第43話 厳しい姑

 二人が子作りはいったん仕切り直し、当分は美味しいものを食べて新婚を楽しもうと決め、1か月経った。

 もちろん神殿に急に参らなくなると神様に申し訳ないのでたまに通っている。レイチェルにも皆と同じく頑固だが空虚な信仰心が染み付いているのだ。


(調子のいい后だって神様に思われると、順番が回ってくるのが遅くなっちゃう…)


 どうしても神様が子供を扉の前にそっと置いていくイメージが払しょくできないレイチェルだった。彼女は小さな頃からそう思っていたので仕方ないだろう。だってお腹の中から出てくるなんて、まだ信じられなかった。



「あら…レイ様最近ふっくらしてきましたね…以前の反動で食べすぎではないですか?ロイ様に嫌われますわよ」

「当分は好きなものを食べるって決めたの!王宮の周りを散歩するから大丈夫。ねえ、今夜はキキの作った甘さ控えめのフルーツパイが食べたいな…いいでしょ?」


 キキはレイチェルのお願いに弱いと知っているのだ。でもレイチェルもちゃんとキキの言うことを聞く。小さなころからの習慣は簡単には変えられないのだ。


「もう…仕方ありませんわね、では昼に作って差し上げます。夜に甘いものだと太りますからね……レイ様、もしやですが…月のモノはきてますか?」

「…」


(うっ、そういえば来てない!それを言うと私のフルーツパイが消えちゃうかもっ…くそ、どうしようか…ウソをつく?パイの為についちゃう?)


 結局レイチェルはキキにウソをつけず、正直に「きてない…」と小さく答え、パイは消えた。




 急遽王宮に詰める医者に診てもらった。


「おめでとうございます、ご懐妊でございます」


 白髪の王医に妊娠を告げられた途端に彼女の世界の彩度があがった。

 当初の目的、つまりユリアヌスの結婚の為なのをすっかり忘れ、自分から他者が産まれ出るという不思議にレイチェルは深く感動していた。

 キキは興奮し過ぎて体調を崩してしまい、部屋で寝ている。


「レイ!おまえっ…」


 ロイがノックもせずに部屋に転がり込んできた。栗色の髪を乱しており顔色が悪いし、息を切らせている。王宮の執務室から離れまで走って来たのだ。


「うん、できたって。えっと…先生、いつ産まれますか?」

「2月あたりでしょうか」


「…レイっ!もう甘いもの食べんなよ、生まれるまではキキ殿に監視してもらうからな。あと外出も禁止、危ないことは全てダメだ!なるべく寝てろ!!」


 部屋に入るなりわめき散らすロイにレイチェルは呆れた。


「もう…ロイってば、もっと言うことあるでしょ?」


 急に不安そうな目になったレイチェルを見てロイははっとした。彼は不安で仕方なかったが、彼女だって初めてのことなのだと思い当たり、ベッドに腰を掛けた彼女の隣に座って白い手を握った。彼女の強さを過信していた自分が恥ずかしくて少し俯いている。


「頼りなくてごめん、あまりに心配でつい…嬉しいよ、とても嬉しい。泣きそうなくらい嬉しいんだ。でもその分とても怖い。レイが健康で、無事に子供が生まれてくるよう今度は俺が神殿に通って祈るから…」


 妊娠出産で命を落とす女性は多い。その上産まれてきた子供が3歳まで生きられる可能性もあまり高くはないのだ。


「私も、嬉しい。ロイにそこまでさせたら、子供は絶対に無事に産んでみせる!甘いものも   なるべく我慢するから…」


 医者はぎゅっと抱き合う二人を見て微笑んでいたが、あまりに抱擁の時間が長いので待ち切れなくなったようで、


「ロイ様、今はやや安静ですが、子供が安定期に入りましたら運動不足は出産にあまり宜しくありません。適度な運動をレイチェル様にお許しください。これから毎日午前にこちらに診察に参ります。おめでとうございます」と言ってから挨拶し、部屋から出て行った。




「レイチェル様、ご懐妊誠におめでとうござます。わたくしどもで誠心誠意お世話をさせて頂きます。こちらにロイ様がいらっしゃらない時は常に誰かが近くにおりますので、何なりとお申し付け下さいませ。宜しくお願い致します」


 背筋の伸びた黒髪の侍女長はピシリとレイチェルに言った。髪形もいつもよりきちっとまとめられており、清潔感には事欠かない。早速王妃の住む離れの衛生を考えて髪が一本でも落ちないようにしているのが伺えた。


「24時間ってこと?いいよ、そんなの。なんかあったら呼ぶから」

「そうはいきません。今は胎児が不安定な時期、何かあったら顔向けできませんので」ときつく言った。


(ひぇー、怖いよっ!これは折れなさそうだ…仕方ない、甘えておこう)


