第12話 令嬢は喧嘩上等

(ロイのやつ、なんであんな風に反対する?理解者だと思ってたのに見損なったよ…)


 マルシリウスの講義のためにレイチェルがロイと離れた席に座ると、両隣にユリアヌスとポールが座った。レイチェルを心配している。


「二人とも…」

「喧嘩したんだろ?レイはわかりやすいな、元気出せよ」「そうですよ、レイらしくない。貴女が元気ないと空気が重くていけません」と二人は続けて言った。彼女は自分が思っている以上に打ちひしがれて見えていたのだ。


「うん…心配かけてごめん。でも私絶対に行くから…」


 レイチェルの思いつめた表情を見て二人は慰めた。


「まあ、ちょっとはロイの気持ちもわかるけど、今回はやり過ぎです」「そうそう」


「ありがとう…」


 なんだか二人が味方をしてくれていると思うと心強くてレイチェルは涙が出そうだった。ロイがという理由で反対しているのがショックだったのだ。




「船に乗るから」とキキに何度も言おうとしたが、結局言えないまま出発3日前の夕方になっていた。


(キキはまさか行くとは露ほども思ってもないだろう…困ったな)


 レイチェルがこっそり部屋で旅の準備をしていると、キキがノックしたので飛び上がってベッドの下に荷物を隠した。


「レイ様、ロイ様がいらっしゃってます」

「…わかった」


 彼女は気合いを入れて階下に足を運んだ。ロイとはあれから口をきいていない。


(きっとキキを使って止める計画だろう。でも負けるもんか!)


「あら、ロイ様。久しぶりでいらっしゃいますね、お元気でしたか?」


 レイチェルはロイの待つリビングに入るなり戦闘体制で挨拶したが、ロイはうつむいたままで乗ってこず、


「…少し歩かないか?」と返事したので彼女は拍子抜けした。


「へ?い…いよ」


 二人は外に出て、賑やかな初夏の夕方を歩いた。

 広場に着いて「ここで待ってろ」と言われて座っていると、しばらくして「ほら。好きだろ?」と言ってロイはルテティア名物のスパイシーなミルクティを彼女に手渡した。


「あ、ありがと…」

 

(ちょ、調子狂うな…)


「美味しい…でもこんなんじゃ買収されないから」

「ん…なぁ、レイチェルはさ、俺のことどう思ってるんだ?なんでこれほど心配する俺の言うことを聞けないで行こうとするのか教えてくれ」とすがるような小さな声で聞いた。

 その様子はまるで幼児が母親に抱っこをせがむみたいで、レイチェルは今は敵なのを忘れて笑ってしまった。


「なんで笑うんだよ…俺はおまえが近くにいないのが怖いんだ。手の届かない場所に行ってほしくない、だから反対してる。女だからってのは言い訳だ」


 彼は少し見ないうちに少しやつれていた。ただの意地悪や偏見で邪魔をしているわけでないとわかって彼女の心は和んだ。


「ロイは私の大事な恩人で、約束をいつか果たそうと思ってる。だからチャンスを逃したくないんだ」

「約束…?」


 ロイは彼女のエメラルドグリーンの真剣な眼差しにドキッとした。


「うん。大学入学の時、私はロイの為に立派な学者になって、将来ロイとルテティアの為に尽くすって約束したでしょ?」

「ああ…」


 ロイはまだレイチェルがそんなことを心に留めていたと知って驚いた。


「律儀に約束を果たそうとしてくれるのは嬉しいけど、いいんだ。レイチェルの好きにしたらいい」

「…じゃあ、なんで船は反対してるの?」

「うっ…だから…レイにそばにいてほしから…」


 痛いところを突かれたロイは、なんとか消え入りそうな声で答えたがレイチェルは一刀両断した。


「うん、ずっとそばにいてロイを支える。だから、その為にも私は成長しないとだめなんだ。ロイだって本当はわかってるんでしょ?」


 彼女は彼の両肩に優しく手を置いて、茶色の瞳を覗き込んだ。そんな風に彼女にされると彼の心臓の音は太鼓のようにトクトクトクトクと身体全体に響いた。彼女の優しくなったエメラルドグリーンの瞳と見つめ合う緊張に耐え切れなくて目を逸らした。


「う…わかったよ」


 とうとうロイは負けてそううめいた。




「もう…ロイ様は甘くていらっしゃるんだから!キキは反対ですが、ロイ様が認めるなら仕方ありません。行ってらっしゃいませ」


 いつものように夕飯を4人で食べながら、レイチェルの向かう南方の国々の話を聞いていたキキがそう言ったので、レイチェルは芯からほっとした。アランは元からレイチェルが人の言うことなんて聞くはずはないと思っていたのでクスクス笑っている。


