第38話 未来はのこぎりとおの次第

 賑やかなパーティ会場の外のテラスでは、5人の男性が闇に紛れて鋭く言い合いをしていた。


「聞いてないぞ、后があんな女だとは!小賢こざかしいが正妃になったら厄介なのは間違いない」

「この空気では後日奴隷反対派で王を説得し、案を叩き潰すのは難しいだろう。もうすぐ港に着く船が勘定に合わなくなるじゃないか!」

「おい、おまえが奴隷貿易でがっぽり儲けようと誘ったのだからなんとかしろ!俺は絶対に損などしたくないからな」


 財務長官のロドリゲスは周りの突き上げに顔を真っ赤にした。


「…しかしはまだ正妃になってない。明日大神官の前で正式に婚姻を結ぶ前にやるしかない…わかるな?」


 ロドリゲスは後ろに控えた、無駄な肉の一切ついていない無表情かつ酷薄そうな顔をした長身の男に尋ねた。手足が長く、目は加虐的かつ剣呑けんのんな光を湛えている。冷たい銀髪が夕陽を受けて光った。


「わかってる。今夜暗闇に乗じて…」

「頼むぞ。未来は次第だってことをわからせてやれ」


 ロドリゲスがそう言ったのが合図のように、5人は散らばった。誰もいなくなってしばらくしてから、庭の寄せ植えの間からのそりと男が出てきた。




「ロイ、レイ。気を付けて下さい、動きがありました」


 ユリアヌスがパーティ会場の檀上でこっそり報告すると、ロイは眉間に深い皺を寄せた。楽天的なレイチェルが嬉しそうな顔をしたので、彼女の隣で控えるアランは呆れている。


「そうか、レイには絶対に危害が及ばぬように。頼んだぞ、アラン」


 アランは小さく、でも強い意志を感じさせる声で「ロイ様、お任せください」と答えた。

 ロイは初めて会った時から聡いアランを信用していた。本心は王室にでなくレイチェルに忠誠を誓っているのも安心の材料だった。

 レイチェルがアランに手を伸ばして『まあまあ、そんな緊張しなさんな』という感じに手をぎゅっと握ったのを見てロイは少しだけ嫉妬する。二人の間には産まれてから今までの長い年月日を共に過ごした乳兄妹の絆があるのだ。


「レイには常時アランをつけておきます。しかしロイも気を付けて下さい。騎士団長にあなたのことを頼んであります」とユリアヌスは灰色の瞳を心配そうに揺らせた。レイチェルが心配なのはもちろんだが、今ロイに何かあればこの国は崩壊する可能性もある。


 レイチェルの挑発は目論見どおり奴隷業者たちに衝撃を与え、すぐに関係者がパーティ会場の隅で相談していた。動きがあるのは予測できる。


「騎士団長もレイにつけてやってくれ」

「そ、それは…」とユリアヌスは口ごもった。ロイも戦場に出る時の為に鍛えているので大丈夫だとは思うが、妃を殺すのに乗じて王も、ということもある。


「頼む」とロイに頼まれてユリアヌスが折れた。


「わかりました、では私がそばに居ましょう」

「ユリアンがか…うーん、ちょっと嫌だな。俺より剣が下手な奴、ってのがなあ」

「文句が多いですね、あなたは。盾くらいにはなるのでその間に逃げて下さい」


 不満げに口を尖らせたユリアヌスをのんきなレイチェルが笑った。


 4人で話していると、彼女がトイレに行くと言い出した。緊張しているのか、さっきから何度もだ。


「俺が付いてってやろうか?」とロイがいたずらな表情で聞くと、レイチェルが噴き出した。


「大丈夫、アランがいるから」


 彼女がアランの肩を叩くと、ロイは面白くなさそうな顔をしてから、騎士団長を呼んでレイチェルに付くように命令した。

 前王の時代から団長をしていて王宮で信頼が厚い大男だ。前王は真っ直ぐなこの40過ぎで独身の男を気に入っていた。ロイももちろん小さなころから知っており信頼を置いている。


「頼んだぞ」

「承知致しました」


 レイチェルは騎士団長とアランに付き添われて廊下に出て行った。




(ふうー、すっきりした。父に会うストレスで便秘だったけどやっと出たし。父はロイには挨拶したと聞いたから、間違いなく私を避けてる。呪われた子なんかに会いたくないんだろうな。でも、同じ会場にいると思うと顔もわからないのに探しちゃうじゃないか…)


