第11話 うぬぼれ

 レイチェルが大学に入って2回目の春が過ぎようとしていた。


 初夏には18歳の誕生日を迎えるが、適齢期だからと結婚をする気にもならず、ただただ毎日勉学に熱中していた。特に地理学に夢中だ。


 レイチェルが女性である、という理由で大学に行くと強い拒否反応がおこり、目の前で陰口をたたかれたり嫌がらせもされた。例えば空いている席に座らせてもらえなかったり、グループワークで存在を無視されたり、ノートを貸してもらえなかったりと例をあげたらきりがない。

 しかし学生だけでなく講師の間でも憧憬しょうけいの的であるマルシリウスと王族であるロイが睨みを利かせていた。


「女性だ男性だと些末さまつな事に目くじらを立てる人間ほど、そんなことに気がいっているせいか成績が悪かったり研究の成果が出ていません。弱い人間ほど相手を攻撃するといういい見本です」とマルシリウスは折に触れ学生に話した。


 そしてレイチェルが(やや苦しそうな)男装をしてまで真摯に学問に取り組む姿もあってか、あからさまな差別や攻撃は収まっていった。もちろんその男装があまりにも魅力的だったのも否めないが。


 在学生から一目置かれるユリアヌスが友人になってからは、輪が広がって嫌がらせはほとんどなくなっていった。

 始めは対応に難儀していた大学側だったが、今後は女性用の施設も増設し希望者に門戸を開くことも考え始めたのはレイチェルにとって嬉しい出来事だった。

 新しい時代の風を感じていた。もう魔女だなんて言っている時代じゃない、科学の時代なのだ。




「え、船で南方へ行きたい?オレは誕生日プレゼントに何を欲しいか聞いたんだぞ」

「ロイがって言ったから。ダメならいいよ、なんか他のを考える」


 大学の講義が終わって休憩時間、ロイはレイチェルの来月の誕生日に欲しいものを聞いた。しかしあまりの予想外な返答にロイはひっくり返るかと思った。

 彼は宝飾品などをぼんやり思い描いていたが、よく考えたらレイチェルがそのようなものを欲しがるわけがないのだ。彼女の部屋に一度だけ入ったが、そういった類のものは全く見当たらなかった。


「ダメじゃねーけど、船乗りは女性が船に乗るのを嫌がるからな…ちょっと難しいぞ」


 ロイが思案顔で答えつつ、なんとか方法を考えていると、


「来月ちょうど南方へ行くから乗せてくよ」と後ろから声がかけられた。


「ポール!本当に?」とレイチェルがエメラルドグリーンの瞳をギラギラ輝かせながら飛び上がらんばかりに嬉しそうに言い、ロイは『いらねーこと言いやがって』と言わんばかりのもの凄く嫌そうな顔でポールを振り返った。


「おう、少人数船だし僕がいるから安心だろ?」

「やったー!!嬉しいっ」


 レイチェルが喜び飛び跳ねると、ロイが「ダメだ!」と言い始めた。


「は?なんでロイにダメって言われないといけないのか全然わかんないんだけど」とせっかくのチャンスに横槍を入れるロイにムッとしてレイチェルが聞いた。彼の要望を彼女が全く聞き入れる気がないのでロイもますます意固地になった。


「ダメなもんはダメだ!俺はおまえの…」

「何だよ」とポールがニヤニヤしながら茶々を入れた。


「保護者だからっ」


 レイチェルとポールが無言で目を見合わせて数秒してから大笑いした。ポールに至っては大きな身体を折って腹を抱えている。


「ぷっ…もう、ロイったら笑わせてるの?珍しくジョークなんて言って、ひょうが降るんじゃない?」

「ロイにしては面白い事言うじゃないか…」


 ロイが悔しさに手を痛いほど握りしめていると、ユリアヌスが寄ってきて「どうしたの?」と聞いた。ポールが面白おかしく説明すると案の定大笑いした。


「ロイ、大丈夫だよ。船旅といっても近いし、僕も一緒に行くことにするから。前からポールと話してて迷っていたけど、マルシリウス先生から勉強の為に行くように言われたとこ」


 ユリアヌスは目に笑い涙を貯め、酷くむっとしているロイに言った。彼は旗色が悪くて黙り込んでいる。

 もちろんユリアヌスもポールもロイがレイチェルを好きだから心配で行かせたくないと知っていて意地悪をしていた。地理学が好きなレイチェルが、そんなくだらない理由で行きたい所に行けないのは気の毒だと思うのだった。




「レイ様!ロイ様から聞きましたよ、船旅を計画していらっしゃるんですって?絶対ダメです、キキでもこればっかりは許しません。海の神々は女性を嫌うと言います、船が沈没したらどうするのですか?!若い女性が船に乗るなんて聞いたことがございませんよ」

「ど、どうしたの、急に…」


 帰宅したらキキがすごい剣幕でまくし立てたのでレイチェルはのけぞった。


(くそっ、ロイめ、手をまわしやがったな!やることが早いのが余計にムカつく…今日は家に寄って行かなかったわけだ)


 ロイは今日は用事があると言って先に帰ったのだが、ここに寄ってキキにチクったのだろう。


「キキ、落ち着いて。何言ってるの、科学の時代に。船と言ってもほんのすぐそこに行くだけだし、男装していくから海の神様も騙されてくれるって。それにね、私だって座学だけじゃなくて実際の世界を体験したいって思うのよ…ね、お願い」


 いつもならレイチェルの本気のお願いは聞き届けられるのだが、今回はダメだった。


「ダメです。どうしても行くならキキはこの家を出て行きますからねっ」


 冷たく言い放ったキキを前にレイチェルは絶望した。そしてそれがじわじわとロイへの怒りに代わっていった。


(えーーー?!まさかの伏兵は最強だよ!何を吹き込んだんた、ロイは…明日とっちめてやるっ!)




「ロイ、キキに何て言ったの?」


 レイチェルは講義の前にロイを見つけ、問答無用で詰問した。


「お、キキ殿から船旅を止められたか?効果てきめんだな、よしよし」とロイが満足そうに言ったので抑えていたレイチェルの怒りが爆発した。いや、もともと抑えていなかったが。


「よし、じゃないわよ!ロイといえども許せない。なんで邪魔をするの?」


 話しているうちに感情が高ぶってきてレイチェルの燃えるようなエメラルドグリーンの眼に涙がにじんだ。


「おいおい、泣くなよ。座れ、ほら」と子供をあやすようにレイチェルに座るよう促すのもムカついたので、立ったままで抗議した。


「キキを動かすなんてズルいよ。ロイを見損なった!」

「ま、まて、話を聞けって…」


 あまりの彼女の怒りに背筋がヒヤッとしながらも、ロイは今にも走り出しそうなレイチェルの手を掴んだ。


だ、放してっ。説得なんかされないんだからっ」


 かかった罠からのがれようとする動物のように彼女が必死で自分の手を剥がそうとしているのを目の前にして、彼は胸が苦しくなって手を離した。レイチェルがロイをギロっとにらんでから走り去る後ろ姿を見たら倒れそうになり、さっき彼女を座らせようとした椅子に崩れ落ちた。


「なんだよ…」


 結局彼女は自分の言う通りにすると高をくくっていた事に気が付いた。彼女は自分の事が好きだから、とうぬぼれていたのだ。

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