この泡が消える前に
KMT
第1話「サイダー」
KMT『この泡が消える前に』
「おっ! 安里あったぞ! 当たりマーク!」
「ほんと!? やったぁ! これで9個目達成だ!」
俺は幼なじみと一緒に、近所の鈴木商店に来ている。小さい頃から駄菓子や文房具を買いに、よく利用していた店だ。いつものように鈴木サイダーを買い、二人で飲む。今日は俺達の大学の二次試験の終了を、祝い事として乾杯する。
「長かったなぁ……いよいよあと一個だね!」
「そうだな。それじゃあ、無事受験が終わったことを祝しまして」
『かんぱ~い!!!』
二本の瓶がカツンッと金高い音を立てる。俺はこの音が好きだ。瓶がぶつかり合う音は、俺達を何度も何度も祝福してくれた。この音を聞きながら育ったと言っても過言ではないかもしれない。
「ん~♪ 冷た~い♪」
「そりゃこんな真冬の外で炭酸飲料飲んでんだからな」
おっと、自己紹介が遅れたな。俺の名前は
俺達は小学生の頃からずっと一緒にいる。こんな狭くて何もない田舎の村だ。友達を作ろうにも数が限られる。そんな中でも安里は特別だった。
「残り一個、頑張って手に入れようね!」
「できるかなぁ~。もう俺達も卒業だぜ? いつまたここに戻ってこれられるか……」
「絶対できるよ! 私達なら!」
空っぽになったサイダーの瓶を差し出す安里。“ゴミ箱に捨てといて”という隠された意図を読み取り、俺はそれを受け取って自分の飲み干した瓶と共に捨てる。
ちなみに、なんでこんな真冬にサイダーなんて冷たいものを飲んでるのかと言うと、話せば長くなる。それは俺と安里の出会いの話でもあるからだ。
ほんと、出会いってのはよくわからんものだな。
最初に安里と話したのは、10年前くらいだ。小学四年生の頃、俺は良くも悪くも従順な人間だった。人の頼みは常に断らず、どんな無理難題な命令を突き付けられても引き受けた。クラスメイトから「ランドセルを家に運んどけ」という、端から見ればいじめに思えるようなことでもやった。
永遠とも思えるような田舎特有の田んぼ道を、カラカラの皮膚まで溶けてしまいそうな暑い日射しを浴びながら歩いたものだ。そしてあの日も……。
「井原君、ちょっとゴミ出し手伝ってちょうだい」
「はい」
0.001秒の間も開けずに返事をした。担任の先生がバランスボールのようにゴミが詰め込まれて膨らんだ袋を抱え、たまたま近くにいた俺に頼みに来た。俺が今まで頼み事を断ったことがないという噂が、先生の間にも広まっているのだろうか。
何にせよ、断る理由はない。俺はいつも通り引き受けた。
「ん?」
「……」
大きく膨らんだゴミ袋の後ろに安里を見つけた。
どうやら安里も先生からゴミ出しの手伝いをするように頼まれていたらしい。ゴミ袋は三人がかりでないと出し終えることができない程溜まっていた。どうしてこんなに溜まるまで出さなかったのだろうか。
「ぽいっと、これでおしまい!」
先生がゴミ置き場に最後の一袋を投げ捨てる。ピラミッドのようにごみ袋が積み重なり、一つの芸術作品のようだ。そんなくだらないことを考えながら、俺達はゴミ出しを終えた。田植えに次ぐ重労働だったと思う。
「二人共ありがとね」
「いえいえ」
「お安いご用ですよ」
俺と安里の頭を撫でる先生。相手が小学生だからと子供扱いをする。ゴミ袋を運ぼうと往復する間、横目で安里の様子を伺っていた。彼女の方も俺と同じように真面目にゴミ出しをこなしていた。
……え? 遠回しに自分も真面目だと自慢をするなって? いいだろ別に。本当のことなんだし。
「お礼に、はいこれ♪」
先生は手さげから二本のジュースの瓶を取り出し、俺達に渡してきた。みんなには内緒と、口に人差し指を持っていく。明らかに可愛い子ぶっているのが見え見えだ。
しかし、俺は先生が30代後半であることを知っている。
要するに、気持ち悪い。
「ぷはっ~! これ美味しいよ、井原君」
「そ、そう……」
安里はいつの間にか瓶の蓋を開け、サイダーを飲んでいた。もう飲み干している。そんなことより、俺は彼女が名前を呼んできたことに少しドキッとした。俺は彼女のことをクラスメイトとして一応知ってはいたが、まさか彼女の方も俺を知っていたとは。
