第17話 セリカ王国

 彼らはルテティア領の最南端の街、シムナルを後にし船旅は再開された。


 暇な時、レイチェルは男装で船内の探検をした。

 彼女たちが乗るこの全長30メートルの王室専用船の機械室には最新式のポンプが付いている。船の最下層から水を吸い上げて船外に排出する大事な役目のポンプだ。これは特に大きな船においては重要な装備のひとつで、大型の木造船では外板の隙間などからの浸水が避けられないからだ。もちろん外洋への航海をするポンタ船には必ずと言っていいほど付いている機能だった。

 

「お、アイドルが来た!」


(なんだよ、アイドルって…よくわからん)


「こんにちは。何度見てもすごいですね…今から水を排出するんですか?私も回してみたいのですが」

「ああ、いいけど貴族のお嬢ちゃんには重いよー」

「こう見えて意外と力持ちなんですからっ!」


 顔見知りになった乗組員がニヤニヤしながらレバーを指さした。には明らかに無理だと言わんばかりの彼の言葉に、勝気なレイチェルは密かにむっとして思い切りレバーを回した。


(…っ!くそ、もっと軽い力でも回せるよう改良が必要だっ)


 ロイのせいでストレスが溜まっていたのか、やっと少し回ってポンプが少しだけ動いた。それでもなんだか気持ちが良いし嬉しい。


「おい、無理すんなよ」と言って、隣にすっと来たロイがレイチェルの持つレバーの横を掴んで回すと、いとも簡単にポンプが動いたのを見てレイチェルはカッとなった。


(ムカつく!!力の差を見せびらかしやがって…悔しいっ)


「はい、わかりましたっ」


 怒りを内に籠らせてレイチェルが機械室を後にすると、ロイが鴨の子供みたくポテポテと後をついてきた。


(もー、なんなのっ!!イラついてるのがわかんないかなー、このあんぽんたんがっ)


 レイチェルがぐるっと振り向いて、「何?」と聞くと、ロイは目を逸らした。


(なんなんだっ!はっきりせーよ)


「…私、部屋に戻る」


 レイチェルが怒りを抑えてさっそうと歩き出すと、彼が追いかけて腕を掴んだ。


 「何?」と振り返って不機嫌そうに言うレイチェルを、ロイはじっと見ているが何も言う気配がない。レイチェルはますますイラついてきた。


「力が弱いからってバカにしてるの?」

「バカ、そんな訳ねーだろ!…レイ、俺は…」


 ロイが身体の奥から絞り出すように何かを言おうとしたら、甲板から叫ぶ声が聞こえた。


「セリカが見えたぞ!」


 その声にレイチェルは目を輝かせた。まだ塩の街、シムナルを出てから5日しか経っていないのに船はもうたくさんだった。ロイとうまく話せなくて彼女はストレスが溜まっていた。




「おい、レイ!もう着くぞ、用意しろ」


 ブルクを出航して12日、航海は順調に2番目の目的地、セリカの港にもうすぐ着く。セリカが見えてから半日だ。

 ロイがレイチェルに真っ先に知らせようと部屋に行くとドアが開いている。おずおずと部屋に半歩入ると、彼女はちょうどタライの水で顔を洗い終わったところだった。


「わかった、すぐに行く」


 船旅に慣れてきたのか部屋では彼女が持参した薄い生地のワンピース一枚しか身に着けておらず、体の輪郭が露わになっている。もちろん足もまるっと出して涼しげなサンダルだ。こんな格好を人に見せるわけにはいかないロイは、慌てて部屋の中に入ってカギをかけた。もちろんドアに身体の正面を向けてレイチェルを見ないようにしている。


「おい!この船は男しかいねーんだよ、そんな恰好でドアを開けっぱなしにするな、あぶねーだろ?何度言ったらわかるんだよ!」

「えー、暑いし自分の部屋くらいいいでしょ…やっぱ南に行くと暑くなるって本当なんだね。で、危ないって、どんなふうにさ」


 彼女の声が近づいて来て、すぐそばで聞こえるとロイはドキドキした。

 もしかして俺を誘ってる?やはり俺を好きなのか?などとぐるぐる彼が考えていたら、


「さ、行こう」とドアノブの上に置いてある彼の手に彼女の柔らかい手が重ねられた。期待して見ると、すっかり着替えて金色の髪を後ろでぎゅっとひとくくりにし、いつもの男装のレイチェルになっていた。


「着替えはえーな」


 ロイは思わずがっかりして呟いた。




「ここがセリカ王国…」


 港に降り立つと、すでに甘いフルーツの香りが漂う。空はつながっているのに、空気が違うなんて世界は不思議だ。

 ルテティア王国より肌の色が濃いセリカの人々は、上下紫や黄色、緑などの組み合わせのカラフルな絹の着物で身体の線も露わに堂々と歩いている。

 ロイとユリアヌスはそんな女性たちの格好をなるべく見ないように目を伏せていたが、レイチェルとポールは(それぞれ違う意味で)興味津々に見るのだった。


 ルテティア王国のブルクの港から船でほど近いセリカは『シルクの国』と呼ばれており、ルテティア王国から鉄鉱石などを輸入する代わりに布地を輸出している。セリカの布は色鮮やかで品質が良く、ルテティア王国の上流階級から平民まで幅広く利用されていた。


