それなら海を渡って向こうに行くんだ」

「向こう?ですか」

「そうだ。大陸伝いに端まで行くのでなく、海の向こうに行くと、いつか端に辿り着く。最先端の科学では地球は丸いと考えられているからな」


(うそ、ポールと同じ事言ってる。マルシリウス先生が言ってたシンクロニシティ…同時多発的思考ってやつか?)


「そ、それってこの国では常識なのですか?」

「そうさな、最近のアンベール大学で主流になってきた考えだ。まだ誰も証明してないが…」


 レイチェルは嬉しくて涙が滲んだ。


「おい、どうした?」

「いえ、やっぱり世界はつながってるんだなって思ったら感動して…」

「レイは面白いな…それに賢い」


 ジャイは彼女の髪を一つに結んだ紐をほどいた。長い金色の髪がふわりと宙を舞って背中に落ちる。


「美しい。男装もいいが、ここでは我が国の衣装を身に着けろ」


(え、あのじゃらじゃらした重そうなアクセサリーに身体の線が出る服?!冗談じゃない、あんなの着れないよ!首が懲りそうだし、なによりロイにルテティア王国の貴族らしくないって殺されちゃう…)


 レイチェルはまだ死にたくないので焦って言った。


「いえ、この服が気に入っておりますので…」

「もちろん、この衣装もそそるがな…」


 ジャイはレイチェルの肩に左手を回し動かないようにしてから、おもむろに空いた右手で彼女のベストのボタンに手をかけた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る