 レイチェルがトイレから出るといるはずのアランと団長がいない。


「アラン?団長様…?」


 キョロキョロしていたら、物陰からひょいと現れた男に後ろから口を塞がれ、肩に担がれて庭に連れて行かれた。途中でアランが地面に倒れているのが見えて頭に血が上った。


『んーっ、放せっ、誰か!アランっ』


 声にならない声を上げ、手足をばたつかせながら、レイチェルは王宮の奥の林に連れて行かれた。

 


「お待たせしました」


 そう言って彼女を男たちの真ん前にふわりと降ろしたのは騎士団長だ。レイチェルはギッと彼を睨みつけて詰問した。


「団長…まさか部下アランを殺したのっ?」

「いえ、殺してはおりませんのでご安心くださいませ」


 団長が丁寧に答えると、


「団長殿はこの期に及んで何かっこつけてんだ?はっきり言えよ、自分はロドリゲスの娘と恋仲で奴隷推進派だってよ」と男たちの一人がやけに嬉しそうに言った。それでレイチェルはプチンと切れて地面に胡坐あぐらをかいた。そして、


「…なるほどね、誇りある騎士団長様はルテティア王ではなくこの人身売買を生業なりわいとする金に汚ねーやつらの味方、っていうわけだ。騎士団の誇りも恋とカネの前にはクソ以下って感じ?」と団長に言い放った。その上続けてロドリゲスにも、


「おまえは本当に馬鹿者だな。奴隷は安上がりな労働力だが、生産性が低い上に原価が低くなってる。教育のない奴隷では難しい耕作をしたり生産性の高い労働は期待できない、つまりはもう需要が頭打ちなんだ。クソ役人はバカだからそんなこともわからないのか?」とののしる。

 うってかわって町娘、いや、荒くれ者みたいになったレイチェルに取り囲む男たちはびっくりした。


「え…こいつ本当に妃か?」「いや、なんか違う気がするな…本物はもっと上品で可憐なはずだ」「おい、騎士団長さんよ、間違いだな、コレ」「…確かに、私がいつもお見掛けする上品なレイチェル様とは天と地の差…ロドリゲス様、申し訳ありません。急いで本物を探してまいります!」


(おいおい、こいつら私の事偽物だと…ラッキー、逃げられそうだ!)


「…では私はお役御免、ってことで帰らせて…って駄目か」


 レイチェルの退路に立ちふさがったのは銀髪の冷酷な表情の長身の男だった。髪が月の光を受けて蜘蛛の糸みたいに見える。目だけがギラギラと殺しの喜びに溢れているのがレイチェルをぞっとさせた。


「すまんが死んでもらう。正妃の身代わりなんて引き受けたのが運の尽きだったな。本物ももうすぐ同じ場所に送ってやるから安心しろ」

「バカ野郎、死んだらどうやって安心するっつーの!誰かぁ!!」


(この銀髪に向かっていっても万が一も勝てないと本能が告げてる。誰か呼ぶしかない!)


「王宮の林に来るものなどおらん。さて、どのように殺してやろう」

「さっさとしろ!」


 楽しそうな殺し屋にロドリゲスがイライラと怒鳴った。会場が盛り上がっているのかざわめきがここまで伝わってきたので焦っている。


「わかりましたよ」


 その男が残念そうに隠し持ったナイフを持ち換えて歯を上向きに構えたその時、大勢の足音がなだれ込んだ。ロイが兵士をかき分けて前に出る。


「レイ、大丈夫か!…おまえら、俺の后を狙うとはな。今ここで自決ものだが申し開きはあるのか。早くこちらにレイを渡せ!許してやらんでもない」


 冷酷かつ尊大な物言いの裏には激しい怒りと焦りが見える。ロイが彼らを許す気はイチミリもなさそうだ。


「ロ、ロイ様…」「王…」


 女が偽物だと思っていた男たちは混乱していた。ただ一人を除いて。


「やはりおまえが本物か…死ね」


 銀髪の冷酷な男はこの状況を面白くて仕方ないといった風でニヤリと笑い、この期に及んでも指令を全うしようと躊躇ちゅうちょなくナイフを最短距離でレイチェルの胸に突き刺した。肉に刃物が刺さる嫌な音で場が凍った。


