第42話 夜食パイ

「なんか最近さ、街で『王妃様、頑張って下さい』って言われたりオレンジとかのフルーツをやたらもらうんだよねー」


 レイチェルはブルクの町はずれにあるマルシリウスに勧められた神殿にアラン達護衛を引き連れて毎日通っていた。

 本当は朝晩に行きたいのだがロイが頻繁な外出を嫌がるので、一日一回、用心の為に毎日時間を変えている。道中で出会った花売りからお供えを購入するのが日課だ。

 

「レイ様、ご存じないんですか…」と言ってアランは首まで赤くなって口を大きな手で抑えた。


「なあに?」

「…毎日『帯解け神殿おびとけしんでん』に通っていたら、さすがにバレますよ…」

「おびとけ?」

「…妊娠して帯が届かなくなる、ってことだと思います」


 彼の小さな声を聞いてレイチェルはアランより赤くなった。


(ひぇーー、みんな私たちが子供を頑張って作ってるって知ってるってこと?恥ずかしいじゃんよ、これからなんて答えれば…)


「もう開き直るしかないですよ、レイ様。国民も母も盛り上がってますし」とアランは申し訳なさそうに言った。



 そうなのだ。

 ベネディクトから教えてもらった子供が出来やすい身体を作る食べ物の話をキキにするやいなや、毎日その体温を上げる作用がある食べ物を作ってくれる。

 レバーとブロッコリーの煮物や焼き魚、豆のサラダなど、いかにも身体に良さげなものが食卓を彩るが、正直飽き飽きしている。ありがたいのはわかっているのだが、それ以外のレイチェルが好むような食べ物を作ってくれないのだ。


「まだ妊娠もしてないんだから肉が食べたいし、食後とおやつは甘いものも食べたい!」と文句を言ってもキキは知らぬ顔をしたくせに、御飯を食べ終わると、


「今夜も早く寝て下さいませね。ロイ様がしとねに入って来ても寝てて気が付かない、なんてのは絶対にダメですよ」なんて小言を言った。




「わー、もうだ!」


 子供みたいにベッドで手足をばたつかせているレイチェルを、ロイは隣で愛おしそうに目を細めて眺め、頭を優しく撫でている。とにかくレイチェルが可愛くて仕方ない、出来たらこの部屋に閉じ込めておきたいと今にも本音を言わんばかりだ。


「おいおい、もう諦めるのか?まだ始めて1か月だぞ…」


 ロイがニヤニヤしながら彼女の額にキスすると、レイチェルは、


「毎日あんなバッタのエサを食べてたら死んじゃうよ…ロイも食べてみなって!そうだ、ベネディクト先生に『男性に食べさせるといい物』を聞いてあげる。そしたら私の気持ちがわかるよ」と文句を言った。


 なぜかキキよりもロイのほうが文句を言いやすいのはなぜだろう?と思ったが、なんだか恥ずかしくて言えなかった。それはきっと『ロイの事が大好きだ』と同義語だ。


「…もうそろそろ言うと思った」


 彼は侍女を呼び、3重のケーキスタンドを持ってこさせた。


「ほら」


 そこには一口サイズの前菜やケーキなどが可愛らしく並んでいた。チーズケーキやアップルパイもある。


「キキ殿が、これなら少しでもお腹いっぱいになるからと言って…」


 ロイが言い終わらぬうちにレイチェルは目を輝かせてベッドから飛び出、皿にくっついた。


「きゃー、可愛いっ!キキってばこんなの作ってくれたの?もうっ、ロイの言うことなら聞くんだ、ずるいよ!じゃあ私飲み物貰ってくるね。ロイは何がいい?」


「いいから取りあえず…す、座れ」と言って、ロイはぎこちなくレイチェルをベッドに座らせた。


「?…はい」

「口、あけろよ」


 レイチェルが素直にベッドに座って口を開けると、ロイが必死で恥ずかしさを隠しながら彼女の大好物の羊のひき肉パイを口に入れた。彼の指がレイチェルの唇に触れるとお互いの心臓が跳ねた。


「なっ!ど、どうした…のっ?」


 レイチェルはドキドキしながら咀嚼そしゃくし、飲み込んでから聞いた。


(せっかくの味が全く分からないじゃないか!)


