第7話 社交辞令
レイチェルとロイが大学で受けたい講義の話で盛り上がっていたら、あっという間に夕方になっていた。
机の上には彼女が王都の4年で集めた文献だらけになっている。最近はロイに港に連れて行ってもらった影響で地理学にはまっていた。世界は広く、まだ地図に載っていなかった島が追加で記載されたとあるだけで心臓の音がトクトクと早くなるのだ。
ロイの胸は違う意味で熱くなっていた。本当に大学に行きたいが、女性は入れないから講義の文献だけでも読みたいという彼女の学問への欲求に感動した。すなわち、彼女という美しい存在のありようにぎゅいっと心臓を
「すまない、遅くまで女性の家にいるなどマナー違反だな」と慌ててロイは腰を浮かせた。窓の外は少し
「いえ、大丈夫でございます。もうすぐキキの息子もこちらに帰って参りますので、お口汚しかもしれませぬがご一緒に夕食などいかがでしょう?」とレイチェルは礼儀上誘った。もちろん社交辞令だ。なんせ見える場所でキキが夕飯の用意をしていい匂いをさせているのだから誘わないわけにはいかない。
「そちらの女性の…息子と一緒に住んでいるのか?」と急に顔色が悪くなったロイは、レイチェルのお誘いに返答するわけでなくアランのことに言及した。レイチェルは少しいぶかしみつつも、
「はい、私とは乳兄妹となります。私はキキに…」と答えながら自分にぎょっとした。
(はっ、ヤバっ!『生まれてすぐに預けられ大切に育ててもらった』なんて言おうとしてたよ…なぜだろうか、ロイを前にするとなぜか本心を話しちゃうな。気を付けないと…)
「育てて頂いたのです。家庭教師も彼女です。私にとっては実の父母以上のありがたい存在でございます」
レイチェルの説明を聞いたロイは機嫌が戻ったようで、
「そうか…キキ殿、よくもまあこのような
(どういう意味だ!なんか珍獣を頑張って育てたみたいに聞こえるし…ムカつくな…)
真面目なキキはロイのそばに来て、涙ぐみながら頭を下げた。そしてレイチェルを
「もう、レイ様ったらこんな高貴なお客様の前で老女を
「老女だなんて!やめてよ、キキってばまだ若いのに!」
「だってお嬢様ったら結婚しないとか大学とか…お育てした
「その点は大丈夫だ、キキ殿。俺が彼女の面倒を見る」
「は…?」
キキは目が点になった。今までレイチェルを嫁に迎えたいという申し出が大量にフォンテンブローにいるレイチェルの父に届いているが、すべて断っていると聞いていたので気をもんでいたのだ。
「そ、それは…どのような…」とキキが期待を込めて恐る恐る尋ねると、
「大学で一生を学問に捧げる、とロイ様に申し上げてあります。それを王族として支えて下さる、という意味ですわ」とレイチェルが嬉しそうに割り込んで答えた。
「お、俺は…」とあたふたするロイに向かって、キキが感動して言い放った。
「まあ!さすが高貴なお方は違うのですね…お嬢様のこと、宜しくお願い致します。侯爵様は頼りにならず、ロイ様だけが希望の光でございます…」
今にも泣き出しそうなキキにレイチェルは抱き着いた。
(私の出生のせいでキキに心労をかけてきた…でもこれでやっと安心させられるだろう。今度は私がキキを守る!)