「ぐぶっ…」


 目をぎゅっと閉じたレイチェルは、強く肩を握られていた。音がして自分が刺されていると思ったのに、どこも痛くないので恐る恐るエメラルドグリーンの目を開けた。


「ひ、ひゃ…誰っ?」


 長身の見知らぬ男性が、レイチェルと銀髪のナイフを持った男の間にいる。ナイフで深々と背中を刺されていたのはこの間にいる知らない白髪の男性だった。


「邪魔だ」


 そう言って平然とナイフを抜いた男は、間の男をどけてレイチェルに振り下ろそうとしたが、その前に兵に取り押さえられた。ロドリゲスたちはすでに捕まって地面に這いつくばっている。しかし…


「レイ…チェ…」


 立っていられず彼女にもたれた男性は髪は真っ白で老人のような見かけだが、強い力で彼女を守るように抱きしめた。彼がレイチェルの名前を小さく口に出した瞬間、彼女は雷に打たれたかのような衝撃を受けた。


「私はもう大丈夫です、なので早く手当てをさせて下さい…」


 レイチェルが彼を手当の為に離そうと身体に手を回すと、手の平にどろりと血が付いた。


「血……あの、大丈夫ですか、いや、大丈夫じゃない!ロイ、早くっ!早くこの人を助けて…お願いっ…」


 涙がいつの間にかぼろぼろこぼれていた。ロイが無言でレイチェルの背中を支える。誰かが白髪の男性を救助するためにレイチェルから引きはがそうとしたが、彼はまだ脅威から彼女を守ろうとして決して放さない。


「レイチェル…そなたは無事か?怪我はないか?」


 彼がそう聞いて目を開けると、そこには彼女と同じエメラルドグリーンの目があった。彼女に向けて優しい光を放っている。


「…だ、大丈夫です…貴方様のおかげで…」


 レイチェルは気が付いていた。きっとは父だ。 


「私の大事な娘…そなたが無事ならば私はいい。合わす顔がなくてこっそり眺めては付け回していたが、妻に似ずにとんだお転婆娘になってしまって…ロイ様はご存じなのか?」と少し唇の端をあげて笑った。


「もちろん…ロイは私の一番の理解者です。お父様、私の事を『大事な娘』と呼んでくれて嬉しゅうございます。呪いの子として産まれてしまった私はお父様に迷惑ばかり…」


 それを聞いてフォンテンブロー侯爵は弱弱しく首を横に振った。


「違うのだ、そなたは呪いの子ではない。婆様ばばさまが見た予知夢ではそなたは牢獄で惨めたらしく死んでいくか、このルテティア王国の王妃となり国を繁栄に導くかどちらかであった。侯爵家の娘でいたら牢獄に入れられる可能性を心配した婆様と私たち夫婦は、相談してそなたを侯爵家から出来るだけ遠ざけた。会えなくともただ生きていて欲しかったのだ。

 しかし出生の際のひょうのせいで呪いの子という噂になってしまい…フォンテンブローにはそなたの居場所がないと感じていただろう?すまなかった。だから妹の死をきっかけにブルクにやったのだ。

 そなたには本当に悪い事をしてしまった、許して欲しい。婆様が亡くなり、予知夢が見れない私はとたんに心配になった。ロイ様とのことを知らずにそなたを呼び寄せる口実で隣国の王子と結婚の話をしたのもすまなかった。結婚などさせる気は全くなかったのだ。ただ不安で心配で自分のそばに置きたかった…身勝手な父を許してくれ…」

「お父様…もういいのです、とにかく治療を…」


 レイチェルは自分が始めた計画のせいでこんなことになり、自分のうかつさと愚かさを悔やんではますます涙を溢れさせた。マルシリウスが言っていた甘い見通しと浅い正義感が身を滅ぼす、というのはこういうことを言うのだろう。


「もういいのだ。私はそなた達の結婚を見ることなく死ぬとわかっていた。初めての予知夢を見たのだ。力のない私に婆様が見させたのだろう。最後に愛しい娘をこのように近くに感じることが出来るとは思っていなかったから幸せだ。愚かな父であったが、そなたが賢く幸せに生きてくれればそれでよい。ああ、そなたの目はやはり私と同じだ…毎日鏡を見るたびにレイチェルのことばかり…考えて…」


 エメラルドグリーンの瞳がゆっくり惜しむように閉じられて、同じ瞳を持つレイチェルに彼の体重が一気にもたれかかった。彼の身体から命が失われて空中に溶けていくのがレイチェルには感じられた。


「お父様っ…ウソでしょ、ウソだって誰か言ってっ!!ねえ、ロイ、言ってよおっ!!!」


 血だまりの中に崩れ落ち人目もはばからず父を抱きしめながら泣き叫ぶレイチェルを、ロイは何も言わず支えていた。


 ただ一度きりの親子の邂逅かいこうだった。

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