第10話 父からの手紙
「レイ様…あの…侯爵様からお手紙が…」
家に帰ってすぐにキキが青い顔でレイチェルに手紙を差し出した。挨拶もそこそこに、渡す方も受け取るほうも手が震えている。彼女は思わず手で乱暴に封を開けようとしたが、ロイが隣で眉間に
(そりゃそうだ、父親の手紙がもたらす異様な空気…普通じゃないもんな)
「ごめん、ロイ。今夜は…」
レイチェルは彼に帰ってもらおうとしたが、
「俺にかまうな。なんて書いてあるんだ?開けろ」とロイは押し切ろうと一歩前に進んだ。
キキも知りたそうな顔をしているが怖くて迷っていると、キキはゼンマイ仕掛けのおもちゃのようにぎくしゃくとレターナイフを持ってきてレイチェルに渡した。
(くそっ、キキはまだしもなんでロイの前で…
レイチェルはビリッと一気に封を開け、手紙を読んだ。
「っ…」
一瞬で読み終えたレイチェルはキキ以上に真っ青になり、無言で手紙を机に置いて2階の自分の部屋に上がっていった。明らかに良くない知らせの予感に、残された二人は目を見合わせる。手紙を残していった、ということは読んでいい、ということだと二人は解釈した。
「何だ…読むぞ?」
キキが頷く。
ロイはシンプルな封筒に入っていたこれまたシンプルな便箋を開いて読んだ。たった一枚に数行の文字列を見てロイの顔が歪んだ。
『レイチェル
嫁ぎ先が決まった。フォンテンブローの北を治めるエトルスク王国の王子だ。冬にはこちらに帰り準備するように。
フォンテンブロー』
ロイは手紙をぐしゃりと握り潰した。
最近エトルスク王国軍がフォンテンブロー領にちょっかいを出しており、国境で小競り合いが起こっているのは知っていた。それを穏便に解決するために侯爵がレイチェルを利用しようとしているのは明らかだ。そしてそれを彼女が望んでいないことも。
「…帰る」
「あっ…お構いも出来ず申し訳ありません」
酷く動揺しながらも頭を下げるキキに手だけで挨拶し、ロイは外に待たせてある馬車に足早に乗り込んだ。
「レイ様…」「レイチェル様…朝でございますよ、大学は…」
アランとキキが呼びかけても全く反応のない日が3日続いていた。もちろんご飯も食べていない。
「どうしましょう、アラン。レイ様が…」
「俺…今すぐにフォンテンブローに帰って侯爵を説得しに行くよ。何日でも何回でもお願いしたら聞いて下さるかも…」
「あの侯爵様は領民の平和の為なら何でもなさる方だよ?きっとこれはレイ様の義務だと思っていらっしゃるだろう。ううっ、レイ様、なんとおいたわしい…」
二人がレイチェルの部屋の前で困り果てていると、背後から声がかけられた。
「すまない、ベルを鳴らしたが出ないから勝手に入った。少しレイと話をさせてくれないか?」
ロイだった。
「も、もちろんでございます」
「ロイ様…」
心配でたまらない様子のアランにロイが自信ありげに笑いかけた。
「アラン、誇りある騎士団員がそんな顔をするもんじゃない、安心しろ。それより早く行かないと団長にどやされるぞ」
ロイの言葉から何かを感じとり、アランは打って変わって黒い瞳を輝かせた。
「はいっ、レイ様をお願いします」
アランとキキがホッとした表情で階下に消えてから、ロイはドア越しにレイチェルに声をかけた。
「おい、レイ…開けてくれ。俺だ」
しばらくしたら少しだけ扉が開いて、シンプルな部屋着を身に付けたやつれたレイチェルが隙間から顔を見せた。エメラルドグリーンの瞳は輝きを失い、いつもの生命力が全く感じられない。それがかえって
「ロイ様…みっともない格好で申し訳ありません。宜しければお入りください」
なげやりで情けない声を出すレイチェルに、彼は気持ちを切り替えて部屋に入った。彼女の部屋はシンプルで本だらけだった。まさに大学生の部屋、という感じだ。
「ロイでいい。なあ、いつものレイはどうしちまったんだ?もう大学に入ったんだから父親の言うことなんて無視すればいい」
「しかし扶養して頂いている父親からの命令です、そのようなわけにはまいりません。
(あの寒い場所は王宮でなく、北方のエトルスクの地下牢だったんだ…)
うつろな目をしているくせにきっぱりとそう言った彼女の肩をロイは掴んだ。
「おまえは何もせずに諦めるのか?誰かに頼んだりしないのか?」
「誰か…?頼れる人など…」と言ってから、ふいにニヤニヤし始めたロイの顔に気が付いた。
「ロイ様…、まさか何か手立てが?」
「ほらよ」
彼女がロイから受け取ったフォンテンブロー侯爵への手紙には、レイチェルは人質の為フォンテンブローに帰らせないと書いてあった。そして最後のサインは…
「これは…まさかルテティア国王…?」
「そうだ、王に頼んだ。もちろんお前がエトルスク王の息子とどうしても結婚したいってなら別だが…」
少し照れた表情でいじわるを言うロイにレイチェルは泣きながら抱き着いた。
「ロイ…ありがとう…私の居たい場所はここなんだ。ありがとう…本当に…」
そう言って、レイチェルは安心したのかロイにもたれかかったまま気を失った。
「おいおい、そんな結婚が嫌だったのかよ…」
「…うん、ハンストしても人間ってなかなか死ねないから困ってた…」
レイチェルは気が付いたらベッドに寝かせられていて、そばにはキキとロイが心配して顔を覗き込んでいたので驚いた。今はキキがレイチェルの為におかゆを作っていた。
(だって死ぬまで地下牢なんて絶対嫌!)
死ぬほど結婚が嫌だと聞いてロイは複雑な表情を浮かべて聞いた。
「…誰とでも嫌なのか?」
「………秘密」
(実はロイならまだ良かったのにと少しだけ思ったことは内緒にしておこう…知られたら絶対に「気持ちワリーな」とか言いそう!よく見ると顔もキライじゃないんだよなぁ、キリっとしてて。高慢なのがちょっと鼻につくけど、昔より慣れてきたし…いや、もしかして見慣れてきただけか?)
レイチェルが自分の顔をじっと見つめて何かを考え込んでいるようなので、ロイは気になって仕方なかった。
「おーまーえー、助けてやったんだから言えよ!」
「やだ」
「やだ、じゃねー!こらっ」
ロイがふざけて彼女の上に覆いかぶさったので、二人の顔の距離が
「おいおい、そんな…可愛いことすんじゃねーよ、らしくない…」
キキが出来上がったおじやを持って入ろうと部屋を覗くと、ロイはレイチェルの
(あらあら、これは…。
キキはゆっくり30を数えてから、おもむろにドアをノックした。いつもより少し強く。
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