第40話 必要なもの

「うーん、困ったな…」

「レイ、どうした?ん?困りごとなら言ってみろ」


 夕食の席で思わず声を漏らしたレイチェルにロイが聞いた。

 彼女の足元では白玉が美味しそうにエサを食べていた。少し食べてはうろうろし、また少し食べては…を繰り返す様子がレイチェルを和ませる。


 結婚式が無事に行われて1か月が経っていた。

 ロイはレイチェルが寂しくないように料理人としてキキを離れに住まわせてくれた。その上彼が苦手なオス猫・白玉もだ。退屈を嫌がるレイチェルが頻繁に王宮の外に出て行かない為の措置なのは言うまでもない。


「これこれ、ロイ様にあまりご心配をおかけしてはなりませぬよ。お忙しいのですから」と眉をひそめたキキがレイチェルに柔らかくお小言を言うと、


「構わない、キキ殿。ほら、早く言えよ」と最近やたらレイチェルに甘々なロイは白玉に負けない猫撫で声で言いながら、レイチェルの健康的なバラ色の頬を撫でた。


 偉そうなセリフが台無しで、キキは思わず目を細めた。

 最初にロイに会った時はあまりに高慢なので、本当は気の強いレイチェルと合うのか心配だったが、今は彼の本来持っていた優しさを発揮している。レイチェルも深くロイを信頼している。

 キキはレイチェルが6歳から猫を被り続けていたのは言わずもがなで知っていたが、彼女の境遇から見ぬふりをしてきた。レイチェルなりの自衛手段だとわかっていたのだ。

 しかし、ロイと大学で学友となってからというものレイチェルは変わった。誰に対しても一歩引いてとにかく丁寧にしとけばいいだろ、といった投げやりさが減り、周りに気を許すようになり話し方も自然に変わっていった。

 ロイはアランやキキにも気をかけてくれている。

 今の幸せはすべてロイのおかげだとキキは深く感謝していた。



「新しく作る学校は学園の学長にお願いしてあるから大丈夫だけど、孤児院の管理をさ、誰に任せようかなって…私が理事だし責任持ってしたいんだけど…ダメ?」


「ダメに決まってるだろ!」「バカを言ってはいけません!」


 二人に同時に強く否定され、しゅんとなったレイチェルを可哀想に思ったのだろう、ロイがある提案をした。白玉が、にゅあん、と変な声であくびをする声が聞こえた。




「急にお邪魔して申し訳ありません。わたくしは…」

「も、もちろん存じております、王妃様。突然このようなところにどのようなご用件で…」


 ロイに相談をした次の週、レイチェルは護衛の4人とアランを連れて2頭立ての馬車で街の奴隷斡旋あっせん所に乗り付けた。昼間の閑散とした事務所に入ると、気の良さそうな経営者らしき夫婦が「ひえっ」と叫び、土間にいきなり平伏してしまった。レイチェルが慌てて、


「お願いに来たのですから顔を上げて下さいませ」と言いながら痩せ気味の妻をひょいと引っ張って立たせた。妻は王妃の意外な力強さに目を丸くした。貴族はスプーンより重いものは持ったことがないと思っていたのだ。

 お付きのアランはもたっとした身体に禿げた夫の両脇に手を入れて軽々と立たせたが、彼の姿が操り人形のようで愛嬌があり過ぎて、レイチェルは猫を被り切れずに爆笑した。


「な、なにか…」と主人が震えてレイチェルとアランに聞いた。


 なんせロドリゲスと奴隷商人が王妃を狙って断罪されたのだ。ロドリゲスは王の逆鱗に触れて次の日の早朝に斬首刑に処せられた。他の者は王妃の嘆願もあって流刑で済んだ。

 彼らのあくどいもうかたは仲間内からも非難があった。しかし上の者にとっては自分達も同じに見えるかもしれず、見せしめで辺境の地での強制労働でもさせられるのではないかとビクビクしていた。


「いえ、すいません。久しぶりに大声を出して笑いましたわ。実はお願いがあって参りました」

「はあ…」



「え、わたしら、いえ、わたくしたちに奴隷…いや、孤児の宿舎の管理をですか…」


 男はてっきり奴隷商人だった罪で罰せられると冷や汗をかいていたのでほっとした。


 国では王妃が奴隷制を骨抜きにする法案を通そうとしていたので、『王妃はなにもわかっていない理想主義者だ』と産業界から非難を受けていた。

 ルテティア王国において奴隷は肉体労働や接客業務に従事していたが、雇用主に能力を見いだされて高度な知的労働に従事している者もブルクなど都市部にはいる。富を貯えてブルクの平民と結婚し、奴隷でなくなるものもいた。

 しかし大多数は教育が受けられず、雇用主に買われた奴隷は農場や鉱山で使い捨て労働力として死ぬまで酷い環境で使役されていた。

 マルシリウスによると、ルテティア王国には元から奴隷がいたが、10年程前までは高価な労動力として各家庭で大切に扱われていたそうだ。奴隷の幸福は雇用主が責任を負っていた。それが奴隷の大幅な輸入により価格は暴落し、今の惨状を招いている。


