第9話 学友

 レイチェルにとって王国立大学スコラ・パラティーナでの日々は幸せ以外の何物でもなかった。毎日が思考と発見、検討、再発見の連続で、時間が足りなく感じていた。


「レイ、君だけだよ。そんなに嬉しそうに講義を聴いてるのは」

「そう?ユリアンもポールも楽しそうだけど」


 入学して半年、レイチェルにも友人が出来た。

 一人は夢見るような灰色の瞳とプラチナブロンドの髪を持つユリアヌスだ。皆から親しみを込めてユリアンと呼ばれている。

 年齢はレイチェルの10歳上の26歳で、ロイとは正反対の落ち着いた理性的な男性だ。哲学的思索にと長時間ずっと動かないので、レイチェルが眠い時や考え事がある時は彼のそばにいることが多かった。

 見識の深い彼の意見は普通の人が考え付かないような角度から出ることが多く、刺激的な友人ができてレイチェルは幸運に感謝している。


 もう一人はロイの親族(つまりは王族だ)で、ポールという濃い茶色の瞳に茶色の髪の偉丈夫だ。ごつい軍人のような見かけとは裏腹に、遠方に任務で行く合間を縫って大学の講義を熱心に聴いている。

 レイチェルの8歳上の24歳の彼は、彼女と同じく地理学を偏愛している。今まで旅や任務で訪れた場所を地図で指し示し、自作のを見せながら、そこにどのような文化や風習を持つ民族がいるか楽しそうに教えてくれた。

 スケッチは彼自身が踏破し調査を行なった地域を何十枚にも及ぶ修正に修正を重ねた地図上に説明してあり、すでにスケッチなどと呼べる代物ではなかった。薬の原料の草木や、様々な鉱物が入手できる場所を列記するなど彼の深い科学的知識も伺える。

 地政学および社会学的知見についての概説は広く社会に知らしめる価値のあるものだと彼女は説得するのだが、ポールは自分の趣味で書いているといつも一蹴するのだ。きっと面倒臭いのだろう。仕方ないので彼女はせっせとそれを綺麗に写し書きしては大切に保管している。

 ごつい見た目の割には軽薄で、「女性を目の前にして誘わないのは失礼だ」と言いながらレイチェルに言い寄ってくる。社交辞令で誘っているのがわかっているので彼女はいつも笑って流していたが、ロイはポールがレイチェルのそばにいるといつも嫌そうに顔をしかめて間に割り込むのだっだ。

 ちなみに地理学好きが高じてか結婚はしていない。確かに王都にいつかない彼は結婚は向いてなさそうだ、とレイチェルでさえ思う。ユリアヌスもポールと同じく結婚していない。


「そうだね、楽しいけど苦しい。でも君はとても純粋に楽しそうだから羨ましいよ」とユリアヌスが言うので、


「まあ、若いから」とレイチェルは真剣に答えた。若くて知識がないから新鮮なのだとレイチェルは言ったつもりだったが、ポールは、


「こらこら、僕らを年寄みたいに言うのは止めてくれないか?失礼な」と言ってレイチェルの隣に座り、頭の頂きを拳で緩くグリグリした。


「痛いなぁ…」


 失礼な、と言いながらもポールもユリアヌスも笑っている。

 特にユリアヌスは辺境の地で育ち、小さいころに戦争で両親を亡くして孤児院で育ったせいか達観しており、誰も彼が怒った所を見たことがないくらい穏やかだ。


「ははは、ユリアンにそんな風に言うのはレイだけです」とマルシリウスが弾ける様に笑った。ユリアヌスは先生の秘蔵っ子と言われている。


「だって、ユリアンには言いやすいのです。ここにいると自分が女性だと忘れられます」

「ふうん、レイは女性であることが嫌なの?」とユリアヌスが灰色の優しい瞳に深い憐憫を宿しながら聞いた。


「…嫌ですね。出来るなら手術で男性器を付けたいくらいです」

「バーカ、絶対ダメだ!お前はそのままでいい。ポール、間に入れろ」


 ロイはポールの返事を待たずにレイチェルとの間に無理やり座った。ポールは呆れて横にいざいたが、レイチェルはいつも通りだ。


「ロイ、おはよ。今日は遅かったね、講義終わっちゃったよ」


 ロイは憮然としながら「おいおい、スルーかよ」とぼそりと言って、レイチェルの顔をじっと見た。きっと男になったレイチェルの顔を想像しているのだろう、とポールは推察したし、実際そうだった。


「ユリアン、こいつと話してるとおかしくならないか?」とロイはユリアヌスに照れ隠しに聞いた。男性になったレイチェルがやたら可愛いかったので恥ずかしいのだ。


「いや、彼女は男性と女性の存在の根本的意味を考えさせてくれますからね、貴重な存在です。それに美しくて賢い」

「やだ、ユリアン…そんなこと本人の前で言わないでって…」


(ユリアンは本気だから照れちゃうよ…)


