第36話 他人以上に他人の父
(結婚式か…)
そう思うとため息が自然に出てきた。
「レイ様、何を悩んでおられます?」
モヤモヤし過ぎて王宮にじっとしていられず、街の浮浪児の調査を名目にアランを連れて王宮の外に来ていた。ロイもアランがいるなら、としぶしぶ許可をくれた。なのに心が晴れない。
(くっそ、王とはいえロイにいちいち許可をもらうのはムカつくな…妃になったら絶対に王宮の慣習を変えてやる!500年の歴史があろうと1000年だろうと、ルールは生きてる人間に合わせて変えていくべきだっ)
「いや、別に…」
「もしやですが、結婚式に来られるお父君が気になっておられるのでは…」
レイチェルはアランの言葉でハッとした。
アランは勘が良い。ロイが王子だと初めて会った時から気が付いていたほどだ。もちろんなんで教えてくれなかったのかとレイチェルとキキから責められた。
(そうか、このモヤモヤは父に会うのが怖いからだ。魔女の子孫であり不吉な子供だと自覚させられるのが…)
「怖い…そう、かもしれない」
珍しくレイチェルが素直なのでアランは調査の為持っていたペンを落としてしまった。いつもなら『そんなことない、アランは心配性ね』くらいアランを気遣って言う所だ。
「レイ様…」
レイチェルは父母の顔を知らない。知りたくもない。そんな彼女の気持ちを一番理解しているのは一緒に育ったアランだった。
「会うのがお辛いのですね…」
こくりと赤子のように力なく頷くレイチェルを目にして、アランは頭を抱えた。花嫁が親である侯爵に結婚式で会わずに済む方法などどうにもなさそうだった。
街中にはざっと数えただけでも100人もの浮浪児が地上や地下にコミュニティを作って暮らしていた。マルシリウス先生に聞いたが、10年前にはなかった現象だそうだ。
ブルクの中央を流れる川の最下流に頻繁に嬰児の遺体が流れ着いて腐臭を放っているのも問題になっていた。
「奴隷船で連れてこられた人たちの産んだ捨て子が主な原因ですね」
鋭く言ったレイチェルのエメラルドグリーンの目に怒りの炎が宿っていたのでユリアヌスは驚いた。しかしマルシリウスの
「レイ…」と心配そうにユリアヌスが呟いたが、マルシリウスが言わせぬように自然に言葉を被せた。
「レイチェル様、そのとおりです。奴隷は人でありながら現況はモノとして扱われておりますれば市民ではないので戸籍もなく、子供ができても奴隷となるしか受け皿がありません。経済力もなく、とても弱い立場です」
レイチェルは先生と話すために太古の昔からある奴隷というものについて調べていた。ルテティア王国が建国するはるか昔、少数の部族間の争いで人々は相手をせん滅して土地や権利を得てきたが、そこから
しかし今のルテティア王国に大量に入ってくる奴隷はフエダ王国などで産業として製品のように作られて運ばれてくる。それはあまりにも人間の営みに反するもので、ゆくゆくはこの王国を滅ぼすとレイチェルは結論付けた。
実際ルテティア王国の市民は有り余る娯楽を享受することに慣れ過ぎて、勉学など面倒なことは奴隷にやらせておけばいい、と言った危険な風潮が生まれている。学ばせた奴隷に読ませればいいので、実際字が読めない市民が増えていた。この先、奴隷が市民に必要な仕事を独占する時代が来る。その先に待っているのはルテティア王国の崩壊だ。
その空気を変えるとともに、奴隷の窮状も変えなければならないだろう。それはルテティア王国の未来に深い遺恨を残す。
(いくら奴隷と言えども生を受けてすぐに遺棄されるなんて…せっかく産まれてきたのに、お母さんに優しい声をかけてもらえないまま死ぬ赤ちゃんを黙って見てられるかっつーの!)
