第5話 デイト
「おいおい!どうしたんだよ、その恰好」
「…ロイ様」
レイチェルはアランを見送ってから、ロイが迎えに来るという時間に寮の前でぼんやり待っていた。通り過ぎる人が彼女をじろじろ見ていくが全く気にならない。
彼女は今までずっとアランが一緒にいてくれたから寂しくなかったのだとぼんやり考えていた。つまりは急に一人になって心細かった。
(そうだ…アランもいつかは結婚してそばにはいなくなるんだよな…キキはどうするのだろう…やはり私から離れてアランと一緒に住むのだろうか?)
前向きな彼女が珍しくウエットになっていたら、けげんな顔のロイが目の前にいた。
「ロイ様、じゃねーよ。なんで男の服を着ているんだ?おまえの髪を
後半は小さな声でぼそぼそとロイが文句を言った。
レイチェルは彼が引いた様子に見えたので作戦は成功したと喜んでいた。
しかし実際は全く引いておらず、アランの予想通り彼女の倒錯的なパンツスタイルときつそうにしている胸にドキドキしているのを一生懸命隠そうとして目を逸らしていた。これで彼女が髪を下ろしていたら平静を保てずに帰っていただろう。
「えっと、その…殿方と出歩いていたと父に知られるのが厄介ですので…」
「…ふうん。まあいい、行くぞ」
ロイはいつもと同じ尊大な態度だったが、制服でなく貴族の召使のような恰好をしていたのでレイチェルは驚いていた。男装のレイチェルと彼が並んでいると否応なく目立つ。
(え、引いてない…?アラン、作戦失敗だよっ!)
「ど、どこに…行くのでしょうか?それにロイ様こそその恰好は…」
「ああ、黙って抜け出してきたからな。さ、行くぞ」
「ひゃっ」
ロイはレイチェルの手首を握ってぐいぐい引っ張りながら迷いなく歩き出した。
「…」「…」
二人は無言で並んでどんどん歩いていく。デートというより行軍だ。
子供がボール遊びをしたり恋人が語らう憩いの噴水の広場を通り抜け、にぎやかな商店街を歩き、彼らが通う宮殿のような学園の前を過ぎた。
(…どこまで歩くのだろうか、こいつ何がしたいのかよくわからない。まさか人さらいに引き渡されたりなんかしないだろうな…でもお金に困ってるようには見えないし)
そんなレイチェルの心配をよそに、とうとう都市の端にある港に出た。
「海だ…」
彼女は港に来るのは初めてだった。アランはいろんな人がいて危ないからと言って連れて来てくれない。
見ていると次々と船が入港し、違う船が出て行く。順番待ちをしているのだろう、沖でも船が間隔をあけて並んでいる。見ていると早送りの紙芝居みたいで、面白くて寒さも全然気にならなかった。
(船の出入りが多い、国力が増すわけだな。それにしても奴隷を載せた船がどんどん入港するのはどういうことだろう…どこから連れてこられたのか…そもそも奴隷ってなんなんだ…?私は知らないことが多すぎる)
レイチェルがじっと港の様子を観察して考え込んでいると、ロイがどこかから飲み物とサンドイッチを買って来て彼女に渡した。彼はなぜかニヤニヤしている。
彼女は訳が分からないがお腹がすいていたので「どうもありがとうございます」とお礼を言って口を付けた。
(美味しっ!)
