第4話 猫かぶりの侯爵令嬢はあがきたい
「よ、宜しいのですか?」
レイチェルはあまりの
「ええ、学長様からのお達しですから…」
(そ、そんなぁ、期待してたのに…口ひげの学長め、私は王族なんかと関わりたくないっての!そうだ…)
「アニェス様からなんとかお断りして頂けませんでしょうか?
レイチェルが涙目でお願いすると案の定アニェスは感心しつつも同情した。
「まぁ!さすがレイチェル様はこの寮きっての淑女でございます。皆が殿方と出歩きたくて仕方ないというのに…!
申し訳なさそうなアニェスに、レイチェルはダメもとで泣きまねをしながら押してみた。
「そんな…その方、
ロイに
「まぁ!フォンテンブロー侯爵様の一人娘を叩く?まぁ、なんと無礼な!…しかし、学長様のあの口調では大層力のある家のご子息のようです。『絶対に行かせるように』と命令されておりますれば、今回は諦めて行ってらっしゃいませ。存外楽しいかも知れませぬ…」とレイチェルに
(くっそー、ババアッ、長いものに巻かれやがって!いつもガミガミ言ってるくせに使えねーな、私の命がかかってるのに!)
レイチェルが心で毒付くと、その声が聞こえたかのように、
「今回の罪滅ぼしです、今後はレイチェル様の外出は大目に見ることに致しますわ」と優しい声音で言った。
(え、マジか?やったぁ!これで大手を振ってアランと街歩きが出来るじゃん!!)
しかしレイチェルは慎重に嬉しさを顔には出さず、
「いえ、あと半年で卒業でございます。
「レイチェル様ほど学業優秀で、美しく、かつ高潔な女性にお会いしたことがございません。今まで女性で飛び級などされた寮生はおりませんでした。私の誇りです。貴女ならば国母に相応しいとの評判を学長様より聞いておりますよ」
得意げにアニェスが言った最後の部分のせいで、レイチェルは心臓が跳ねて呼吸が上手くできず苦しくなり、ガクッと床に両手を付いてしまった。
(なっ?こ、国母って…王様の母親?ってことは正妃にならないとなれないやつ…それこそ政変なんかで牢獄暮らしまっしぐらじゃん、絶対ヤダよ!私は絶対に平穏に生き抜くと6歳の時に決めたんだ!あの予知夢が実現する可能性はすべて排除しなければ…)
「レイチェル…様?」
レイチェルはアニェスに声をかけられて現実に戻った。そして訴えた。学長に伝えて欲しいという期待を込めて。
「国母なぞ
(権力から逃れるには象牙の塔にすがるに限る…別に本当に学者になれなくても毎日好きな勉強をして生きていれさえすればいいんだから!)
「まぁ…なんと謙虚な。もうあなた様には言葉もありませぬ。そうですわ、良い提案があります。お出かけの際にその殿方に嫌われれば宜しいのです」
「まぁ!さすがアニェス様、とてもいい考えですわ!で、
レイチェルはロイの嫌そうな顔を思い浮かべてそれがいいと確信した。しかし、彼はレイチェルが何か言い返すたびに不味いものを食べた時のような顔をしてる気がする。そう思うと、なぜ自分が誘われたのか不思議でたまらない。
(まさか気に入らないからボコられるとか?いやいや、さすがにいいとこのお坊ちゃんだし目障りだから殴るとかはないと思うが、一応気を付けたほうがいいな…)
「そうですね…」
「…」
アニェスからの返事の続きはいくら待ってもなかった。二人共男性と親しく付き合った事などないのだ。
「なんで
「アランしか頼れる男性がいないの。何をしたら嫌いになってもらえるのか、教えてくれない?」
レイチェルは様子を見に来たアランに前のめりで詰め寄った。勝手に国母などと期待されては困る。生い立ちが呪われていようと、目立たず平穏に生きて生きて生き抜くと決めていた。
「うっ…レイ様、
気が付いたらアランの胸にぐいぐい手を押し当てて圧迫していた。
「あら。ごめんなさい、つい興奮してしまいました」
「い、いえ…」
アランは真っ赤になって上を向いた。それを見てレイチェルが、
「もしや、距離が近いと嫌われるのかしら?」と細い指を
「いや、それはきっと逆効果でございますれば…そうですね、乱暴なところをその殿方にお見せしたらいかがでしょうか?」
「乱暴…それは困ります。学友にバレ…いえ、悪い噂が立つとお父様にご迷惑がかかりますし」
(確かに、今まで何度もロイをぶっ叩いてやろうかと思ったが…本当にしたら大変なことになる。ロイの家は力を持ってるようだし、下手したら捕まるかも…)
侯爵である父は絶対に頼りにならないだろう、そう思って彼女がため息をつくと、
「そうですか…ではレイ様の意地悪な部分をお見せしたらいかがでしょうか」とアランがおずおずと提案した。
(ギクッ、なんでアランは私が意地悪だって知ってる?)
