第14話 塩の街、シムナル

「シムナル!今ルテティア王国の最南端領にいるなんてっ…感動だっ!」


 ブルクの港を出てから3日南下し、すでに気温は高くなっている。

 レイチェルの故郷、フォンテンブローはルテティア王国の最北にあるのでシムナルは反対の南端になる。


「おい、レイ!あんまはしゃぐな、海に落ちるぞ」とロイが手すりから乗り出して興奮するレイチェルを注意すると、「うん…」といつもの50倍は素直で覇気のない返事が返ってきたので彼は眉を寄せた。

 船の最初の夜に彼女の部屋で一晩過ごしてからというものレイチェルの様子がおかしい。ロイの近くに来ない、彼が近寄ると微妙に離れる。


「なんなんだよ…」とロイが気落ちしていると、


「おまえ何かしたんだろ、正直に言え。寝こみを襲うなんて王族としての矜持きょうじはないのか?」とポールは笑いを堪えながら疑惑の目を向けた。

 ポールもユリアヌスもロイの性格ではそんなことをしないとわかっていた。

 彼のプライドはルテティア王国の一番高い山より高い。そのせいでレイチェルとの仲が進まないのを面白がっているのだ。


「レイに聞いてみましょうか?何か理由があるのでしょう」とユリアヌスはロイに甘いので提案した。


 確かに、あの朝起きて一緒の部屋にロイがいると知った時のレイチェルの驚きようはなかった。それは恋愛とかそういう甘いのではなく、自分の一番弱いところを他人に知られる恐怖が彼女を支配していた。


「いや、いい。俺が聞く」


 ロイは自分で聞かないといけない気がしてそう答えた。




「じゃあ、僕らはシムナルの領主に挨拶してくる」「くれぐれも気を付けてね」


 ポールとユリアヌスはそう言い、港に迎えに来ていた豪奢な馬車で領主の館に向かった。港やその馬車を見てシムナルは豊かな様子がわかる。

 残った2人は塩の貿易で栄えている港街を歩いた。シムナルの海辺には大規模な塩田がいくつか並んでおり、大勢の奴隷を使う塩農家によって良質の塩が作られている。出来た塩は一手に国が買い上げ、国内で消費されたり他国に輸出される。塩は基本的には国が管理する農産物だ。


「へぇー、塩にもこんなに種類があるんだ…」


 レイチェルが目を輝かせて古代塩やスパイスミックスなどのブランド塩を売店で見ている。小さな塩田を経営している者は、こうやって個人客相手に塩を土産物として売る。大量には売れないが国に売るよりも利幅が大きいのだ。もちろん商人には割安で売ったりもする。


「そうだな、塩も単純に輸出するんでなくてこうやって付加価値を付けると単価が上がっていいな…」とロイが考えながら言うと、


「うん、私もそう思った!」といつものように答えてから、思い出したように向きを変えて離れようとしたのでロイが慌てて腕を掴んだ。


「レイ、あの夜の事疑ってんのか?本当に俺は何もしてないんだって…」


 ロイに思ってもいないことを突然言われてレイチェルは目を丸くした。


「え?ああ、ロイを疑ってなんかない…あの…」

「なんだよ…ちょっとこっち来い」


 ロイは人が少ない場を探し、少し奥まった場所にあった古い神殿の前にレイチェルを連れてきて手を離した。神殿にレイチェルは興味を持ったらしく見て回った。


「海の神様の神殿だって…塩の神様までいるんだね、不思議。どんなお姿なのかしら」


 どの家庭にも固有の守り神がいた。少しやんちゃな太陽の神がルテティア王室の守護神だし、フォンテンブロー侯爵家では豊穣の月の神が祭られている。アランの家は代々騎士団に入るせいか、天と嵐の神が祭壇に祭られている。みなキャラが濃い神ばかりで、レイチェルは幼いころから神話が大好きなのだ。