「じゃあ、セリカの王に挨拶してくる。ロイも行くか?」とポールが貢物満載の馬車に乗る時にロイに聞いたが、彼は首を横に振った。レイチェルと二人になりたかった。誤解を解いて仲直りがしたかったのだ。

 ユリアヌスは二人を心配そうに見ながらも、前回と同じくポールに付いて王宮に向かった。ポールが旅慣れているとはいえ王族を一人には出来ない。


「では3日後に出港する船でな」と言ってポールは貢物を持った船の乗組員と共に港を去った。


「二人はお仕事大変だね。さ、申し訳ないけど私たちは予定通り街歩きでもしようか。ロイはどこか行きたいとこある?」とレイチェルが聞いたが声が不自然に硬いのでロイは傷付いた。しかし平気を装い、


「俺も街をみたい。できたら少し一般の人の家も見てみたいな…どんな暮らしをしてるのか知りたい」と答えた。そして、


「とりあえず賑やかな方へ歩こうか。今夜の宿も早めにとらねーとな」と提案した。

 

 ロイは王族としてここがどういう国か知りたくて宿に泊まりたかった。

 2人は街に向かった。



「うわぁ、すごいでかっ!象?あれって象だよね!初めて見たっ、キキとアランにも見せてあげたいなぁ」


 街並みやら何が売られているのか、人の着るものや様子など観察しながら、イモをすりつぶしたものを揚げたお菓子を食べていたら、歓声とともに、大通りに象が見えた。カラフルな布が象を彩っておりとても印象的だ。どうやら行列のようだ。


「へぇ、すごい人気だね。王族かな…」とレイチェルがエメラルドグリーンの瞳を興味深げに揺らした。ロイが嫌な予感がするやいなや、「見に行ってくる」と早歩きでそちらに向かった。

 ロイはレイチェルを追いかけたが、同じように象に群がる人々に邪魔されて間に合わない。


「こらっ!待て、レイっ」とロイは言ったがすでに見失っていた。


「おいおい、いきなり迷子かよ…」


 ロイが必死で周りを見回しながら進むと、前方の象の行列のほうから「ひゃあ」という聞きなれた声がした。


「レイ?」


 人をかき分けていくと、象の上のきらびやかな箱に乗せられ目を輝かせたレイチェルがいた。

 そしてレイチェルの横には明らかに王族らしいじゃらじゃらと宝石を首からぶら下げた男がいて彼女の肩を抱いていたので、ロイの眉間に大きな皺が寄った。


「おい、すぐにあの女性を降ろせ。俺はルテティア王室の者だ」とロイが高圧的に衛兵に言うと、すぐさま象の上の貴人に伝えられた。行進は止まり、ロイは座った象の上に来るよう案内された。

 ロイは激高しながら用意された移動式の階段を登った。

 象の上にはレイチェルとこの国伝統の服を着た黒い瞳に黒髪の男、ムチを手にした象使いの3人がゆったりとカラフルなクッションが敷き詰められた乗り場に座っていた。思った以上に高いが、ロイがそんなことを思っている余裕はない。


「おい、座れ。進むぞ」


 その偉そうな黒髪の男がロイに命令したので彼はむっとした。生まれてこの方ロイはそんな風に高圧的な物言いをされたことがない。しかし問題はそこよりも、レイチェルがそいつの腕の中に大人しくいるように見える事だった。


「あぶねーなら俺とそいつを降ろせ。別に乗せてなんておまえに頼んじゃいねーよ」と同レベルで偉そうにロイが言い返すと、その男性は黒目勝ちの目を驚きで丸くした。


(あらら、二人とも似たモン同士みたいだな。取り合えず…)


「まあまあ、ロイ。象なんてめったに乗れないし、いいじゃない」とレイチェルが彼に肩を抱かれながらとりなしたので、ロイは目を吊り上げた。


「おまえ、勝手に先に行くんじゃねーよ。それになんでこんなとこにいるんだ!」

「へ…なんでなの?」とその男にレイチェルが訊ねたので、その男は破顔した。レイチェルの肩をわざと大げさに抱きしめ直しながら、


「おまえたちルテティア王国からの使者だろ?服でわかるぞ。迎えに来てやった」と偉そうに言った。


「頼んでねーよ」とロイが言うや否や、その貴人が象を進ませるよう象使いに指示した。象が立ち上がるとより高くなる。


「危ないからつべこべ言わずに座れ」と言って前を向いたそいつの腕からロイはレイチェルをぐいっと引っぺがした。


「痛いっ!」

「うるさい。おまえ変なヤローに触られてじっとしてるんじゃない」

「いや、高くて危ないから…」

「うるさい!」


 ロイは鬼のような形相でレイチェルをぎゅっと確保しながら、その貴人を睨みつけた。年は25,6歳だろうか、ロイと似た背格好だ。


「おまえ乱暴だな。そんなんだから女にモテないんだよ」とニヤリとして言ったそいつを、ロイはまたギロっと睨みつけた。


(ロイと似てるからムカつくんだろうな…ふふふ、おもちゃをとられた子供みたいになってるし)


「喧嘩しないの」と言いつつ、レイチェルはロイに強く抱きしめられてなぜか頭の芯がクラクラしそうなのを大きなため息で隠した。シムナルで触らせてくれなかった彼の胸板が思ったより厚い。彼と初めて学園で会ったときとは別人のように男らしい身体になっていた。

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