「キキ…ありがと。帰ってきてキキがいなかったら私死んじゃうもの…」

「お腹を空かせてですか?」とアランがからかうように聞いたのでロイが笑った。


「いえ、ロイ様。笑い事ではありません。レイ様の作る食べ物は凶器、いや、兵器に近いのですよ。どれだけ空腹でも絶対に口にしてはなりません」と真剣にアランが忠告したのでロイは冗談か図りかねてキキをみた。彼女は大きく断定するように頷いた。


「さようでございます。2年前にわたくしがこちらに来た日にレイ様が作って下さった羊の煮込み料理…それはそれは匂い・味・見た目ともに酷いものでした。食材に対する冒とくです。それからは決してレイ様に料理を作らせないようにしております。なんせあまりに匂いが酷いせいで、異臭がすると近所が大騒ぎになりましたから…」


「ほう…」とロイは面白そうにその話を聞いていたが、船で彼女がご飯を作ってポールとユリアヌスがひどい目にあったらいいのに、と意地悪く思っていた。レイチェルは今にも『おおげさだなー』と言いそうな表情だ。

 

「ふーん、何でも出来るくせに料理が下手とは笑えるな、レイ」とロイがからかうと、


「いいよ、どうせ結婚しないし」と言って笑ってから、「そうだ、南方で買った食材でならうまく作れるかも…」と思いついたように言ったので、


「バカ、ダメに決まってるだろ」「お止め下さい」「それは絶対ダメです」と慌てて椅子から立ち上がった3人に止められてしまった。




 その3日後、男装したレイチェルはポールとユリアヌスと共に青空が広がるブルク港にいた。

 ルテティア王国の誇るこの巨大な港は、30年前先王に依頼された若き日のマルシリウスの監督の元、当時のルテティア王国の技術の粋を集めて建設された。その技術の一つが水硬化性コンクリートだ。コンクリートによって大型の船が出入りできる使い勝手のいい港の建設が可能になった。


 船は奴隷が手漕ぎするガレー船かとレイチェルは思っていたが、商人が荷物を多く積んで近海を航海する用の帆船、コビタ船だった。ちなみにポンタ船は遠く外洋まで航海する用の船だ。

 コビタ船には2本のマストがあり、船首付近にある前方に突き出した帆がカッコいい。船首から船尾にかけて段々高くなっているのも素敵だ。

 彼女たちの他に乗車するのは、販路を開こうとしている商人たちだ。

 船は南方の国々をぐるりと回る。ポールがルテティア王の替わりに友好を示す贈り物を持参して表敬訪問し、約1か月後に帰ってくる。レイチェルが好きなミルクティーのスパイスと茶葉を産出する国や、奴隷の輸出国、海産物の産出国など色々な国を見られるのだ。


 レイチェルは酷く心配そうなキキとアランに別れを告げ、船に乗り込み荷物を狭い部屋に置いて甲板から港を見下ろした。


「ロイ、見送りに来ないな…まだ怒ってるのかなぁ」と彼女が顔を曇らせて言うと、ポールがニヤリとして、


「いや、もう怒ってないでしょ。気にしなくても大丈夫だよ、レイ」と言って彼女の頭を帽子の上からポンポンと叩いた。


「おい、ポールはいつも気安く触りすぎだ。離れろ」と聞きなれた声が後ろから聞こえた。ロイだった。


「ロ、ロイ?!なんでここに?」

「俺も行く。おまえが料理を作って船が全滅したら心配だからな、全力で阻止しに来た」と言って笑った。ポールとユリアヌスはニヤニヤしているので、彼が乗ることを知っていたのだろう。


「なんだ、みんな知ってたんだ…」


「レイを驚かそうと思ってね。びっくりした?」とユリアヌスの灰色の瞳が面白さを湛えて輝く。ポールは少し困り顔をしているので、もしかしたら王宮に内緒で来たのかもしれない、と彼女は思った。


「もちろん、すごくびっくりした。4人で船旅なんてすごく嬉しい。そうだ、機会があれば飛び切り美味しいキキ直伝の料理を作ってあげるから」とレイチェルが言うと、ポールとユリアヌスは純粋に「おー、それは楽しみだな」と歓声を上げたが、ロイは「おいおい、マジで勘弁してくれよ」と情けない声を出した。

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