海老やサーモンなど海の幸とチーズとハーブが入っているサンドイッチと、今王都で流行中のミルクティーだ。レイチェルはそのスパイスが効いた甘いミルクティーが大好きだった。
ふいにロイは彼女を覗き込んで、薄茶色の瞳をいたずらに輝かせた。ふわりと栗色の髪からいい匂いがしてハッとした。
(なんかこんなやつに『いい匂い』って感じたのが悔しい…)
「なあ、さっき何か真剣に考えてたんだろ。国の事とかか?」
「ぶっ…、なな、何おっしゃってるんですか?そんなこと女の私が考える訳がないです…」
図星の指摘を受けて言い訳をするレイチェルの頬をロイはぐいっと大きな片手で挟み、彼女のタコのようになった顔を見ていたずらっ子のように笑った。彼女は驚いて固まっている。男性にこのように触られたことがなかった。
「誤魔化すな、ここは学園じゃないからいーだろ?俺達はもうすぐ卒業するんだぜ、今だけ本当のことを教えてくれよ。おまえってば俺に負けっぱなしだったしな、罰ゲームの一環だ」
ロイは薄茶色の目を輝かせて彼女に尋ね、暖かい手を離して彼女の言葉を待った。
「…今日だけですよ、独り言だと思って聞いて下さい。ルテティア王国が潤っているのは港から出入国する船が多い、つまりは海洋貿易が盛んだからだなと。でもその中に子供をたくさん乗せた奴隷船があるのが気になる。いったいどこから来るのか、空になった船に何を載せて帰っていくのか。何を渡したら親は子供を手放すのか、自分や家の為なら子供を売り払うのか…っと、すいません、女の身で出過ぎたことを申し上げ失礼致しました」
「謝るな、続けろ。じゃあ学園のことをどう思ってる?」とロイが促したので、レイチェルは驚いた。
(な、なんでそんなこと聞きたいのか…よくわからん)
「…本当のこと、でございますか?」
なぜかロイには本当に思っていることを伝えて反応をみたい気持ちが生まれていた。アランには言えないことでも彼にならわかってもらえる気がした。
「そうだ」と真剣な顔でロイが言うのでレイチェルはため息をついて言った。
「…こんなボンクラばっかではこの国の見通しは暗いな、と…」
「……」
しばらく沈黙が続いてから、ロイは大声で笑い出した。全く止まる気配がない。よく見ると涙ぐんでいる。
「ひひ…はあっ、笑い過ぎて苦しいぞ。やっぱおまえって面白いのな、思った通りだ」
(なんだそれ、思った通りって。でも正直に言い過ぎたな、忘れてたけどこいつってば王族だった…)
「なんて、全部嘘でございます。…
いきなり襲ってきた死への恐怖でレイチェルは内心かなり焦りながらも、優雅にふわりと立ち上がった。
「おい、待て。ぷぷっ、おまえ真顔でそんなこと学園で考えてんだ。なあ、待てって」
レイチェルは速足で来た道を戻った。冷や汗が背を伝う。
(やっべ、どうしちゃったんだ、私。こんな王族野郎に言って…)
「お前歩くの早いよ。良家の子女とは思えないな、未来の国母様」
レイチェルは立ち止まって振り返った。顔がひきつる。
(まただ!なんでっ…?)
「な、国母って…」
「なんでそんな青い顔してんだよ、普通喜ぶとこだろ。学園の先生も生徒もみんな噂してる。まさか知らないのか?頭脳明晰で美しいおまえは次の国王の后に相応しいって。俺も皆と違う意味で相応しいと思うよ」
彼はニヤニヤしながら言った。
「うっ…」
もうどこから突っ込んでいいかわからなかった。
「何だよ、嫌なのか?」
ロイは急に心配そうな表情になってレイチェルの腕を掴んで聞いた。
(なんでそんな顔をする…?どうしてみな勝手に私をそんな風に見るんだ?国母なんてなりたくないし!)
「…私は大学に行って一生を学問に捧げる学者になりたい。大学に行けなくても在野でいいのでずっと勉強していたい。誰の后にも妻にもなりたくない」
レイチェルは今にも涙がこぼれそうだったが、ロイに見られるのが嫌で必死で我慢した。
(嫌だ、こんなやつに涙なんて見せたくない。弱みを握られたらまた後日何を言われるか…)
「…ばーか、男しか大学にいけねーよ」と言って、ロイはレイチェルの頭を帽子の上から不器用に撫でた。
「今日みたく男装して潜り込みます…ダメでしょうか?」
「…しゃーねーな、俺が認めさせてやる」
レイチェルは冗談だとわかっていたけど、とうとう泣いてしまった。本当の自分の望みを誰かに言うのは初めてのことだ。
彼は泣き止むまで彼女の頭を撫でていた。
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