第8話 変な命令

「フォンテンブロー侯爵家のレイチェル様ですね。16歳で王立学園を飛び級で卒業なさったとロイ様や学長から伺っております。お二人のたっての願いで、入学の許可を特別にさせて頂きました。歴史ある大学史でも女性が入学を許可された試しはありません。ひとえに貴女あなた様の真摯な努力と学問への情熱を周りが認めた、ということです。それを誇りに思って勉学に励みますよう」


 レイチェルが大学に着いてさっそく挨拶に行ったマルシリウスは、男装した彼女に恭しく頭を下げた。

 禿げ頭とその周りに生え散らかる白髪でさえ彼女には神々しく、彼から与えられた言葉を頭で反芻はんすうすると心も身体も激しく震えた。感激で涙がこぼれそうだったが、大学に来てすぐに泣くわけにはいかずぐっと我慢する。


(バカ者どもに『女泣いた』とか言われるのは絶対に嫌だ)


 マルシリウスは当代一の哲学者であり政治学者であった。その上、建築や治水などの土木工事にも精通している。

 ふと周りがざわざわしてるのをレイチェルは感じた。彼がこのように慇懃いんぎんな態度をとるような人間は数少ない。なんせ王宮に出入り自由の政治学者である、先王の時代から相談役を務めている彼にとっては現王さえも小童こわっぱだ。


「マルシリウス先生、そのような礼は不要です。ここではわたくしをレイとお呼び下さい。そして、他の生徒と同じように扱って頂けると大変助かります。年端もいかぬ未熟者でございますが、宜しくご指導お願い致します」


 燃えるようなエメラルドグリーンの目をしたレイチェルは、深々と男のように頭を下げた。輝く金色の髪は瞳と同じグリーンのリボンで後ろに一つ結びにしている。その彼女が男性の真似をすると怪しい魅力が場を支配した。男装の麗人とはまさにこのことだとマルシリウスは目を丸くし、


「なるほど…あのロイ様が執着するのもわかりますな」と小さく呟いた。




「おい、マルシリウス先生の講義はどうだった?」

「ロイ様…いらしたのですか?私っ…」


 レイチェルは新参者らしく末席で講義を熱心に聴いていた。いつの間にかロイが隣で授業を受けていたことさえ気がつかないくらいに集中して。

 彼女は講義が終わった直後に急に話しかけられてびくっとし、少しぼんやりしてから現実に戻った。そして感極まってロイの両腕をぎゅうぎゅう掴んだので、彼は首まで赤くなった。彼女が握りこぶしひとつ分のすぐそばにいて自分に触れていると思うと身体がカアっと燃えるように熱くなる。彼は刺激に耐え切れずに小さく叫んだ。


「な、なんだあっ?」

「深く深く…感動致しました!マルシリウス先生の講義がこれほどとは…初めて世界というものを感じられた気がします。何か新しいものに触れて包まれる、そんな感動が身体を支配して…私、生きていて良かったです!明日牢獄に入れられて死ぬとわかっていても、今日の授業を思い返せば幸せでしょう…」


 感極まり涙目になった彼女の言葉を聞いてロイが飛び上がった。


「なんてバカなこと言ってんだ、まだ大学一日目じゃねーか!大体、おまえを牢に入れられる人間などこの国にはいないぞ。俺が認めん」


 憮然ぶぜんとしてコメントするロイがあまりに面白くて彼女は弾けるように笑った。


「ロイ様は本当に怖いものなしでいらっしゃる…では牢に入れられた時は頼りにしておりますね」

「おう、どれだけでも頼りにしていいぞ…なあ、おまえがそんな風に笑うとこ初めて見た」


 じっとロイに見られてレイチェルははっとした。思わず我を忘れて子供のように笑ってしまっていた。


「これは大変失礼致しました…」


 レイチェルが慌てて真顔になって謝ると、ロイはふいと横を向いて「いい」と言った。


(怒ってるのか?意味がわからん…)


「はいっ?」

「おまえがそうやって笑うのが、いい。だから、身分を気にするなってことだ。ここでは学友だしな」

「はあ…?承知しました、ロイ様」

「俺はこれからレイと呼ぶ。だから、おまえはロイと呼べ。あと、敬語を止めて普通に話せ」

「えっ…それは…」


(さすがにそれは…ちょっと)


 果てしなく困った顔をしたレイチェルに、ロイが命令した。


「俺だって友人が欲しい。命令だ」

「はあ…変な命令ですが、わかりました。あなたは私の救世主ですからね」

「救世主…?なに言ってんだ、おまえは。相変わらず変な奴っ…ぷははっ」


 教室の最後部でロイが芯から楽しそうに笑うのを見て、マルシリウスは目を見張った。


「あの気難しいロイ様が…やはり学長の言う通りのようだな。王にも報告しておこう…しかし、ロイ様、あの男装の女性との恋はきっと一筋縄ではいきませぬぞ。あなた様がどうなさるのか、マルシリウスが見極めさせて頂きましょう」


 彼は教え子の初めての恋を応援しているふりをしていたが、間違いなく楽しんでいた。

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