小さな頃にキキから教えられた通り、子供は神様からの預かりものだとレイチェルは信じている。
「先生、ユリアン、ご相談が…」
「おい、元気ないな。大丈夫かよ」
ロイは乱暴な言葉とは裏腹に心配そうな表情をして、隣でぼんやり月を見ているレイチェルに聞いた。金髪の隙間から月の光がこぼれてこの上なく美しい絵画を思わせる。
多忙なロイがレイチェルと完全に二人きりでいられる時間は夜だけだ。
レイチェルが街に出掛けて浮浪児問題を解決する為に計画を練り心を痛めているのを知っていたが、それだけで彼女がこれ程まいるとは思えなかった。どちらかというと、問題解決に燃える猪突猛進タイプなのだ。彼女の前世はイノシシと言われたらロイは納得するだろう。
ちなみにルテティア王国には神殿はあるが、多神教が祭ってあり、寛容な宗教体系を保っている。道の端やたまにど真ん中にも神が祭ってあり、多くの人が通り過ぎるたびに手を合わせたりお供え物をしていく。
それぞれの家庭の守護神を皆強く信じているので悪事に対する拒否反応が強い。神に対して誠実であり嘘のないことがとてもいいことだとされている。そして自分の祖先に恥ずかしくないよう生きることも要求される。
(こいつは本当は后になりたくない、んだろう…ずっとそう言ってたしな)
触れたくないところにロイは踏み込む決意をした。
「嫌、なのか?」
びくりと身体を震わせてから、レイチェルはロイを見た。今まで見たことのない彼女のうつろな瞳にロイはたじろいだ。
「うん…けど我慢するから大丈夫」
その言い草にロイは思わずカッとなった。
「我慢って…おまえ結婚はずっと続くんだぞ!妃になるのが嫌なのか、それとも…俺が嫌なのか?」
レイチェルはびっくりして目を見開いた。エメラルドグリーンの目にはいつもの強い光が戻っていた。
「ああ、ごめん。ロイ、私は…」
「待て待て、やっぱり俺は聞きたくない。寝る」
結婚式が嫌だと言おうとしたら、ロイが自分の耳を両手で塞いで一人ベッドに潜り込んでしまった。
(うーん…正直に言ったら頭のいいロイは『なんでだ?』ってなるよね…そしたら私が呪われた子供だと言わなければならない。そんな不吉な花嫁が王妃になるなんてありえないだろうし、ロイは貧乏くじをひかされたと思うかも…ヤバいな、早く言わなきゃ)
月に輝く樹木の葉っぱに溜まった夜露が一粒、テラスに当たって空気に溶けた。
「ロイ、ちょっと…」
「ああ、レイ。今忙しいから後でな」
レイチェルはロイの少しの暇を見ては説明しようとしたが、彼は彼女が現れるとそそくさと何かを始めたり、忙しそうにどこかに行ってしまうのだった。
そうこうしているうちに式前日になり、街はお祭り騒ぎの様相を呈していた。
「…ユリアン、ちょっと話を聞いてくれない?」
いつもは彼とマルシリウス先生が王宮にいる際は、テラスでロイも一緒に4人でランチをとるのだが、最近ロイが彼女を避けているのでいない。そして今日はマルシリウス先生が大学の講義なので、レイチェルはユリアヌスと二人だった。
「うぅっ、なな、なんでしょうか…?」
ユリアヌスはギクリとした表情でぎこちなく答えた。
(なんかいつもと違う…もしや…)
「ロイから何か聞いてるの?」
そう聞くと、ユリアヌスは目を逸らして答えにくそうに言った。
「…レイから結婚したくない、と言われたと相談を…」
(やっぱり…まあ、したくなかったのは間違ってもないけど…)
「結婚が嫌だなんて言ってない。式をしたくない、って説明しようとしてるんだけど、ロイが逃げるから…」
それを聞いてユリアヌスがぱあっと顔を明るくした。
「…なんだ、そうでしたか!心配しているロイに報告しないと…」
「ユリアン、ちょ、ちょっと待って!」
「なんでしょう?」
彼は安堵に満ちた灰色の瞳をレイチェルに向けた。可哀想なユリアヌスは、ロイから相談を受けてからというもの、急に中止になった際の方策をずっと思案していたのだ。
「ユリアン、私…実は呪われた不吉な子として生まれたの。その上フォンテンブロー侯爵家は未来が見える魔女が生まれる一族なんだ。そんな私がおおっぴらに后になったらいけないんじゃないか、って怖くなってきて…」
そう彼女が告白すると、意外な話だったようでユリアヌスは珍しく灰色の瞳をキョロキョロさせた。ユリアヌスでさえも理解が及ばない話だったようで、あきらかに戸惑っている。
レイチェルは告白して心が軽くなっていくのを感じた。
「は?呪い…魔女…ですか?」
「うん…祖母に不吉な子と予言された私は、産まれてすぐに捨てられた。乳児を抱えたキキがフォンテンブローの僻地で出生を隠して私を育てくれたの。でも12歳の時に王都にいた父の妹が亡くなって、代わりの人質として住まわされたんだ。私は両親の顔も知らないで今まで生きてきた」
ユリアヌスは、自分が小さな頃に両親が隣国から攻め込んだ兵士に殺されて独りになり、孤児院に入った話をしたときのレイチェルの反応を思い出していた。彼女が目に涙を浮かべて聞いていたのはそういう訳だったのだろう。自分が辛い思いをしたからこそ、他人の為に彼女は泣けるし動けるのだとやっと合点した。
どうにも地位の高い貴族のお嬢様なのにいろいろ変だとユリアヌスは思っていたのだ。
「…そうでしたか…レイも辛い思いをしてきたのですね。しかし貴女には何の落ち度もない。気になさらなくとも…」
「でも、そんな魔女なんて言われのある一族の私が后になるとルテティア王国にも良くない。古い考えの人も多いもの。だから私は今までみたく非公式でいいから王宮でロイのそばにいたほうが…」
ユリアヌスが話の途中で急に立ち上がったので、レイチェルは振り向いた。
そこには憮然とした表情のロイがいた。
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