第16話 塩対応のツケ

「おはよ、ロイ。今日はどこに行く?」


 いつもの笑顔でレイチェルが聞いてくれたので、ロイは茶色の瞳を安堵で輝かせた。あんなことがあったのに気にしない、そんなおおらかな彼女がやっぱり好きだと強く思った。


「おまえの行きたいとこでいい。昨夜は…」




「ごめっ……夢、か」

 

 ロイが起きると隣のベッドにレイチェルはいなかった。


「おいおい、一人でどこ行ったんだ!レイ!?」


 飛び起きて彼女が寝ていたベッドを触ると冷たい。急いで顔を洗い、服を着替えて部屋を飛び出した。


「おはようございます、お連れ様は食堂です」とフロントで雌鳥亭めんどりていあるじに教えてもらい、人混みの食堂に目をやった。一人で朝ごはんを食べるレイチェルがいる。今日は男装じゃないけど、見事な金髪ですぐに彼女だとわかった。


「レイ…」

「ああ、ロイ。おはよう。よく寝てたから先に食べてる」


 ロイが恐る恐るレイチェルの背中に声をかけると、彼女は振り向いて作り笑顔を張り付け答えた。


「あの…」

「ほら、座りなよ。調子はどうなの?大丈夫?」


(いや、全然大丈夫じゃない…なんだよ、その顔は…)


 ロイは彼女から目を離さないまま座り、一息ついてから謝ろうとした。


「昨夜は…」

「ごめん、私ロイに対して図々しかった。反省してるから」


 レイがロイの言葉にかぶせるように先に謝ったのでロイは戸惑った。


「な、なん…」

「もうこの話は終わりにしよう。さ、ロイの朝ごはん来たよ」


 彼は声が出なくなっていた。レイチェルの顔には、昔学園で見慣れた作り笑いがあった。




(確かに最近ロイに甘え過ぎてたな…反省しないと)


 レイチェルは今朝一人で支度しながら考えた。ロイは疲れたのかよく寝ている。そういえば船のベッドが狭くて眠れないと言っていた。このベッドだと良く眠れるのだろう。


(昨夜ロイに怒られた時にはショックで頭が真っ白になったけど、よく考えてみるといつの間にかなんでもロイに頼っている。でもロイから相談されたり頼られた事なんて一回もない。彼は私の家族をよく知っているが、私は彼の家族のことを全く知らない。これって完全な一方通行だよね。

 それに彼が王族であることも忘れ、私が貴族らしからぬ振る舞いや服装をしてばかりなのも彼の気に障ったのかもしれない)

 

「ロイが調子悪いのに馴れ馴れしくしてごめん。これからは気を付けるから…」


 今なら寝てるしいいだろうとロイの賢そうな広い額に手のひらを当てた。熱はなさそうだ。

 

(これほど気持ちが落ち込む、ってことはロイは私にとって…)


 レイチェルはロイの顔をじっと見ながら彼への気持ちについてしばらく考えたがうまく当てはまる言葉がない。


(一番近いのは、特別、って言葉だな。でも彼にとって私はそうじゃないんだろう。だから怒られたんだ。一番近い存在かもっていい気になってたのは間違いないや。気を付けないと嫌われちゃう…他の誰に嫌われてもいいけど、ロイにだけは絶対に嫌われたくない…)


 レイチェルは顔を洗ってから、パチンと自分の頬を叩いて気合を入れた。




「ロイ、今日はどこにいく?」と朝ごはんを食べてから部屋でロイの夢の通りにレイチェルが聞いた。ロイが『おまえの行きたいところに…』と言おうとしたら、


「昨夜怒らせちゃったし、今日はロイの好きなとこに行こう」と続けて彼女が提案した。ロイは明らかに距離を置いて気を使っている彼女を前にして心が沈んでいくのがわかった。


「お…俺は特には行きたいとこなんてないけど、せっかくだし塩田を見てみたいかな。おまえはどうなんだ」

「ん?私も塩田見たい。ちょっとフロントで聞いてくる」


 彼女はそう言って部屋を出ていった。まるでロイと二人きりでいるのが嫌なのかと思わせるほどに早く。


「ま、待てよっ…」


 ロイが空中に伸ばした手はゆっくり膝に落ちた。


(こうしたのは俺だ…レイチェルはまた他人行儀になっちまって…ああ、俺ってばなんであんなことした?!彼女が他の男に馴れ馴れしく触ってるとこなんて見たことないくせに…)


 原因が自分のプライドだとは思ってもみないロイだった。なんせ誰よりも高いプライドを持て、他人に弱みを見せるな、誰から見ても完璧かんぺきであれと幼少から叩き込まれて育っている。


(どうしたらいいんだよ…)


 ロイは言葉通り頭を抱えた。




「おはよう、ロイ。よく眠れた?」「おまえら一緒の部屋?!おいおい、キキ殿にど叱られるぞ。こんな可愛いしたレイチェルと一晩一緒に居て何もないなんて誰も信じない。しかしレイが男装してないとこ、初めて見たな。くらくらするくらい綺麗だ」


 ロイが悩んでいたら、ポールとユリアヌスとレイチェルが部屋に入ってきたので、彼は助かったと感じた。レイチェルにちょっかいを出すうざこいポールでさえありがたい。二人でいるのはしんどかったのだ。


「おう、もちろん昨夜はなにもやましいことはない。ひとつしか部屋が空いて無くて仕方なくな。今夜は二つ取ってあるから大丈夫だ」とロイが言うと、


「ロイは紳士だから何もないに決まってるでしょ。っていうか、女装って何よ!」とポールに向かってレイチェルが無邪気に笑った。そんな笑顔を自分は失ったかと思うと、ロイはうすら寒い気持ちになった。