 レイチェルが赤くなって向かいのユリアヌスの肩をバチンと叩くと隣のロイが膨れた。


「おいおい、俺だってそれくらい言える。レイ、おまえっ………最近焼けて真っ黒だな」

「ロイ、それ褒めてないよ」


 素直になれないロイにポールがニヤニヤしながらツッコんだので、ロイがぎろりと睨んだ。


「ああ、そういえば秋で涼しくなってきたし季節が良いので外での講義が多いもんね。ちょっとは私も男性に見えてきた?」とレイチェルが聞くと、


「うーーん、俺らは知ってるからな。なあ、ユリアン?」とポールはユリアヌスに振った。


「いえ、骨格が女性なので僕には女性にしか見えません」

「…骨が美しいってこと?」ときょとんとした様子でレイチェルが聞いたので男性3人が笑った。


「レイがいると華やかでいいですね。しかしロイ様、このユリアヌス、とぼけておりますがなかなかに得難い人材でございます。わたくしも若くございません、ぜひ後任として王宮でお取立て下さいませ」とマルシリウスは真剣にロイに進言した。


「俺もずっとそう思ってた。なあ、ユリアン、勉学にキリを着けて王宮に仕えないか?俺のそばにいて支えてくれ、おまえしか考えられない」


 ロイの言葉を聞いてレイチェルとポールは目を見合わせた。でもユリアヌスは飄々ひょうひょうとして答えた。


「うーん、ロイから愛の告白みたくそう言ってもらえるのは嬉しいけど、ちょっと考えさせて欲しいな。ここで学ぶべきことが多すぎるんだよね」


 灰色の瞳を自信なさげに揺らすユリアヌスの肩を、立ち上がったレイチェルが急にがしっと掴んだので周りは驚いた。


「ダメ!ユリアンは国を動かすのに適した優秀な人物なんだから、学問の場所だけに留まっていてはダメだ。ユリアンの誠実さと寛容さがこのルテティア王国の未来をいい方向に導くんだって!ロイのそばで助けてあげて、お願い!」


(ロイは高慢なところがあるから謙虚なユリアンがそばにいると丁度いいんだって。怒りっぽいからすぐに戦争とかになりそうだし、アランが戦地で死んだりしたら絶対ヤダ!しかしロイ自分に足りないものを知ってたんだ…ちょっと見直したな)


 ポールもそう思っていたようで、うんうんと頷いている。

 レイチェルが容赦なくぶんぶんユリアヌスを前後に揺らすので、


「おいおい、ユリアンが酔っちまう。おまえってば乱暴だな」とロイが文句を言って止めさせた。マルシリウスも、


「彼女が言うことは正しいですよ、ユリアン。誠実さは最も得難い大切な美徳です。あらゆる物事をごまかさない、あなたの誠実な性質はルテティア王国のためになるでしょう。象牙の塔にこもるのでなく、実践するのも大切です。壮大な哲学の実践の場です、なかなか出来ることではありません。この機会に私に付いて王宮に来なさい」と毅然として言ったので、ユリアヌスは参ったなとばかりにポリポリと頭を掻いた。




「レイ、いつからユリアンのことあんな風に思ってたんだよ?」


 ロイが大学から馬車で王宮に帰るのでいつもついでに乗せてもらっていた。2頭立ての立派な馬車だ。ポールも一緒に乗せて帰ればいいのに、といつもレイチェルは言うのだが、頑として乗せない。


(どうもポールに意地悪だな、こいつ)


「うーん、初めて会った時、かな。ユリアンってば私が女なのに普通に議論を吹っかけてきてさ…みんな私を無視してたからとても嬉しかったんだ。そういう人間に国を動かして欲しいと思う」

「そっか…おまえさ…ユリアンを好きなのか?」

「へ…?何言ってるの、ロイってば。大好きに決まってる。もちろんロイもポールも大好きな学友だ」


 ロイは馬車の座席からずり落ちそうになった。


「好きって、お、…男としてだぞ。どうなんだ?」

「男…?うーん、わかんないな。じゃあロイは私のこと女としてどうなの?」

「…す…っ」


 好きだ、という言葉を待たずにレイチェルが言葉をかぶせた。


「でしょ?学友だし男とか女とか関係ない」

「…そうだな」


 なんだかほっとしたようながっかりしたような気持ちで、ロイは馬車に揺られていた。向かいに座っているレイチェルが余りにも普通なので憎らしくなる。でももう少し一緒に居たかった。


「今夜も寄ってっていいか?」

「もちろん。キキもアランも喜ぶよ」


 家でも学問の話が出来るとあってレイチェルは満面の笑みで答えたが、その夜はそうはいかなかった。

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