第2話「蔦蔓」その②

 窓から桜の花びらが風に舞っているのが見える。春の柔らかな日差しが差し込んでいた。

「副島主任。大阪支店に行かれるのですね。ご栄転おめでとうございます」

「ああ、有難う」

「今度本社に戻られる時には課長ですね」

 事務の女の子にそう言われて悪い気はしなかった。

「そうなれるように頑張るよ」

 副島は笑顔でそう答えた。副島の会社は一部上場の機械メーカーで社歴八十年の優良企業である。

 街は秋に行われるシドニーオリンピックで盛り上がっていた。

 副島は大阪へ転勤が決まっていて係長のポストに抜擢されたのである。つき合っている酒井ゆりと結婚するつもりだったがまだプロポーズはしていなかった。いい機会だからと今年の秋に結婚をしようとゆりに話すと喜んで受け入れてくれた。


 副島が商談でK商事に行った時のことである。相手の担当者と話している時に一緒に同席していた女性がいた。名前を酒井ゆりといった。話の流れから、その日の夜、三人で飲みに行くことになった。ゆりは初めは大人しくしていたが、飲み始めるととても明るく振る舞い話題も豊富だった。出身地の話題になった時、

「副島さんはどちらのご出身ですか」とゆりが訊いた。

「東京です。世田谷の上町で育ちました」

「あら、私も三軒茶屋なんです。高校は都立T高校でしたが、大学はG短大です」

「なんだ、僕もT高校ですよ」

 ゆりは副島の後輩だったのである。急に打ち解けた感じになり話が弾んだ。

 

 それが副島とゆりの出会いだった。小顔の割に目が大きくて美人というよりは可愛いタイプである。年は二十一、二か、色白で中肉中背のバランスのとれた体形をしていて副島の好みだった。

 副島は商談でK商事に行くことが多くなり、自然とゆりに惹かれていった。ほどなくして真面目な付き合いが始まったが、すでに二年が経とうとしていた。

 

 付き合いだして一ヵ月経った頃、副島はゆりを自宅アパートへ連れて来た。その日も雨が降っていていつもの道を歩いていると、ゆりが何か感じたらしく、

「ねえ、耕一さん。そこの場所で何かなかった?」と訊いてきた。

「そこか。確かにあったよ。三年前に事故があって小学六年生の女の子が亡くなったんだ」

「やっぱりね。何かあったと思ったわ」

 ゆりは霊感が強かった。具体的なことまでは分からないのだが、そこに残る何かを感じることが出来るのだった。

 マンションに着いてゆりは傘を傘立てに入れようとした。その時、光のようなものを感じて中を覗き込んでみた。そこにあったのは銀色をしたラウンド形の小さなロケットペンダントだった。

 ゆりはペンダントを拾ってから、先に部屋の上がっていた副島に、

「耕一さん、傘立てにこれが入っていたわよ」と言った。ゆりが少し疑りのまなこになっている。

「えっ、あっそれは・・・」副島は一瞬答えに詰まってしまった。

「心配しないで。私の前にどんな人と付き合っていようと関係ないわ」

 ゆりは副島を見つめてそう言った。慌てた副島は、

「そんなんじゃないよ。これには理由があるんだから。さっき君が訊いた事故に関係があるんだよ」

 と言って三年前の事故のことをゆりに詳しく話した。

「完全に忘れていたよ。でも困ったなあ。今さら返しづらいしな」

 黙って聞いていたゆりは、

「ふーん、そうだったの。可哀相なことをしたわね」と言ってからペンダントを開いた。

「かなり古い物ね。中にマリア様の像と文字が彫ってあるわ。親愛なるゆりへ・・・あら、私の名前と同じだわ。・・・ねえ、これつけてみてもいい?」

 突然、ゆりが言い出した。

「ああ、いいけど」

 それはゆりに似合っていた。表面にチューリップの花のデザインが彫ってある。

「どう、似合う」

「うん、とってもよく似合うよ」

「ねえ、これ私が貰ってもいいかしら?」

 そう言われて副島は考えてしまった。あの事故のことを考えるとつらい気分になってしまうからだ。

「やめておいた方がいいよ。女の子の霊が憑いているかもしれないしね」

「私は何も感じないわよ」

「まあよく考えてみるよ」

 ゆりが残念そうにペンダントを副島に返した。

 副島は何故かゆりにペンダントを渡す気になれなかった。

 

 付き合いだして半年経った頃、副島は母にゆりを紹介した。母もゆりを気に入って早く結婚しなさいと会う度に言うのだった。


 ゆりが引越しの手伝いをしてくれるというので土曜日に来て貰った。といっても男の一人暮らしで一DKのアパートにはたいした荷物もなかったけれど、それでも勉強机だけは置いてあった。引出しの整理をしているとペンダントが出て来た。副島が手にとって感慨深げに見ていると目敏くゆりが気づいて、

「ねえ、それ私に下さい」

 ゆりが宣言するように言った。

「分かったよ。大事にするんだよ」

 今度ばかりは断る理由が副島にはなかった。

「ええ、大事に致します」

 早速それをつけたゆりは嬉しそうにニコニコしている。

「ねえ何か感じたらすぐ返すんだよ」

「大丈夫。何もないわよ」

 副島は何となく気にかかるものがあったが少し考えすぎだと思い直した。

 二時間くらいで全てが終り外はすでに暗くなりかけていた。

「今日は有難う。お礼に食事に行こう」

「わあ、何をご馳走してくれるの?」

「何がいい?」

「そうね・・・じゃ美味しいラーメンが食べたいわ」

「うん、分かった」

 その日、二人は秋に結婚することを誓い合った。

 

                つづく

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