 ぼんやりと夢想しているエメラルドグリーンの瞳にロイはうっとり見惚みとれてからハッとした。すっかりここに来た目的を忘れている。


「なあ、レイ。悪い事をしたなら謝るから、理由を教えてくれないか?訳も分からず避けられるのは嫌なんだ」

「う…ごめん…」


 彼女も悪いと思っていたのだろう、ロイに先を越された、という顔をしてから、言いにくそうに聞いた。


「…あの、さ。あの夜私何か言ってた?それが気になって仕方なくて…」


 ロイは彼女が夢でうなされていた事を知られたくなさそうな様子なのでしれっとごまかした。


「何も言ってなかったぞ。ワインで酔っぱらってグタグタで俺にからんで最悪だったけどな」

「え…っ、嘘っ!?」とレイチェルが赤くなった。その様子があまり嫌そうではなかったからロイは調子が出てきた。


「嘘だよ、嘘。苦しそうだったからベストのボタンを外してベッドに寝かせたが、内側からしか鍵がかからなくて不用心だし仕方なく俺はソファーで寝てただけだ。俺も酔ってたからすぐ寝てしまって寝言は聞いてない。わかったか?」

「う…わかった。ごめん…変な態度をとって」

「おまえ悪夢でもみるのか?相談に乗るぞ」


 何気なくロイはレイチェルに聞いてみたが、


「うん、あの夜も嫌な夢を…昔っから悪い夢をよく見るんだけど、最近見てなかったから…不安になってさ」と内容には触れずにぼんやりとしたことを彼女が答えたのでがっかりした。


「ふーん…」


 ロイは悔しくなってレイチェルの肩を抱き寄せた。彼女は驚いて身体を固くしたが、すぐに安心したように力を抜いてロイに任せた。あの夜と同じ身体を肌に感じてロイは恍惚で目をとろりとさせた。彼女が安心して自分に身体を預けているのを感じてくらくらする。それでもなんとか言葉を絞り出し、


「不安ならなんでもいいから俺に言えばいい。一緒に旅してるんだから、俺にもっと甘えろ」と彼女の頭の上で懇願した。

 彼女はロイに肩を抱かれながら、自分がうなされていたことを知ってて彼は嘘をついていると気が付いていた。


(ロイってば嘘が苦手なくせに、バカ。でも不安、か…確かに私の人生にはこの夢が現実になるっていう不安がずっと付きまとってるんだよな。きっとこれからも…)


「…ロイって偉そうなくせに意外と面倒見がいいよね。心配してくれててありがと」とレイチェルは無理して笑った。


「偉そうは余計だ」と言ってから、ロイは心の中で、『そうやってすぐに無理するおまえだから心配なんだ』とつぶやいた。




「え…ひと部屋しかない?」

「今日はね、商人さん達でどこもいっぱいだよ。今週は塩の品評会だからね」


 ロイが船で寝るのは嫌だと言い張るので、二人は宿をとることにした。しかしどこもいっぱいで、最後の宿『雌鳥めんどり亭』で部屋がひとつしかないと聞いてロイが戸惑っていると、


「いいです、お願いします」とレイチェルがあっさりと横から言ったのでロイは飛び上がった。


「おいおい、レイチェル。同じ部屋でいいのかよ…」

「いいもなにも、ここが最後の宿だし仕方ない。今から船に戻ってもアレだし、何か食べたいし」と目の前の食堂で皆が美味しそうに夕飯を食べるのを羨ましそうに眺めている。要するに彼女はお腹が空いたのだ。


(船の料理って毎日あまり変わんないんだもんな…何か作りたいけど、ロイが全力で阻止するって言ってたから難しそうだし)


「う…おまえがいいならいいけど…」


 ロイが宿代と心付けを宿代分払ったので、宿主は目を丸くした。そしてにわかにニコニコしだして、


「では、こちらカギになります。2階の奥です。お風呂はこの街にはたくさんありますし、どこも当たりです。夕ご飯は10時迄、門限は11時なので気を付けて下さい。最近物騒なので早めに閉めるんです。もし遅くなりそうなら事前にお申し付けください、特別に対応します」と言って、鍵を出した。


