第6話 贈り物

 冬も終わり、春が近づいていた。

 学園を次席で卒業したレイチェルは、念願の一人暮らしを始めていた。いや、厳密に言うとキキを呼び寄せ、時々帰ってくるアランとの3人暮らしだ。以前と同じ満ち足りた生活に見えたが、レイチェルは父からの手紙に密かに怯えていた。なんせ、16歳から18歳は女性の結婚適齢期ど真ん中だ。


(まさかルテティアの王子と結婚なんて言われたら…いや、あの父の事だ、万が一話が来ても不吉な魔女の子孫と次の王を結婚なんてさせられないからうまく話をかわしていることだろう)


 しかしそんな手紙は来ず、春が来てアランが無事騎士団に入った矢先に王国立大学スコラ・パラティーナからレイチェルあてに入学許可証が届いた。



「へっ…?イタズラ…じゃないよね」


 封筒を裏返すと、そこに実にそっけないロイのサインがあった。


(ロイだ…卒業式で何も言ってなかったけど、これってジョーク…?それならたちが悪すぎる)


 港を訪れて以来、なんとなく二人の間には秘密を共有する空気が生まれていた。ロイの意地悪は減って二人で話すことが増えた。実際彼はなんでもよく知っていたし、知的好奇心が強いので一緒に居ると刺激的で楽しい。尊大な態度だけは辟易へきえきだったが。

 しかし卒業式では大学の話なんて一切出てこずに、ただ、「じゃあな」と彼は言って去っていった。レイチェルが拍子抜けするほどに淡々と。


 レイチェルはすぐに階下に降りて行き、台所で夕食の仕込みをするキキに尋ねた。キキは昔王都で家庭教師を生業にしていた職業婦人なので知識が豊富だ。


「キキ、女性が大学に入るのはいつ可能になったのかしら?」

 

 キキはレイチェルの質問に驚いた。


「レイ様、今さら何をおっしゃってるのですか、無理に決まっております。この大耳のキキでさえ聞いたことがございませんよ」

「…」


(だよな…各国から優秀な人材を集めて先生にしていると聞く。女性は家庭に入って一生を終えることがほとんどだし、男性に比べて識字率も低い。大学で勉強するなんて想定外だろう)


「キキ、ちょっと出かけてきます」




 馬車に乗ってやってきたのはレイチェルが最近まで通っていた王立学園であった。相変わらず威圧的で立派な建物だ。

 春なので庭にはマグノリアや山吹などが咲き誇っている。校内には新入生らしき初々しい子供だちがたくさんいてレイチェルは懐かしくなり思わず顔がほころんだ。


(はしゃいじゃって…無邪気でいいよな、ガキんちょは)


 案内の事務員に促されて学長室に入る。相変わらずシックでかつゴージャスな部屋の大きな椅子に学長は座っていた。小太りの彼は女性のレイチェルを飛び級で卒業させてくれた恩人だった。卒業したばかりなのに彼の豊かな口ひげがもう懐かしい。


「お久しぶりでございます、学長先生」


 彼女は優雅にお辞儀をした。

 おさげかひっつめあみだった髪は、ふわりと下に下ろしている。衣服は生地はいいものを使ってはいるが侯爵の娘とは思えないくらい簡素だった。ネックレスもブレスレットもしないが、金色の髪と山奥で思いかけず発見した湖のようなエメラルドグリーンの目で装飾はお釣りがくる。


「おお、レイチェル様、お久しぶりでございます。ますますお美しくなられましたな…。さて学園創立以来の才媛がどのようなご用事でしょうか」

「そのような…万年2位でございましたし…」

「ああ、ロイ様はご血筋の責任もありますので別格でございます」と学長は答えた。


(別格?血筋の責任、ってことはやはり王族ってことか…)


 怪訝な表情のレイチェルにしまったと思ったようだ。


「レイチェル様はご存じかと…」

「何をでしょうか?」

「お仲が宜しいので、てっきり…」


 やはり学長は二人が恋人だと勘違いしているようだ。何かを知っているようなので、レイチェルはうまいこと聞き出してやろうと当初の計画通り彼が口を滑らせるよう巧みな会話を仕掛けた。




「くっそー、何してくれんのよっ!冗談じゃないって!!」


(学長のやつ、王宮に私を次期国王の后に推薦した、だと!あのデブヒゲ、しれっとそんなことチクリやがって…おめーはふんぞり返って吞気のんきしてりゃぁいいけど、こちとら命がかかってるってのっ!なんで当人に一言も聞かずにそういうことしてくれちゃうかな…)