まぁ当然か、俺達の学校クラス一つしかないし、そのクラスも生徒は十数人しかいないし。
ゴクゴクゴク
「ぷはぁ~! うめぇ~!」
「でしょ~♪」
しゅわしゅわと弾ける液体を注いだ瞬間、カラカラに乾いていた喉が瞬時に冷やされ、炭酸飲料が喉を刺激して疲れを摘み取るように消していく。溜まっていた熱も体に充満した冷気に吸い込まれるように無くなっていく。
俺の心と体は、天からの恵みを授かった小人のように快適になった。夏の暑い日にはやっぱり炭酸飲料だよな。
そして、俺は安里に顔を向ける。彼女は夏の太陽のようにまぶしい笑顔をしている。彼女の絵顔を見つめていると、まるで俺の冷え過ぎた心と体が再び温められ、定温に保たれたように感じる。
「あれ? 何これ……?」
ふと安里は瓶の王冠の裏面を覗き込んで呟いた。今、王冠と読んで王様が頭に被る冠を想像した奴はいないか。残念ながら違う。王冠とは瓶についているギザギザした蓋のことだ。形が似ているから同じ名前を言うらしい。
話を戻すぞ。とにかく俺も王冠を見せてもらうと、そこには赤く「当たり」の文字が。その下には小さく「当たりを10コあつめると……」とも記されている。何なんだ、この10円ガムのような仕様は……。
「先生、このサイダーどこで買ったんすか?」
「ん? 普通の駄菓子屋だよ。鈴木商店ってとこ」
俺達は改めてサイダーの瓶を見直す。ラベルには「鈴木サイダー」と記されている。どうやらこのサイダーは鈴木商店という店にしか売っていない特別なジュースらしい。
「井原君」
「へ?」
「行ってみよう!」
安里は俺の手を引っぱっていく。そのまま校門を潜って鈴木商店へと向かった。彼女はずいぶんと行動的だ。
「あぁ、このサイダーは鈴木商店にしか売ってない世界で唯一無二の商品さ!」
鈴木商店のおっちゃんが筋肉質の胸を張って誇らしげに語る。見た目から50代か60代のおっちゃんだ。暑苦しい人だな。
「この当たりってのは何なの?」
「あぁ……それはだな、10個集めると願いが叶うって言われてんだぜ」
願いが叶う? ちょっと待て、一本プレゼントとかじゃないのか。いや当たり10個で一本も少ないように思えるが。そんな不明瞭な楽しみなんていらねぇぞ。
「おう! ぜひ頑張って10個集めてみてくれ!」
「はい! 頑張ります!」
安里は笑顔で答える。何ノリ気になってんだ。集めたところで何ももらえるわけでもないのに。
「頑張ろうね! 井原君!」
「え? お、おう……」
彼女のペースに釣られ、つい返事をしてしまった。まぁ、こんな狭くて何もない田舎なんだ。楽しみなんてこれくらいしかない。
「おじさん、もう一本買ってもいい?」
「いいよいいよ、何本でも」
安里は短パンのポケットに手を突っ込む。学校に財布持ってきてるのか。意外とワルだな。まぁ、俺達の学校の校則なんて無いにも等しい。
「あっ……」
「どうした?」
「もうお小遣い無いや(笑)」
「そうか……」
苦笑いで財布の口を閉じる安里。
「井原君……いくら持ってきてる?」
おい待て、初対面の相手に金をたかるなんて非常識にも程があるだろ。いや、クラスメイトだから初対面というわけでもないが、彼女とは今まで何の接点もなかったのだ。
「しょうがねぇなぁ」
俺は観念して自分の財布を取り出し、口を開ける。いつか返してもらうからな。
「いくらだ?」
「おじさん、このサイダーいくら?」
「一本150円だ」
高っ……。俺の一ヶ月の小遣いの二十五分の三を持っていかれるのか。このおっちゃんの値段設定も地味にワルだ。わざわざ鈴木サイダーなんて名前自信満々に掲げているところからも、調子に乗ってる様子が伺える。
……流石にもうボロクソ言うのはやめるか。
「ほらよ」
「ありがとう!」
俺は100円玉と50円玉を安里の手のひらに乗せようと腕を伸ばす。しかし、なぜか彼女は手のひらを引っ込める。
「どうした?」
「井原君は買わないの? 自分の分……」
「え?」
安里は首をかしげて俺の顔を見つめる。正直一本では物足りなかったが、限りある小遣いを今サイダーに注ぐのはもったいない気がした。
しかし、彼女は俺も一緒に買うのが相場だろと言わんばかりに、不審な顔で俺を見てくる。
「じゃあ……買うか」
「うん、そうしなよ♪」