「私もゆるやかな変化に気づかず、深く考えてもおりませんでした。レイ様の考えは間違っていないとこのマルシリウスも思っておりますので、出来る限りお力になります」と先生が言ってくれたのが心強かった。


 レイチェルは教育により彼らを教師や会計士・医師など、高度な専門知識が必要とされる職業につけ、元奴隷の地位を向上させようと考えていた。そして今は無理でも30年先に平民と元奴隷が分け隔てのない国になるよう、一番いいと思われる方策を模索して進めていくつもりだった。



「そうなのです。彼らの事を一番よく知っている貴方がたが適任かと思い、お願いに参りました。丁度商売あがったりのようですし、建物はこちらで用意致しますので身一つで来てくれれば結構です」

「な、なぜわたくしたちに…」

「聞き取り調査をさせて頂きました。あなた、何人もの奴隷の赤ちゃんを育てていますね?そして子供のない平民の夫婦に斡旋してお金を受けとっている。それは今も、ですね」


「うっ…そ、それは…」


 二人は顔を見合わせて口ごもった。

 夫婦に子供が出来ても3歳までに死んでしまうことも多く、養子を欲しがる市民も多い。なので彼らは親の意に染まず生まれてしまった戸籍のない赤子を譲り受け、育てて売っていた。もちろん彼らにも葛藤はあったが、捨てられて死んでいく子供たちを助けられる立場を捨てられなかった。もしかしたら貰われた先で幸せになれるかも、という期待を込めて譲っていた。


「まあ、育てるのにはお金がかかるので仕方ないので、見逃します。しかし…」


 レイチェルは満面の笑みを浮かべながら二人に向けてわざと小さな声で言った。なぜなら店の外には王妃が来ているのを一目見ようと人だかりが出来ていたのだ。


「嬰児を救うためとはいえ、現在のルテティアの法に照らし合わすとどうなのかはわかっていらっしゃいますよね?あなたたちには選択肢はございません。これはルテティア王国のさらなる発展の為に行う事業です。ご協力、していただけますね?」


 二人はこの見目麗しい王妃に脅迫されていることにやっと気が付いた。




「決まったわね。あの夫婦なら大丈夫でしょう」

「…レイ様、仮にも王妃なのですから、あのような脅迫をなさるなんて…」

「いえ、お願いしただけよ。アランは大げさね。お詫びに破格で雇えばいいのでしょう?」と言って可愛く口を尖らせた。


(奴隷商人といってもあの夫婦は誠実に仕事をこなすだろう。店の事務所にもたくさんの子供の絵や手紙が貼ってあったし…ユリアンの情報通り子供好きみたいだ。売り渡す際にもきちんと相手の素性を調べたり、子供がまともな場所で働けるか調べている。ロドリゲス達のように変態でも金儲けの鬼でもいいから売る、なんてことをしていない)


「ねえ、アラン。港に寄ってくれない?ちょっと様子を見たいの」

「え…港でございますか。あちらはよそ者も多いですし、もう少し警備を増やしてから行きませんか?」


 その日の馬車の周りには騎馬隊が4人、端を固めていた。しかしアランは騎士団長に油断していてレイチェルを殺されそうになったことをまだ悔やんでいた。この王妃に反感を抱いている者がたくさんいるので、注意し過ぎることは全くないと深く実感していた。


「うへえ、アランは相変わらず固いね。わかったよ、ちょっと遠くからちらりと見るだけにするから」

「…仕方ないですね、わかりました」


 アランはため息をつき、馬車の窓をノックして御者に目的地変更を伝えた。




(やっぱり少ない…)


 レイチェルはアランに買ってきたもらったミルクティーを飲みながら、港の端っこの空き地で港を観察した。

 やはり以前見に来た時より人が少なく活気がない。船も沖で待たずに港にすぐに入ってきている。


「これは…奴隷産業に代わる新しい産業を作る必要がありそうだ。ねえ、アランは今、何が欲しい?必要なものってある?」

「え、わたくしですか?そうですね…」


 アランがうなって考え込んでいる。そういえばこの赤毛の彼から欲しいものの話を聞いたことがない。亡くなった赤毛の父に似てどこまでもストイックなのだ。

 そしてそれはレイチェルも一緒だった。大事な人たちと本以外で必要なものが浮かばない。アランも武具と馬くらいしか浮かんでいなかった。


「やっぱりないんだ…私もなんだよね」


(マルシリウス先生とユリアンに相談しよう…今この王国でどんな産業を起こせばいいか…っていうかもう二人はとっくに考えて動いていそうだけど)


 彼女は困った時に相談できる相手がいることに幸運を感じた。その幸運はこれからのルテティア王国の発展につながるのだろう。

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