第15話 食事と浴場と…

「塩料理だって…美味しそうじゃない?このスズキを塩で包んで蒸し焼きにしたの下さい。あとここの名物って…」


 ロイは食いしん坊のレイチェルが雌鳥亭めんどりていの給仕に質問しながら料理を注文するのを目を細めて眺めている。自然に口角があがってニヤニヤしてしまうのを抑えられないので手で隠していた。


「…ロイ、ねえ、ロイってば!」

「へ?ああ、なんだ?」


 ぼんやり見ていたら、彼女がお腹がすいてイラつきながら彼の名前を呼んでいた。そんな風に怒っていても彼女は美しいな、なんてロイはまだ思っている。


「もういいかな、料理頼んでも」

「ああ、勝手にしろ」


 彼はしれっと答えた。

 あまり注文内容がわかっていなかったが、何でもよかった。楽しそうに笑うレイチェルが前にいて今は二人きりで旅行しているのがとても現実とは思えなかった。




「あー、美味しかった!塩を売っている地域だけあって料理の味付けが繊細だったね、ロイ」

「あ、ああ…」


 ロイとレイチェルは雌鳥亭の主人おすすめの公衆浴場に入りに道をポテポテと歩いていた。お腹がいっぱいで二人とも身体が重い。船の食事に飽きていたので二人共食べ過ぎた。

 ルテティア王国は清潔をよしとする伝統のおかげで各都市に浴場が必ずあった。それも国や各地の有力貴族から公衆衛生の名目で多大な金銭の補助が出ているので、誰でも毎日入れるように入浴料は安価な設定になっている。


「ここの浴場ってどんなんだろう、楽しみだ」と浮かれるレイチェルに対して、ロイは今夜のことを考えると複雑だった。きっと一晩中寝れなさそうだし、万が一だが我慢が出来ずに襲ってしまったら今の関係は終わり、二度と口をきいてもらえなくなるだろう。彼女もそれは不本意に違いないのだ。

 もしやと思い、雌鳥亭の主人に部屋の空きが出来たか聞いたが、残念そうに首を横に振られてしまった。実際主人は美女と同室でいいじゃないかと思っていたが、そんなことはおくびにも出さない。彼はプロなのだ。

 ロイが大きなため息をつくと、レイチェルが「大丈夫?お風呂で倒れないでね、男湯には助けに行けないんだから。長湯はだめだよ」と年下のくせに姉のように心配した。


「うっせ、おまえは自分の事を心配しろ」と思わずロイが言うと、


「へ…もしや私汚い?一応毎晩濡れタオルで拭き洗いしてたんだけどなー」とくんくん野犬のように自分の身体の匂いをいだ。ロイは彼女がタオルで身体を拭いているところが頭に浮かんで真っ赤になった。


「ち、げーよ!変なやからに目を付けられると厄介だから気を付けろって話だ。俺から離れるなよ」

「えー、でもロイって強いの?ケンカしてるとこ見たことないけど」とあなどるように彼の顔を見上げた。

 ロイは学園を卒業してからというもの王宮で訓練を受ける時間を増やしていた。いつ周辺国との戦争が起こるかわからないし、その際には王族から誰かが行かねばならない。たとえお飾りであっても、身体を鍛えるに越したことはないのだ。


「もちろん鍛錬はしてるから安心しろ」


 ロイが自分の胸を拳でどんと叩いたのを見て、レイチェルは不意に興味が出て、どんなのか触ってみたくなった。出会った頃に比べて格段に男らしくなった身体を見たら、先日大学で勉強した筋肉と骨格の標本を思い出して確認したくなってきたのだ。