財布から新たに100円玉と50円玉を取り出す。俺はさっきからなんで安里の言いなりになってるのだろうか。
「というわけで、二本ください♪」
「はいよ! まいど~♪」
俺達はおっちゃんから渡された冷え冷えの瓶を受け取る。瓶の王冠を開け、裏側を確認する。
「当たり無いね……」
「無いな……」
何だ……当たりが出ないのであれば買った意味がない。内心後悔しつつも、こんなもの早々当たるものではないと妥協した。そもそも当たりを集めたところで、何か景品がもらえるわけでもないんだ。こんなことしてたって……
カツンッ
突然安里が自分の瓶を俺の瓶に打ち付けてきた。金高い音が、俺の意識を思考の渦から連れ戻す。
「な、何だ?」
「何って……乾杯だよ、乾杯」
「あぁ、そうか」
彼女は微笑み、そのままサイダーを飲み始めた。俺も倣って飲み始める。冷え冷えのサイダーが喉を通る感覚、たまらない。何度味わっても快適だ。
「ぷはぁ~♪」
「美味しいね~」
「だな!」
二人で顔を合わせて笑いかける。なぜだろう、彼女と一緒に飲むサイダーは何か違う。今までサイダーなんて何度も飲んだことがあるはずなのに、こうして特別な快感を得ることなんてなかった。
今までとは何が違うんだ?
「井原君、絶対に10個集めようね!」
その答えは隣にあった。安里がいるからだ。彼女の笑顔がサイダーの泡と共に弾けて、俺の心に流れ込んでくる。彼女と共に飲むサイダーだからこそ美味しいんだ。
「……務武」
「え?」
「務武でいいよ」
安里と共に飲むサイダーは、一人で飲むサイダーより美味しい。俺の世界でしか通用しないし、学校のテストにも出るはずもない。
しかし、なぜか絶対的に成り立つ定理を俺は見つけてしまった。このことは心に大事に秘めていよう。
「うん! よろしくね、務武君」
「よろしくな、安里」
思い返せばこの時だった。俺が初めて彼女の名前を呼んだのは。
「務武君、どうしたの?」
「ん? あぁ、何でもない」
現実に戻った途端、真冬の冷気が一斉に体に染み渡り、ただでさえ冷たい炭酸飲料を飲んで冷えた体を更に
あれから俺達はサイダーを飲み続けた。テストで満足を取れた日、運動会で優勝した日、小遣いをもらった日、親に褒められた日、川原で綺麗な石を見つけた日、身長が伸びた日などなど。
とにかく何でもいいからおめでたい出来事があった日に、俺達はサイダーで乾杯した。
もちろん真の目的は当たりの王冠を10個集めるためだ。祝い事をする度に王冠を開けていき、この10年間でようやく9個まで集めることができた。二人で協力してこの年月だ。なかなか当たりの王冠は出てこなかった。どんだけ確率低いんだよ。
「もしかして風邪? やっぱりこんな寒い時にサイダーはヤバかったかな?」
「いや、違うよ」
そして、この10年でわかったことがもう一つある。安里は超が付くほど優しすぎる人間であることだ。俺のことを常に気にかけてくれる。そんな俺も安里に心を許し、あれから行動を共にするようになった。
今や背中にあるほくろの数を把握しているほどの仲になった。
か、勘違いするなよ……一緒に海に行った時に見たんだからな。
「ほんとに大丈夫?」
「あぁ、昔のことを思い出してただけだ」
「昔のこと?」
「安里と仲良くなったのって、この鈴木商店でだよな」
俺達はあの時から変わらずただすむ鈴木商店を見上げる。もう10年か……数えきれない思い出を共にしたな。そしてその思い出の中心には、いつもサイダーがあった。
そして、隣に安里がいた。
「安里……」
「ん? 何?」
あれ? 俺、なんで安里の名前を呼んだんだ? 特に用もないってのに……。
「あ、いや……大学受かるといいな」
「あぁ……」
もしかしたら、俺はわかっていたのかもしれない。安里と離れ離れになってしまうことを。そのことが心配で、彼女の声が聞けるうちに話がしたかったのかもしれない。
「うん、そうだね!」
安里はあの時から変わらない太陽のような素敵な笑顔で答える。俺は彼女が無理して笑顔をつくっていることを知っている。
シュワ……
瓶の中には泡立つサイダーがまだ残っていた。俺はなぜかそれを飲み干せないままでいた。
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