「い、意地悪、ですか?」
「そうですよ。レイ様って昔はとてもやんちゃでとても意地悪だったじゃあないですか。母や動物、おもちゃを取り合って私は何度泣かされたことか…」と懐かしそうに切れ長の目を細めた。
レイチェルは驚いて赤くなった。
(やだ、覚えてたんだ!ぼんやりのアランだから忘れてくれてるとばかり…)
「うっ…アラン、そこはあまり触れないで…」
(黒歴史だよっ)
あまりにレイチェルが恥ずかしそうに言ったので、アランまで赤くなった。
レイチェルは6才の誕生日に自分の出生の説明をキキに望み、それを聞いてから変わった。でもアランは16歳の今も彼女の根っこは変わっていないと考えていた。
意地悪で少し乱暴な女の子、それが彼のレイチェルだった。
「そうですね…」
(乱暴で意地悪なのは私だけのレイ様にしておきましょう)
しばらくアランは考えてから、ある提案をした。
「どうですか、だらしなく見えますか?」
早朝、レイチェルは町外れの門までアランの里帰りの見送りに来ていた。4年前にここからブルクの街に入ってきた。
朝もやが山から下りてきて石畳がしっとり濡れ、いつも混雑する通りは人がまばらだ。
彼女はなんと男装していた。アランの12歳の時に王都に来た時の服が彼女にぴったりだった。16歳の今は背が高くなり、体も分厚くなって着れないのでレイチェルに譲ったのだ。成長したレイチェルの胸が彼のシャツに収まりきらず、ボタンがきつそうになっているのを見るに堪えず、彼は切れ長の目を背けた。
帽子で長髪を隠して華奢な編み上げブーツを履いたレイチェルは中性的で怪しい魅力を放っていた。
「うーん、もしや逆効果かもしれません…ロングコートの前ボタンはちゃんと留めてはいかがですか?」
(可愛い過ぎ…それに男性用なので胸がパツパツで軽犯罪です…)
アランの葛藤をよそに、レイチェルは上機嫌だ。なんせパンツは楽ちんで早く歩けるうえに暖かい。女性だからと当然のように毎日スカートを履いているのが馬鹿らしくなるくらいだった。
「留めると前が苦しいのです。ロイ様はきちんとした方なのでこれできっと引いてくれるでしょう。あ、これをキキに渡しておいてくれませんか?こちらは道中でアランが疲れたら食べる為の甘いお菓子と旅費です。そして馬さんにニンジン。プレゼントです」
レイチェルが渡したのは、美しい大きな袋に入ったお菓子と金貨、キキの好きそうな王都で流行っている物語の本、パンパンに膨らんだ封筒だった。きっと何枚も手紙を書いたのだろう、そう思うとアランの心がほんわり温かくなる。
「ありがとうございます、母が喜びます。しかし本当に宜しいのですか?長期休暇にお一人で…」
「そう言っていつもアランは私のそばにいてくれたでしょ?キキを4年も一人きりにしてしまったから悪かったと思っています。彼女のそばに居てあげて下さい。そして帰ってきて私にキキの様子を教えて欲しいのです」
荷物を馬に掛けながら、キキの事以外は一切故郷の事に触れないレイチェルにアランは心を痛めた。彼女にとっては自分を忌み嫌う土地なのだから当然だろう。
「…わかりました。で、レイ様…その…今日のデイトのことですが…くれぐれも気を付けて下さいね。人がいないところに行ってはダメですよ。殿方に身体を触らせたりなど、もっての
アランはなぜか耳まで赤くなり、急いで馬にまたがって赤髪を揺らしながら振り返りもせずに行ってしまった。
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