 こんなことをされたのは初めてだったのでレイチェルは恥ずかしくて真っ赤になった。するとロイも乙女のごとく頬を赤く染めた。


「キキ殿が…」

「キキが?」


「これを作る代わりにお前に食べさせてやれって…」


(キキッ!もう、恥ずかしいんだけど!!何のプレイだよっ!!!)


「そうだったんだ、ごめん!キキは私のことだとたまに暴走するの…なんてこと頼むかなっ」


 レイチェルが全身真っ赤になって両手で顔を覆って言い訳すると、


「俺だって、おまえの事…キキ殿やアランに負けないくらい好きだ。子作りのためなんかじゃなくて、ただレイが好きだから…」とロイが彼女の両手首を優しく掴んでベッドに押し倒しながら言う。真剣な表情でレイチェルの瞳を覗き込むので彼女は目を逸らした。パイのせいで喉もカラカラだ。

 

「ぐっ…そ、そんなことロイって言う人だっけ?やだ、ちょっと飲み物…」


 レイチェルがいたたまれなくなり彼の下から逃れようとしたが、ロイは意地悪そうに微笑んで彼女に長いキスをした。ひき肉パイの味がした。




「ねえ、街の人が私たちの子作りを知ってて『頑張って下さい』なんて言うから、もう恥ずかしくてブルクを歩けないよ…」


 レイチェルは久しぶりに子作りをすっかり忘れてロイと重なった余韻でぼんやりして言った。まだ身体が火照って裸のままだったが、ロイが脱ぎ散らかした夜着を集めてレイチェルに無言で渡した。


(冷えないように早く着ろ、ということか。マメだよねー、意外と)


「いいことじゃねーか、たくさんの人に応援してもらえて。じゃあ期待に応えてもう一回…」


 ロイはいたずらに茶色の瞳を輝かせてレイチェルの側ににじり寄ってきた。


「こらこら、最近毎晩だし身体に悪いっ…んっ」


 ロイはレイチェルの北国特有の白くてきめの細かい肌に歯を立てながら、ぎゅっと彼女の身体を抱きしめた。肌と肌がぴたりと触れ合うだけで脳がとろけそうになる。


「ユリアンたちにはりーが子作りは当分忘れてゆっくりしようぜ。頑張ってるレイも可愛いけど、正直言って俺はお前の子供になりたいくらいまだ甘え足りない。子供なんて早過ぎだ…」と本音を漏らした。


 レイチェルはユリアヌスへの友情と国への義務感から奮闘していたが、肝心のロイの隠れた気持ちに気が付かずにいたことを申し訳なく思った。何より最近はロイのことよりも子供を作る事ばかり実直に考えていたのだ。


(ロイは寂しかったんだ…私、熱中して全然気が付かなかったよ。これはさすがに反省しなきゃ…)


「ロイ…じゃあ、ちょっと子作りから離れよう。子供が生まれるまではロイは私に甘えていいよ」


 レイチェルは猫のようにすっと彼の腕の中から抜け出し、皿からロイの好きなシチューパイを二つ持ってベッドに戻った。


「はい、ロイちゃま、あーーんちて」

「な…っ、なんか違う!」


 真っ赤になって文句を言いながらも、ロイは彼女が両手で差し出したミニパイを恥ずかし気に続けて2個食べた。その様子はあまりに可愛いくてレイチェルは心臓をぎゅっとつかまれた。


(やだ、か、可愛いっ!ナニコレ、ロイってこんな可愛かったっけか?そうか、これがアン様が言ってた母性本能ってやつ…?)


「美味し…」

「ふふふ、いい子いい子。大好きだよ」


 レイチェルは身体の底から湧き上がる愛しさを感じながら彼の栗色の髪を優しく撫でた。そして彼の唇に残っていたパイのかけらをぺろりと舐め、赤くなったロイを押し倒した。

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