 彼女が手をにぎにぎしながら意識せず卑猥にかざし、


「ねえ、二十歳ハタチの胸板に興味あるんだけど、触ってもいい?」と聞いたのでロイはのけぞった。


「はぁ?止めてくれ、こんな道で触ってたら痴女だと思われるぞ」

「へん、ケチ!どう思われたって知らない人ばっかだし関係かんけーないね」


 リクエストを拒否されてプリプリ怒るレイチェルを見、ロイはまた大きなため息をついた。彼女にヘンに触られたりしたら、ロイがどうなるかは火を見るより明らかだった。




「お待たせー」


 ロイが浴場から出て、待合室で少しゆったりしていたらレイチェルも出てきた。さっぱりした顔を上気させて男装を解き、平民の着るようなシンプルなワンピースを着ている。

 金色の見事な髪は濡れているのを乾かす為か降ろしていた。もちろん裸足だ。服は良い生地のようだが、侯爵令嬢のくせにもう少しちゃんとした着物がないのか、とロイは赤くなっているのを隠すために俯いた。当の本人は全く気にしていないようだ。

 ロイは明らかに平民ではないとわかるようなスリーピースの服を着ている。

 

えーな。靴下は履けよ」


「はーい。本当に五月蠅うるさいったら…」と言いつつも準備しているのが可愛い。彼女が麻の薄い靴下を履こうと俯くとワンピースの胸元の隙間から胸の形がわかるくらい見えてロイは飛び上がった。


「お、おい、羽織るものも持ってないのか?もう我慢できん」




 ロイはレイチェルを閉店間近の服屋に引きずりこみ、少しは見れる服と麻の涼しげな羽織りとを購入した。


「うーん、あれ涼しかったからお気に入りなんだけど…」と布地が多い分暑くなった服にレイチェルが文句を言う。


「あれはダメだ。船でも絶対着るなよ」とむっとしてロイが言う。


 ついでに足が見えないようにここいらの貴族が履くという涼しい長靴下とサンダルも揃えた。これで彼女が裸足で甲板を歩き回る心配が減り、ロイは心からホッとした。


 夜でも賑やかな通りだったが、一軒、また一軒と閉店していく。二人は空いてる店をぶらぶらと冷やかしながら雌鳥亭めんどりていに帰った。


 二人は宿で洗濯物を心づけとともにフロントに渡し、部屋に入ってすぐに二つあるベッドに各自寝転んだ。レイチェルは広いベッドで満足そうにしている。なんせ船のベッドは狭いのだ。

 ロイはそんなベッドの広さを楽しむ心の余裕もなく、やや緊張した面持ちで天井を見てから少し離れたベッドの上のレイチェルをこっそり覗き見た。

 彼女は目を閉じて「んーー!」と言いながら伸びをした。そしていきなりぐるりとこっちを見てベッドから立ち上がりロイのそばに来る。ロイは心臓が飛び跳ねて身体を起こそうとしたが、レイに両肩を押さえつけられてベッドに寝かされた。


「なっ!なんだよっ」

「ロイ、今日はちょっと変だね…顔が赤い気がする。大丈夫?熱あるんじゃない…?」と言いながらかがんでロイのおでこにひんやりとした手を当てた。降ろした金色の髪が揺れてふわりと彼の頬に触る。


 ロイは反射で彼女の手に自分のを重ねた。柔らかくて薄い手。こんな風にしてもらったことがないロイは、一瞬のためらいの後彼女の手を引きはがして捨てた。なぜかてらいもなく自分に触る彼女にムカついたのと、自分がこんなことで小さな子供みたいに泣きそうなくらい嬉しくなったことを悟られたくなかった。


「気安く触るな!おまえのそういうとこが、すげーいやだ」


 そう言ってからロイは手で自分の口を塞いだ。

 レイチェルの顔が一気に蒼白になったのを見てしまったからだ。大学であからさまに差別されている時だって気丈なレイチェルはそんな顔を周りに見せたことがない。


「わ、悪い。俺が言い過ぎ…」

「いい、確かに私が気安かった。旅に浮かれてたよ…疲れてるしもう寝ようか」

「おい、レイってば…」


 ロイが背中に嫌な汗がどっと流れるのを感じながらベッドから身を起こすと同時に、彼女は自分のベッドに戻って背を向けて寝転んだ。


「おやすみ」と彼女の硬い声が部屋に響いたが、ロイは喉が凍ったように固まってしまい返事も身動きも出来なかった。

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