(俺にも笑顔を向けてくれ…怖くて息がうまく出来ないよ)


「ロイ、顔色悪いね、大丈夫?」とユリアヌスが心配してベッドに座ったロイの顔を覗き込んだ。ポールまで心配そうに見ている。それ程ロイの顔は蒼白になっていた。


「昨夜から少し調子悪いようだし、今日は宿でゆっくりしていたら?」


 レイチェルにそう言われたのがすごくショックだった。来るな、とロイには聞こえる。


「いや、大丈夫。今日は塩田に行く予定だしな」と震える声で言うのがロイの精いっぱいだった。




「広い!人がいっぱいだね…」


 シナムルの海岸では、見渡す限りの広大な塩田が広がっていた。


 天気がいい日は作業がある、と聞いて4人は視察させてもらうことになった。

 海から大量の海水を荷台で運ぶもの、それをまんべんなく塩田の砂に撒くもの、塩がついた砂を集めて煮出すものとグループで分業している。機械のようだ。

 作業者は浅黒い服とくすんだ肌色の奴隷たちだった。彼らは服を頻繁には洗わせてもらえず、いつも白い服が浅黒くなっているので奴隷だとすぐに判別できる。毎日陽に当たっているせいかブルクの奴隷より肌色も濃い。


 ポールたちは塩が出来る最終工程の作業機械に夢中になっていたが、レイチェルは気になって塩田の責任者に質問した。


「あの…彼らは作業がとても慣れてますね。いつから彼らはここで働いているのですか?」

「そうですねぇ、奴隷たちはだいたいが12、3歳でここに来て死ぬまで働きます」と責任者はさらっと答えた。


(そ、そんなさも当然のように…一生ここで塩だけ作ってろ、ってことでしょ?!そんなの希望がなさすぎる…)


「そうなんですね…あの、彼らが解放される、ってことはないのですか?」

「そうですね、うーん、解放されるのは平民と結婚した時か、死ぬとき、後は事業主が死んだときです」

「事業主が死んだら解放されるのですか?」とレイチェルがややほっとして聞き返すと、


「ええ、事業主が死んだときはその責を負って奴隷は皆殺されます」とあっさり彼は答えた。彼女は船のマストで殴られたような衝撃を受けて固まってしまった。


(だめだ、全然意味が分からない…なんでそんな理由で死なないといけない?奴隷の命が軽すぎる!皮をはいだら同じ筋肉と骨の人間なのに…)


 レイチェルが塩田の責任者と話して凍り付いているのを、ロイは少し離れたところからこっそり見つめていた。近づいてあの作り笑顔を向けられるのが嫌だったが、でも彼女が何をショックに感じているのかが気になって仕方なかった。ロイは我慢が出来なくなって、


「レイ、大丈夫か?何か飲み物を持ってこさせよう」と彼女の肩に手を置いたら、レイチェルは驚いて飛び上がった。


「ひゃあ!あ、ありがとう。大丈夫だから…ポールたち、どこに行ったのかな」


 レイチェルがいかにもロイと二人で居たくなさそうに言ったので傷つきながらも、ロイは、


「あの塩田のおっさん達のやってることは今の王国では普通だ。あいつらが悪いわけじゃないからな」と言った。慰めようとしたのだが逆効果だったようで、彼女は余計に落ち込んだ。


「なんだよ、俺ヘンなこと言ったか?」とロイが慌てて聞くと、


「ううん、違う。私何も知らなかったんだ。地方ではこんな扱いが普通で、王国の至ることろで奴隷が希望もなく働いてると思うと…」と胸を痛そうに押さえながら答えて、はっとして彼を見上げた。


「ごめん、こんなことロイに言って」

「何言ってんだ、言えよ」

「うん…ありがと」


 それきり口ごもったレイチェルの整った表情のない横顔を盗み見ながら、ロイは自分の胸の内側を爪で掻きむしって血だらけにしたい気持になった。




「なあ、レイと何かあったのか?今日のあいつ変だよな」と宿で酒を飲みながらロイにポールが聞いた。ユリアヌスも心配だったようで、灰色の瞳を曇らせながらロイのそばににじり寄った。

 レイチェルは部屋でゆっくりしたいと言って夕食の後は部屋にこもっている。


「あー、んん、大丈夫だ。ちょっと誤解があって…」

「まさか…本当に手ぇ出したのか?」


 ポールの言葉でロイがお酒を噴いたので、二人は違うんだと安心した。一応はロイも男の子なのだから、可能性がないことはないのだ。


「ねえ、ロイ。君は自分が思ってるよりレイにキツいことをいつも言ってますよ。レイは君を信頼しきってます。自分のプライドを守るために彼女を傷つけるようなことを続けると…あれ、どうしたの?」


 ユリアヌスは急に頭を机に押し当ててうなるロイに驚いた。ポールもだ。

 そんな情けないロイを、二人は見たことがなかった。いつも傲岸不遜、天上天下唯我独尊を絵にかいたような男なのだ。


「ぐ…っ!俺、レイに本当に嫌われたかもしれねー。昨夜、あいつが俺のベッドのそばに来て、額に手を当てたんだ。それがスゲー気持ちよくて、ずっと触って欲しいって思ったら、急にそんな風に思ったことが無性に恥ずかしくなって…」


「で?」とポールとユリアヌスが待ちきれなくて先を促した。


「『気安く触るな』って怒鳴どなった…調子が悪そうだと心配してくれたあいつの手を汚いもののように振り払っちまった」


 ポールとユリアヌスは慰めの代わりに大きなため息をついた。

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