「キキ、今までたくさんの気苦労をかけてしまい申し訳ありませんでした。これからはロイ様のお導きで学問の道を究めるので、安心して下さい。キキのように家庭教師などで一人立ちすればお父様にもこれ以上ご迷惑をかけることもないでしょう」
「レイ様…なんとおいたわしい…そのようなことを言わないで下さいませ。キキはお嬢様に誰もが羨む素晴らしい結婚をして頂き、見返してやりたいのですよ」
(な、なんじゃそりゃ…
「キキこそ結婚とか今後言わないで頂戴、これは私が本当に望む道なのです。ロイ様、私は必ずや立派な学者になり、微力ながらルテティア王国とロイ様の為に尽くす所存でございます」
そう言ったレイチェルはロイの前でふわりと優雅この上なく最上級の礼をしたので、ロイは言いたいことを飲み込んで顔を赤くした。
(くくく、友達の言う通り万が一だが私を狙っていたとしても、これでプライドの高いロイはヘンなことを言い出せないだろう)
レイチェルはロイとキキの気も知らずに密かに口角をあげていた。
「ではありがたくご馳走になろう」
ロイが夕食の誘いに乗ったのでレイチェルはエメラルドグリーンの目を一瞬真ん丸くした。つまりはとても驚いた。
(おいおい、社交辞令だっつーのがわからないの?ったく、いいとこのボンボンが…しかし、しょぼい部屋だって言ってたから断ると思ってたのに意外だな。王族様は庶民の暮らしが気になるのだろうか?わからん…)
キキとアランも一緒の席で食べると脅したら心変わりするかと思ったが、ロイは一瞬ひるんだものの承諾して大人しく座って食べ始めた。レイチェルにとっては彼らは使用人ではなく家族なのだが、ロイのような王族は身分が低いものと食事を共にするなどあり得ない事なのだ。
もちろんキキの料理は世界一なので、ロイは平穏を装いながらも美味しさのあまり口数が減っているのをレイチェルは見逃さなかった。
「ただいま帰りました」
「お帰りなさい、アラン」「お疲れ様だったわね」
いつも通りきびきびと帰って来たアランは、珍しく訪問客がいてその上食事をしているので驚いた。
「お客人がいらっしゃったのですね、失礼致しました。
アランは高貴な人にするように、召し使いの服を着たロイに敬礼した。場の雰囲気でロイが高貴な身分だとわかっているようだ。ルテティア王国は厳正な身分社会なのだ。
「アラン、私の学友のロイ様です。私に目をかけて下さり、大学の入学許可証を手配して下さった恩人です」
レイチェルは、目で(ほら、あの男装したときの…)と訴えると、勘のいいアランは直ぐに気づいた。なんせ学園の4年間でレイチェルに粉をかける勇気がある男は彼しかいなかったのだ。
「お嬢様が大変お世話になり、ありがたく存じます。たくさんご迷惑をおかけしているのでしょう」
「いやいや、ははは」とロイは曖昧に笑った。
(なにが、ははは、だよ!否定せんのかい!!お前のが迷惑かけてるっつーの)
ロイがレイチェルとの学園生活についてアランとキキに面白おかしく話しながら夕食をとっていたが、話が途切れた時にアランが尋ねた。
「…もしやロイ様は国王様に近しいのではありませんか?お顔が似ておりますれば」
王には子供が2人しかいないので、王宮から出すことなく大事に育てていると聞いたことがある。キキの情報によると、王には正妃との間に息子一人と、身分の低い女性との間の娘が一人いるそうだ。
(顔が似てる…近い親族ということは、こいつは王の兄弟の息子ってとこか)
「王を知っておるのか?そうか、そのなりは騎士団の…」
「そうでございます。この春に入団致しました」
「アランの父、つまりキキの夫も騎士団に在籍しておりました。アランが産まれる直前に戦争で亡くなりましたが…」とレイチェルが説明した。
(アランの出世に繋がればラッキーだし、ロイにアランとキキの苦労をアピールしとこう。こいつら王族は自分が死なないからって簡単に戦争をおっぱじめそうだからな)
「そうであったか…」
ロイはしばらくじっと考えてから、アランに言った。しかしそれはまがうことなき命令に聞こえた。それもとても自然に。
「アラン殿、レイチェルが大学に通うとなると女の身では心配なのだ。騎士団長には話しておくから、できるだけ護衛を頼めまいか?」
それを聞いてアランはロイへの警戒を完全に解いたようだった。
「…はっ、それは願ったりでございます!私からも是非お願い致します。私のことはアランとお呼びください」
「わかった。アラン、任せたぞ。では
キキはそれを聞いてますますロイのファンになっていた。そしてなぜかアランもだった。
(なんだ、あいつ…アランもキキも
レイチェルはロイが帰った後、自分の部屋をぐるぐる歩き回って考えていた。アランはロイを王宮に送って行った。
(居心地がいいからまた来るなんて帰り際に言っていたけど…王族に関わり過ぎるのは怖いな)
レイチェルの頭からは、地下牢で少しずつしわしわになって弱っていく未来の自分の姿がどうしても離れないのだ。
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