 学園から帰ってきて部屋でレイチェルがもんどりうっていると、キキが部屋に呼びに来た。


「レイ様、お客様でございます。貴族の召使のようなお召し物で、でもとても方です…ロイ様と名乗っておられますが…」

「ロイ様ですって?すぐに参りますとお返事して頂戴」


 えらっそうでロイといえば彼しかいない。タイムリーな彼の来訪にレイチェルは一気に目が覚めた。




「なかなか質素な部屋で暮らしているのだな。フォンテンブロー侯爵もシワい男だ。いや、目立つのを嫌うあの男らしいか。しかしこれはあまりに酷いので俺が大学に近い良い部屋を用意しよう。服も流行りのモノを着ないのか?ないなら用意させよう」


 1か月ぶりに見る彼は興味深そうに部屋を見て回りながらそう言った。

 少し肌が焼けた彼は、ぐるりと部屋を見学してから偉そうにいたずらな視線を遠慮なくレイチェルに向けた。召使いの衣装が尊大な中身に全く似合っていない。

 もともと簡素な部屋なので見るべきものはない。フォンテンブローから持ってきたものもあまりない。あるのは大きな本棚に詰まった本だけだ。この一か月、暇で仕方なかったので地理学と天文学の本ばかり集めて読んでいたらいっぱいになってしまったのだ。服はキキが素材のいい生地で作ってくれる少しで目立たないデザインが気に入っていた。


(相変わらずだな…なんでジロジロと私を見るんだ?それにしても父がケチだって王宮でも知られてるなんて笑える…)


「住み心地がいいので、ここで充分でございます。服も着心地がいいのでこれで充分でございますれば…あの、ロイ様、どういうことか教えて頂けませんか?」

「ははっ、もう俺の事…」

「国王陛下の近い親族でいらっしゃるとか。学長様からお聞きしました」

「へ?あ、ああ、そうだ…おまえを2度も泣かせたからな、お詫びに大学入学の願いを叶えてやった。どうだ、嬉しいか?」

「…はい、嬉しいです、本当にありがとうございます。さっそく来週より大学に通わせて頂きます」


 嬉しいのは本当で、レイチェルはエメラルドグリーンの目をギラギラ輝かせた。憧れの大学で勉強ができるのだ。

 ロイはそんな彼女を満足そうに眺めた。


「お、やる気だな。学長と一緒になって無理を大学に言った甲斐があるぞ。先生の一人が俺の家庭教師だから、まずはそこを訪ねろ。哲学講師のマルシリウス先生はきっとおまえと気が合うだろう」

「ロイ様…何から何までありがとうございます、わたくしあなたを誤解しておりました。私を狙っているとの友人の言葉を少々真に受けてしまい、本当に申し訳ありません。しかし2度も泣かされた覚えはございませんが?」


 レイチェルは深く深く頭を下げた。長い金髪がはらりと床に付きそうになり、ロイは見とれた。やっと念願の彼女が髪を下ろしたところを見られて目が離せない。彼はレイチェルに気が付かれないようこっそり見ているつもりだが、実際はレイチェルとキキが不審に思うほどじろじろ見ていた。


(勉強が毎日出来るなんて夢みたいだ!それに大学に入ったなら並大抵の男性では私を妻にしようとは思わないだろう。自由が手に入るっつーのは腹が立つが、命には代えられない)


「おまえ、直球だな。下心などあるわけ…まあ、女の身で大学に行くからには覚悟しろよ。何しろ前例がない。嫌がらせやいたずらがあるやも…」

「そんなの大丈夫ですっ!」と勢いよくレイチェルが言ってロイに詰め寄ったので、彼はびくりとして固まった。もう5センチも動けば彼女の胸が彼に触れる距離だ。

 キキがレイチェルを目をいて睨んだので彼女は飛びのいた。


「っ、申し訳ありません、興奮してしまい、つい…」

「いいさ、俺はお前のそんなとこが気に入ってる。俺も父の仕事を継ぐまでは比較的自由だからな、大学にもできる限り通うつもりだ。宜しくな」

「はい、私こそ宜しくお願い致します」


 レイチェルは冗談でなく本当に大学で学べるとわかって、街を全力疾走したいくらい気分が高揚していた。ロイはといえば、嬉しさで顔を火照ほてらせる彼女を見るとどうしてもニヤニヤが止められないのだった。

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