「わかりました、宜しくお願いします。えっと、侍女長…、なんとお呼びしたら…?」

「ラウラ、とお呼びください」

「ラウラ、宜しくお願いします」とレイチェルが頭を下げると、


「そのようなことを王妃が頭を下げて頼むものではありません」とまたピシリと言った。


 レイチェルがしょぼんとして、「はい…」と答えると、


「もう、お母さんったら!なんでそんなレイチェル様にまでつっけんどんなの?信じられない!」と言いながらロイの妹、フェリシアが明るい空気を振り撒きながら部屋に入ってきた。


 レイチェルは正直ほっとした。

 この堅物の侍女長は王立学園の寮母アニェスを思い出させる。職務に忠実なのは素晴らしいが、上手く扱わないと息が詰まりそうだ。


「おめでとうございますっ!さっき侍女から聞いて飛んできたの。私達の為に頑張ってくれてたってユリアンから聞いてます…ありがと、レイチェル義姉ねえ様」


 レイチェルは飛びついてきた彼女を抱きしめてロイと同じ栗色の髪を撫でた。


(あれ、何か引っかかるな…ん…?さっき何て言った…)


「か、母さん…?」


 レイチェルは驚いて侍女長である黒髪黒目のラウラと栗色の髪に茶色い目の義妹フェリシアを比べ見た。ぱっと見、髪色も目の色も顔形も全く違う。体型もラウラはガッチリだが、フェリシアは細身だ。


(全く似ていないじゃないか!それになんで侍女長なんて…?)


 レイチェルの疑問を感じてラウラは時間の無駄とばかりに聞かれる前にさっさと答えた。


「はい、私はフェリシア様の母でございます。しかし先王の正式な妻ではありませんので、このようにそのまま侍女長として働いております」

「な、なんで働いてるの…?」


 確か王の子供を産んだら不自由しない資産が与えられるはずだが、とレイチェルが思って質問すると、


「もともと働くのが好きなのと、フェリシア様のそばにいたいだけですので、レイチェル様はお気になさらないで下さい。先王から拝領致しました資産もちゃんとございます」と勘のいいラウラは説明した。この女性は話が早いのだ。


(安心って、そんなの気になるよ…気になるにきまってるじゃん!そっか、だからフェリシアの母親のことを誰も教えてくれなかったんだ…)


「そんな…」


 いくらなんでも王女の母親に面倒を見てもらう訳には…と思っていると、


「大丈夫、母はつんけんしてますが、レイチェル義姉様の事大好きなんですよ。ね、お母さん?好きだとツンツンしちゃうんです。なぜかそこを先王に気に入られて…」と嬉しそうにフェリシアが教えてくれる。父親のことをとても好きだったのがよくわかるので微笑ましくなりレイチェルは顔が緩むのがわかった。自分もこんな風に父のことを話せたら良かったのにと小さく後悔をしながら。

 しかしラウラは厳しく、


「フェリシア様、はしたない!下世話なことをレイチェル様に申し上げてはなりません。それに、この部屋に入る際は髪をまとめて頂きませんと今後お入れしません」と小言を言った。


「ちぇ!もう、いっつもお母さんと話すと嫌になっちゃう!あーあ、私もレイチェル義姉様ねえさまみたく外の学校に行きたいな」


 フェリシアも外に出たいのだ。レイチェルは思わず同情し、


「あら?ではロイ様に頼んでみましょうよ」と口を出した。フェリシアが嬉しそうにした瞬間、ラウラが強く反対した。


「なりません。フェリシア様はお二人しかいない先王のお子様です。王宮の外は危のうございますれば」


 フェリシアはことごとく母親に否定されたせいか涙目になって、「レイチェル義姉様、また来ます」と小さく言って挨拶し、しょんぼり肩を落としてこちらも見ずに出て行った。


(う…うちのキキの数倍厳しいな。これはもしや、ユリアンとの結婚も難しいのでは…?今度ユリアンが家庭教師をしているとこを見に行ってラウラの様子を見てみよっと)


 レイチェルが密かに考えていると、


「レイチェル様…フェリシア様がいろいろご迷惑をかけているようで申し訳ありません」とラウラが申し訳なさそうな様子でレイチェルに頭を下げた。


(あれ、これはユリアンのこと知ってるのか?まあいいや、とぼけておこう)


「いえ、私は一人っ子ですので愛らしい妹が出来て本当に嬉しいのです。気になさらないで下さい」

「…ユリアンとはあの…いえ、失礼しました。今日は私が控えの部屋におりますので、何か御用がございましたらお呼び下さいませ」


 そう言ってきびきびと部屋から出て行った。切り替えが早い。働き者のラウラはじっとはしていられないので、手仕事を持ってきて控えの部屋ですることにした。


(あのラウラが姑か…ユリアンも大変だな。厳しいけどとりあえず頑張れ!)


 レイチェルはなんだか騒ぎに疲れてしまい、まだ昼前なのに本を読みながら寝てしまった。静かになったらちゃっかり白玉がやってきてレイチェルの隣にごてんと寝転んだ。重みでベッドが揺れる。

 レイチェルは夢で誰かに会ったような気がしたが、起きたら忘れてしまった。幸せな気持ちだけが残っていた。

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