「わかった。おい、行くぞ」


 心持ち緊張しているロイと、宿屋にワクワクしているレイチェルはぎしぎしいう階段を上がっていった。鍵を開けて突き当りの角部屋に入ると、ベッドが二つとソファ、机まであり、南と西の木窓からはまだ明るい夕方の海が見えた。


「うわー、広いね」「そうだな」


 当たり前だが船室とは比べ物にならないくらい広くて開放感がある。角部屋で少し高いから空いていたのだろう。


「お、ほら、海が見えるぞ。俺らの船も」


 ロイの自分に劣らず浮かれた様子にレイチェルは密かに目を見張った。


(そういえばこの船旅、ロイってば解放された小動物みたいに嬉しそうだよな…自由には外に出れないみたいなことをたまに言ってるし…なんか檻から出た小熊が嬉しくてそこいらに転がってるみたいで可愛いな、いつも威張ってるくせに。くくく)


 その浮かれたロイが出窓に座って一緒に海を見ようとレイチェルを手招きした。二人で座ると思っていた以上に狭くて身体がくっつくが、彼女は全く平気で、


「ほんとだ。港、こうやって見ると結構大きいしたくさん船が停まってる。ほら、沖からもう1船来た」と船を指さしてキャッキャ言っている。

 レイチェルが動くたびに胸や肩が彼の身体に触れるのでロイは呼んでおいて、しまったな、と思っていた。夏で薄着をしたレイチェルの身体のがロイに伝わる。いつの間にか靴も靴下も脱いでいるのを見て目を丸くした。


「お、おい、狭いからってくっつくな。それにおまえ裸足じゃねーか!」

「いいじゃん、暑いし脱いでも。意外と古いんだね」とレイチェルはエメラルドグリーンの瞳をいたずらに輝かせて、足をこれ見よがしにブラブラさせた。


 ルテティア王国では、結婚前の女性は男性に裸足を見せてはいけない。それは一生を共にする男性にしか見せない決まりになっている。


「そりゃあそうだけど…」


 ロイはドキドキしてきた。もしや裸足を見せるなんてレイチェルは俺の事を好きなんじゃ、とまたうぬぼれ始めたら、


「アランの前でも夏は昔からずっと裸足だよ。そんなのルテティア王国で気にしてるのロイだけだって」とあっけらかんと言ったのでガクッとなった。


 実際のところ、そういった厳しい慣習は貴族や王族だけのもので、平民は全く気にしていなかった。極々少数の特権階級と大多数の平民との間にはかなりの意識や生活習慣の隔たりがある。

 例えば平民は結婚は生涯に一度出来るか出来ないかだったが、貴族は平均3人の妻がいた。つまり、結婚は3度までできることになっていた。優秀な跡継ぎを残すためだが、男女双方ともに手紙だけで離縁も出来、女性の生涯は夫でなく自分の父親の支配下に置かれる。父親の命令で結婚・離婚を繰り返す女性もたくさんいた。

 子供が成人まで育たないことも多く、嫁ぎ先で妊娠した娘を付加価値がついたからと離婚させ、より条件のいい男性のもとに嫁がせることもあった。また、子供が親の満足のいく性質を持っていない場合、捨てたり奴隷にしたりすることも権利としてあり、実際遺棄されることが多々あるのだ。


「おまえ…いつか襲われるぞ」とロイが彼女のきゅっと締まった健康的な足首に見とれながら恥ずかしそうに言うと、


「誰に?」とレイチェルがきょとんとして答えた。『俺にだよ』という言葉を飲み込みつつ、


「…わからん。さ、靴を履け、下にメシ食いに行こうぜ」と耳まで赤くなったロイはレイチェルの隣から脱出した。ロイは彼女の恋愛対象ではなさそうだったし、我慢の限界を超えて嫌われるわけにはいかないのだ。

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