絶望少女《美優》

少女と仕事

 夜も更け、欠けた月が雲に阻まれながらも薄く世界を照らす時間。

 道端に並んだ灯りには蛾が釣られていた。そんな蛾に目もくれることなくフラフラも横に揺れながら歩く影がひとつ。

 乱れた制服にボサボサなった長い髪を前に垂らしながら歩くその影は少女だった。


 制服を身に付けているのを見るに年端もいかないうら若き少女。

 青春を謳歌して色恋に浮かれているであろう年齢のその少女の瞳は、とても、とても暗い闇を見せていた。

 行く宛もなく彷徨うように死んだ目で歩く様を一度目撃すれば誰でも心配するだろうが……残念なことに少女が歩いているその道に人気はない。


 それもそのはずだ。少女はその道を通っているのだから。


 足場の悪い砂道を通り、度々不快な強風に煽られながらも少女はある場所へと辿り着く。

 軽く乗り越えられそうな木のフェンスだけ取り付けられた断崖。そのフェンスの横には『落下注意』と赤い文字で書かれた看板がある。

 そして落下注意の言葉の通り、崖の下はかなり深く更に下には大きな岩がゴロゴロ転がっている。

 だがそんなのは関係ないと言わんばかりに少女の足は迷いなくその断崖へと向かっていく。


 そう、少女は死のうとしているのだ。


 わざわざ自らの家から遠くて、しかも人気はない場所を選んで少女は自らの人生を終わらせようとしているのだ。

 止める誰かなど存在しない。元々人気のないスポットな上に深夜という時間帯。少女を止める者など存在しようはずがない。

 そう少女も思っていた。


 


「ほう、良い場所を選びますね」

「っ……!?」


 フェンスに足をかけて乗り越えようとしていた少女は驚愕を表情に浮かべながら振り返る。

 そこには、


「いやはや感心感心。この仕事をしていると自然と統計が取れてしまうのですが、貴女のような人は大体社会に死に様を見せ付けたがりますからね……いや悪いことではないのですがね」

「…………」

「あー! 少し待ってください! 死ぬならちょっと私の話を聞いてからにしていただけませんか?」


 変に語り出した黒い男を無視してフェンスを乗り越えようとした少女だが、少し慌てた声色で止められた。

 そして何故か話を聞いてほしいと頼まれた。


 これから死ぬというのに何故話を聞く必要があるのか。もしかして自分を説得するつもりなのか……無駄なのに、と少女は思いながらもフェンスに掛けていた足を降ろす。

 そして体を、ふぅと安堵したように胸を撫で下ろしている黒い男へ向ける。


「……説得なら聞かないわ」

「説得? ああ……こういう時そうするのが普通ですね」


 少女は少し眉をひそめる。


 この男なんだか変に引っ掛かる言い方をしていた。まるで自分が人間ではないような……。

 そういえばこの男はどこから現れた? 間違いなく周囲には人気はなかったはず。辺りに隠れられる場所なんてない。

 まさか……本当に……。


「あ、そうそう申し遅れました。私こういう仕事をやらせてもらっているものです……名刺をどうぞ」


 恭しい礼をしたあとに差し出された名刺を受け取る少女。そして名刺に書かれていた文字を復唱する。


「『魂管理局死後課死後アドバイザー兼死神・ソル』……なにこれ」

「地上の方向けに簡単に分かりやすく申し上げますと、死後の世界に来る方々へ色々とサポートをさせてもらっている者です」

「はぁ……」


 いきなり現実離れしすぎた言葉の羅列に混乱する少女。

 そういう反応に慣れているのか、黒い男──ソルは笑みを浮かべて言葉を代える。


「とにかく止めに来たのではない、ということです。むしろ死んだ後の事が我々の所轄なので」

「なるほど……じゃ、なんで死ぬ前に声掛けたの?」


 多少理解できた少女は、それを踏まえて疑問を呈する。

 この疑問が来ることが分かっていたのか先程と同じ笑みを浮かべて即答する。


「昨今我々の所轄で問題となっているのが自殺者の"心欠陥しんけっかん"──所謂、深い絶望でして。それを多少なりとも解決していくのが私の仕事でございます」

「……その状態だと何か悪いの?」

「ええ、とてもじゃないですが魂を輪廻へと送り込むのは不可能です。そのまま送ってしまうと次の生を受けた際に心身に異常を来してしまうので。もし心欠陥の魂が来たならば各部署をたらい回しにして、その絶望を丁寧に除去していかないといけないのです」

「へぇ……」

「現在派遣会社などにも協力してもらって回しているのですがそれでも手が足りない状況らしく……地上での作業を主としている私に白羽の矢が立った、というわけであります」

「……死後の世界も結構大変なのね」


 自分がこれから行こうとしている世界が今いる世界と大して変わらなさそう、と思った少女は小さく嘆息する。

 そしてソルが言っていたことをゆっくりと理解していくと、ひとつ気になることが出てきた。


「ねぇ、あたしって心欠陥なの?」

「はい。喪失部分は人によって違うのですが……貴女の場合は『家族愛

・友情』のダブル欠陥ですね」

「っ……」


 目の前の男は知っている。そうすぐ理解した。


「もちろん事情は理解しています斉藤さいとう美優みゆさん。だからこそ私は此処へと足を運んでいるのです」


 少女──美優はここで初めて警戒心を持った。

 先程までは、この世に未練などなく誰と何を話そうとも自分が消えることに変わりはない……と思っていた。その心は絶対に不変のものだと。

 しかし目の前の男はそれを変えようとしてきているのだと、そう察した瞬間に一歩後ずさってしまった。足も心も。


 しかし、そんな美優の心を見透かしたようにソルは続ける。


「先程も軽く申しましたが私の仕事は自殺を止めるための説得やメンタルケアなどではございません……貴女に未練を無くしてもらいたいのです」

「み、未練……? あたしが? そんなわけ」

「無ければ、此処に私はいないのです」


 そう言われて押し黙る美優。

 しかし彼女もわからなかった。もう期待や希望なんてなくなったこの世界に未練……いくら考えても思い付かなかった。

 解答はなんとすぐに返ってきた。


「貴女は一瞬でもこう考えた筈です。『自分が死んだ後のの反応が見てみたい』と」

「あ……」


 確かに考えた。

 もし自分が死んだら親はどういう反応をするだろうか。自分を信じて友達やクラスメイトはどんな顔をするだろうか……なんてことを。

 しかしそれが未練かと言われると小首を傾げてしまう。だってそんなことを考えるのは普通だ。


「だから今から知ってもらいます」

「え……?」


 いつの間にか目の前に立っていたソルが美優の頭に手を置く。


「貴女が死んだ後の世界を。そして、これを見た後に貴女は理解するでしょう───」



 死後とは切ない、と聞こえて美優は意識を手離した。

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