「つたかずら(蔦蔓)」
悠木春生
第1話「蔦蔓」その1
悠木春生
夜来の雨が間断なく降り続づいていた。副島は自宅アパートを朝七時半丁度に出ていつもの道を駅に向かって歩いていた。道を挟んだ反対方向から小学校の通学班が歩いて来る。ここ二ヵ月、平日には必ずと言っていいほど会う。副島は今年の四月に入社した会社が上野にあり、通勤を考えて京成線にあるこの町へ引っ越して来たばかりだった。先頭を歩いているのは六年生と思われる女の子であった。その子は目鼻立ちのはっきりした子で将来美人になるだろうなと副島は思っていた。道幅六メートルほどの白線しか引いていないガードレールのないところでその割には交通量が多い。副島は危ない道だと通る度に思う。子供達とすれ違ったすぐ後に駅の方から乗用車がかなりのスピードで飛ばして来た。むちゃをすると思っていたら副島の横を通り過ぎた直後に急ブレーキの音がして鈍い音がした。空恐ろしい悲鳴が聞こえ副島が振り返ると赤い傘が飛んできて副島の前で落ちて転がった。車が歩道部分に頭を突っ込んで止まっていてその横に女の子が倒れているのが見える。一台の自転車が副島の脇を逃げるように駆け抜けて行った。泣きじゃくる子供達。慌てた副島は持っていた傘を投げ出して事故現場に駆け寄った。呆然と立ち尽くしている運転していた二十歳くらいの若い男に、
「どうしたんだ!」と大声をあげた。
「自転車が飛び出してきてよけようとしたんだ。自転車が悪いんだよ。だから・・・」
その男は言い訳をしょうとした。
「そんなことより早く救急車を呼ぶんだ!」と副島は怒鳴っていた。その怒鳴り声で我に帰ったのか若い男は近くにあったコンビニに駆けていった。
女の子は腰と胸を強く打ったらしく苦しそうだった。体が痙攣を起こしていて口から血が流れ出ている。雨がその血を洗い流していた。
「おい、しっかりしろ。今救急車が来るからな」と副島は耳元で呼びかけた。
女の子の意識はあるらしく副島の呼びかけに微かに反応した。いきなり目を見開いてこう呟いた。
「私、死ぬの・・・」と聞き取りにくいくらい小さな声だった。
そしてそのまま意識が無くなった。
五分も経たないうちに救急車のサイレンの音が聞こえてきた。赤い回転灯の光が雨に映って朝の町に浮かび上がっている。救急隊員がストレッチャーに乗せようとして女の子の体を動かした時、首筋から光るものが滑り落ちて転がった。それはロケットペンダントだった。副島はすぐにそれを拾ってずぶ濡れのスーツのサイドポケットに入れて救急車に飛び乗った。救急車がサイレンを鳴らしながら走っていく。救急車が病院に着いて女の子は救急救命室へ運び込まれた。
心配しながら様子を見ていた副島は病院で警察に連絡先を教えた。後日、現場検証に立ち会って貰うことになるからと住所、氏名、そして勤め先を訊かれたのである。女の子の身内がまだ到着していなかったが副島は仕事があるからと帰ることにした。
外に出ると雨が上がっていて薄日が射していた。
副島はずぶ濡れになったスーツを着替えるために自宅へ戻った。玄関でスーツを脱ぎよく見るとズボンに血と泥がついている。その時、女の子の苦しそうな顔が浮かんで来て悲しい気分に襲われた。
クリーニングに出そうとポケットからハンカチと小銭入れを出して靴箱に置いてから部屋に上がった。その時、ハンカチに挟まっていたペンダントのチェーンが垂れてしまい、その重みでペンダントが滑り落ち、ちょうど下にあった傘立てに入ってしまった。
会社へは事情を話して遅れますと伝えてから嫌な出来事を洗い流すようにシャワーを浴びた。
副島は十一時過ぎに会社へ着いて上司に詳しく報告をすると、それは大変だったと労ってくれた。副島が昼食をしようと社員食堂に行った時、丁度テレビで朝の事故のニュースをやっていて女の子は重体だと報じていた。
翌日、会社に警察から電話が入り現場検証に立ち会って欲しいと言ってきた。副島は会社に事情を話すと早退して事故現場に向かった。そこで副島は女の子が深夜に亡くなったことを知ったのである。とても他人事に思えなかった副島はお通夜に行くことにした。
中年の女性が副島に近づいてきた。
「副島さんですね。昨日は本当に有難うございました」
と言って深々と頭を下げた。
「いえ、この度はご愁傷さまでした。でもどうして私のことを知っているのですか?」
「これは失礼致しました。娘が登校班の中にいましてね。副島さんのことを覚えていたのです。お名前は警察の方からお聞きしました」
「そうでしたか。あのー、お母様でいらっしゃいますか?」
副島が訊くと、
「いえ、私はあの子の叔母にあたります。私の妹の子供なのです」
「では妹さんは?」
「妹は阪神淡路大震災で亡くなってしまいました」
「えっ、・・・そうだったんですか」
副島は一瞬だが驚きの声を上げた。
「あの子、梓というのですけれど両親が大震災で亡くなりましてね。梓とその姉が助かったのです。それで私達が梓を引き取って面倒を見始めた矢先の出来事でした」
叔母はそう言って手に持っていたハンカチで目頭を押えた。
「そういうことですか・・・」
副島はそう言うのが精一杯だった。女の子があまりにも可哀そうで泣けてきたのである。
帰り道で事件の現場を通りかかった時、副島は女の子のことを思い出していた。亡くなった両親が末っ子を不憫に思って連れて行ったのかもしれないなとふっとそんなふうに考えたりした。
副島を見つめて言った最後の言葉が頭の中でリフレインされて仕方なかった。
つづく
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